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修学旅行の行き先はプレゼンと投票で決める

私が西表島を訪れるきっかけとなったのは、高校時代の修学旅行。

私の母校〈自由の森学園〉は、学校側が用意した修学旅行先に行くのではなく、生徒が自主的にプランを組み立て、同学年の生徒と教員の前でプレゼンテーションを行い、最終決定は生徒による投票制で採決するという方法をとっていました。
これは学校行事に限らず、学校の日常の風景。

教員も友達も〈あなたは何者なのか? 何を大切にしたいのか?〉と常に問いかけ合い、個人の集合体が持つ多様性を大切にすることをモットーにした校風。
大人=先生、年上=先輩などの上下関係、パワー・バランスなどの絶対的なカテゴライズが存在せず、常にお互いが好奇心を持って学び合い続けることや、それに伴う体験がGOODとされた環境。
小学校時代をフリー・スクールで過ごした私にとっては、かなり風通しが良かったです。

投票期間中は廊下にプレゼン用のパネルを用意し、プランや旅先の特色、そこでできる遊び、体験を提案&提示するというもの。

当時の私は西表島の無人の浜である鹿川湾にどうしても行きかった。
先輩たちから〈鹿川は最高の場所だよ!〉と聞かされ続けていたので、その場所を自分の目で見たくてたまらなかったの。
友達や教員の協力を得て旅のコース・プランを立て、プレゼンと投票を経て、ついにそれを実現することができました。

コース・リーダー、救護班、食事班、書記などの役割を決めて、それぞれの担当が現地でできることを調べ上げ、放課後は定例ミーティングを繰り返し、旅の冊子を作る係がそれをまとめる……。
そうやって旅の前段階を作っていきました。

 

リゾート開発に揺れていた西表島

西表島は沖縄本島から400km南西方向に位置する、琉球諸島屈指の標高の山を持つ平地の少ない島。
面積は約289k㎡(東京23区の半分弱、東京ドーム5,700個分)。島民の人口は2,376人(2018年3月末時点)、島の90%が固有の生態系を維持したジャングルで形成され、イリオモテヤマネコ、ヤエヤマセマルハコガメ、カンムリワシなどをはじめとした天然記念物が多く生息しています。

島への渡航方法は船。
石垣港から出ている観光フェリーに乗り、2つあるメインの玄関である上原港と大原港のどちらかに渡ります。
大きな島の中心部にはそれら2つの港をつなぐ道路がなく、港から港へ車で移動するには、島の縁を走る道を行く以外に方法がありません。

観光名所として、滝や川、マングローブなどを主とした自然体験型のアトラクションが人気を集めていますが、近年のリゾート開発などで来島する人数が増加し、オーヴァー・ツーリズムやイリオモテヤマネコの交通事故死を減らすために、世界自然遺産候補地として入島制限を設けるニュースが今年報じられたばかり。

私が訪れた当時はリゾート開発の是非を問う裁判の真っ最中で、現地の人にその話を訊くことも旅の行程に含まれていました。
ウミガメの産卵場所として有名だった浜でのリゾート建設ということで、それによる地域の旅館への影響など、様々な課題があった裁判でしたが、最終的にはリゾート開発が進む方向で終着していきました。

 

何をするか決めない〉ことだけを決めて、いざ西表島へ

さて、私が提案した旅の全行程は、まず石垣島からの定期船で島の最北端にある上原港まで行き、星砂キャンプ場でのキャンプ後、島の東にある小さな港〈白浜〉までバスで向かい、そこからザックひとつを背負って、島の南側に位置する鹿川湾まで5時間ほどかけて歩き、そこでキャンプをするというもの(今もこのコースを辿れるかは分かりません)。

黄緑の部分が徒歩ルート。
専用の〈歩道〉はなく、ガイドの方だけが知る季節に合わせた安全なルートを通っていきます。

ザックの重さは10キロ前後。着替え、食料、水、テント(バラせるだけバラして分担)、寝袋、トイレットペーパー、塩(ヒル対策用)、などを手分けして運びます。

〈修学旅行〉ではありましたが、目的地である鹿川湾に到着したら〈コレをやろう!〉というような特別なレクリエーションは何も企画しませんでした。
〈そこに行く〉という目的意識と、ただひたすらにその場所を感じて、各々が楽しいと思うことひたすらやってみる。
言い換えれば〈何をするか全く決めない〉ということのみ決めて、私たちは西表島へ出発しました。

旅のしおり