連載

【沖メイのサウンズ・オブ・クリーチャー】第8回 三角形の問屋街で考えた街、人、音楽のレスタウロ=修復

ミュージシャンの沖メイによる〈音楽と生き物〉というテーマのこの連載。今回は、沖がリリースした新曲“レスタウロ”と、彼女が参加したUR都市機構 × 横山町馬喰町街づくり株式会社による〈さんかく問屋街アップロード〉プロジェクトについて。〈場所〉とライブの空間演出について綴ってくれた前回と地続きの内容なので、ぜひ下掲の第7回を読んでからこちらの記事を読んでいただければと思います。 *Mikiki編集部

★連載〈沖メイのサウンズ・オブ・クリーチャー〉の記事一覧はこちら


 

さて、場所について考えた時に装飾ともう一つ、私の本業として音楽制作の話をします。
2021年4月に、ソロとしては初の書き下ろし楽曲で、3年ぶりの新曲をリリースしました(前回はZA FEEDOの2018年作『Passengers』)。
今回の曲に取り組むことになったのは、とある街に出会ったことがきっかけでした。

その街は、日本橋馬喰町にある三角形の形をした地域。
〈問屋街〉として専門職や職人さんとともに歴史やルーツを作り、栄えた場所です。
問屋街と聞いて思い浮かべるのは、合羽橋や日暮里、小売店に並ぶ商品の買い付け元、などでしょうか。
近頃の問屋街は〈小売〉を解禁して観光客向けに食品サンプルのキーホルダーを販売したり、台所用品を安く仕入れられたりと、一般の人々にも開かれた街になってきています。
しかし本来問屋街は、いわゆる小売をしない、つまり商売をしている人に向けた街です。

出典:Google Earth

江戸時代に城下町の商い場として栄えた日本橋馬喰町は、上空から見下ろすと城下町特有の碁盤のマス目のように区分けされた様子が窺えます。
(馬喰町の地名に関しては、馬を食べていたのではなく、江戸時代のこの地域に馬場があり、牛馬の売買を行う幕府の仲介業者〈「博労人」(ばくろうにん)〉がいたことで、のちに馬喰町となったのだとか。)
しかし、戦後まもなく、区画整理のため〈清杉通り〉という一本の道が斜めに通されます。
マス目は崩され、三角形の地域が出来上がり……隔離された状態になった三角地域は特殊な風合いを帯びることになります。そこが今回の舞台となった街です。

現在、この三角形の街の外側(馬喰町、伝馬町あたり)には古ビルを改装したゲスト・ハウスやコーヒー・ショップが並び、若い人の姿が目立ちます。
そこにはザ問屋街!といった風合いはあまり感じられませんので、この三角形の中がいかに特殊かということが分かります。

MVの撮影風景 夜の問屋街
区画整理で通された一本道によって、特殊な5差路が誕生している。

三角形の中には古くから続く繊維問屋さんが並ぶ懐かしい風景の街があります。
かつて遠方から行商人が訪れ、商いをしながら宿泊していたこともあり、現在も宿泊場所が残っていたりします。

しかし、近年では問屋を継ぐ人も減少し、空き家、空きビルが増え、老朽化したビルは取り壊され、空き地が増え、チェーン・ホテルの展開などによる再開発も進んでいるそうです。

私は東京の東側に家族のルーツがあるのですが(父は深川で江戸時代から続く石材店を継いでおり、祖父は月島で育ち、曽祖父は浅草橋で〈沖商店〉という商店を営んでいました。)、

浅草橋の沖商店 写っているのは曽祖母

下町職人家系の私にとって、懐かしさがにじむ馬喰町の街の風景が変わって行くことを知って寂しさを感じました。
賑わいも、職人同士の会話も、店先で飲むおじさんたちも、いなくなってしまうのかな、と。

私が出会った街は繊維(タオル、Tシャツのボディ、お祭り用品など)をメインとした問屋街で、店先には〈一般の方お断り〉という貼り紙が目立ちます。
ショウウィンドウには商品がたくさん陳列されて、値段も書かれているのに、簡単に入ってはダメな店舗。お店の中のこともよく分からないし、なんか怖い人が営んでいるのかな、とか妄想がめぐります。

しかし、それは妄想にすぎませんでした。
再開発や新規参入の事業に頼って街を一新するのではなく、問屋を営むみなさんや、UR都市機構、そしてこの土地をリサーチした建築家の方々(勝亦丸山建築計画)とともに現状を理解し、今を楽しみながら今後も生きていくためにどうしたらいいかと考える人々の心意気がこの街にはあったんです。

関連アーティスト