60年代にフェラ・クティと出会い、その後のアフリカ70でフェラと共にアフロビートのスタイルを生み出した偉大なるドラマー、トニー・アレン。彼が2020年4月30日、腹部大動脈瘤により79歳でこの世を去った。
アレンの最大のレガシーは、ジャンルの壁や国境を越えて、アフロビートをさまざまな場所で響かせたことだろう。デーモン・アルバーンらとのザ・グッド、ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン(The Good, The Bad & The Queen)、フリーらとのロケットジュース・アンド・ザ・ムーン(Rocketjuice & The Moon) など、ちがう畑の音楽家との共演やプロジェクトも数多い。アレンの生前の演奏が聴けるケレケトラ!(Keleketla!)のアルバムも先日リリースされたばかりだ。
今回はそんなトニー・アレンをTAMTAMの高橋アフィが追悼。常に折衷的、拡張的でありながらも、プレイヤーとしてのスタイルは決してブレなかったアレン。同じドラマーとして彼から大きな影響を受けただろう高橋が、その偉業を振り返る。 *Mikiki編集部
アフロビートは数多くの音楽に広がっている
UKジャズからエレクトロ、ブロークン・ハウス、ヒップホップ、オルテ(Alté)※等……、アフロビートのフィールはもはや〈ジャンルとしてのアフロビート〉のみではなく数多くの音楽へ広がっている。いかにアフロビートは拡張していったのか。そのキーマンの一人は間違いなくトニー・アレンだ。トニー・アレンはアフロビートのドラムに焦点を当てることで、リズムの面白さと可能性をラディカルに更新し続けた。
アフロビートのドラムの可能性の拡張
70年代にフェラ・クティ率いるアフリカ70の一員として活躍したトニー・アレンは(その時期の録音が“Water No Get Enemy”を収録した75年作『Expensive Shit』、77年作『Zombie』など)、80年代に入るとフェラ・クティとは別れ活動の拠点をナイジェリアからヨーロッパに移す。アフロビート × ニューウェイヴ&ダブな『N.E.P.A. (Never Expect Power Always)』(84年)、トニー・アレンによる打ち込み曲も収録されたハードなエレクトロ・アフロビート『Afrobeat Express』(89年)とソロ作だけでも80~90年代は雑多で面白いのだが、またそれは別の機会に触れるとして、アフロビートの可能性の拡張という点で言えば『Black Voices』(99年)が重要だろう。
ソロとして初のワールド・リリース作であり、フランスのプロデューサー、ドクター・L(Doctor L)を迎えた『Black Voices』は、ダブ処理的な手法を通してアフロビートからドラムのみを浮き立たせた作品だ。大人数のアンサンブルによるポリリズミックな演奏、コール&レスポンス、華やかなホーン、長尺の曲構成……など、ジャンルとしてのアフロビートの定番が同作ではことごとく破られ、トニー・アレンのドラムを中心としたミニマルなアンサンブルにまとめられている。
それはアフロビートのドラム単体の面白さの新たな発見であったと思う。多数の打楽器によるアンサンブルも特徴であるアフロビートの中に一人で複数人のように聴こえる演奏するドラマーがいること、そしてドラムのみでもアフロビートに聴こえることは衝撃的だった。
ドラムを中心とした路線は『Psyco On Da Bus』(2000年)、『Home Cooking』(2002年)へと続く。トニー・アレンの演奏を中心とするからこそ自然にポップスやジャズ、ヒップホップなどと混ぜることが出来た楽曲は、アフロビートのドラムの可能性を広げていった。