Page 2 / 4 1ページ目から読む

キャプテン・ビーフハートやCorneliusに感化されて

チアゴは1980年2月、サンパウロ生まれ。幼少期の多くをサンパウロ州のサンジョアン・ダ・ボア・ヴィスタという街で過ごした。家族は無類の音楽好きで、チアゴ自身も幼少時代からさまざまな音楽に触れて育ったという。当時の音楽体験について彼はこう語る。

「子供のころの僕にとってはチャック・ベリーがアイドルだったんだ。それからアントニオ・アルロス・ジョビン、シコ・ブアルキ、ジョアン・ジルベルトらのボサノヴァやサンバ、あとは母の田舎のラジオでよくかかっていたセルタネージョ(ブラジル内陸部のカントリー・ミュージック)。祖母が歌ってくれたレバノンの子守唄もよく覚えている。10歳でギターを始めてからはブルースやファンク、ラップやジャズも聴くようになったよ」

ちなみに、〈ナシーフ〉という苗字はレバノン系のものだそうで、レバノンやシリアにルーツを持つアラブ系ブラジル人はサンパウロを中心に各地に広がっている。有名なところだと、かのカルロス・ゴーンもレバノンの血を引くブラジル人。チアゴが奏でる音楽の深層には、祖母から伝えられたアラブの響きも横たわっているのだ。

10代に入るとチアゴの音楽地図はさらに拡張。その頃出会ったというルー・リード、プリンス、ボブ・ディランあたりは誰もが通る道かと思うが、加えて「ポスト・パンクのサウンドやブラジルの不協和音を使ったギター・コード、キャプテン・ビーフハート、ヴァルテル・フランコやイタマール・アスンソーンといった音楽家からも影響されたよ。Corneliusのコラージュには度肝を抜かれたし、トン・ゼーもいつもお手本。その後はミニマル・テクノやエレクトロニック・ミュージックにもハマった」と話す。

カルト的な人気を誇ったキャプテン・ビーフハート、サンパウロの異端シンガーであるヴァルテル・フランコ、ヒネくれたポップセンスで近年再評価されているトン・ゼー。あまりにもクセの強い並びからチアゴの趣味嗜好が窺える。さらにCorneliusのコラージュ手法、ミニマル・テクノやエレクトロニック・ミュージックからの影響、そしてサンバやボサノヴァといったブラジルの偉大な音楽遺産から受け継いだものまでがチアゴのなかには流れ込んでいるのだ。

※Corneliusは自身がDJを務めるα-STATION FM京都のラジオ番組〈FLAG RADIO〉で、チアゴの新作『Mente』収録曲“Soar Estranho”をプレイしている(7月8日オンエア)
 

新時代ブラジル音楽の本山、トラマ(Trama)での経験

チアゴが初めて組んだバンドはギターとドラムという2人編成。相方はのちにエルメート・パスコアールのグループに加入するドラマー、アレックス・ブッキだった。チアゴはその後、ロカビリーやサーフ・ミュージックのバンドに参加する一方で、エンジニアとしての技術を学び始める。当初は独学だったようだが、やがてとある音楽制作会社でインターンをすることに。それがサンパウロの新興レーベル、トラマだった。

トラマは90年代末から2000年代にかけてオットーやマックス・ヂ・カストロ、DJパチーフェら新時代のブラジル音楽を世に送り出し、同時代のブラジルにおいて一大潮流を生み出したレーベル。チアゴはブラジル音楽史に名を残すギタリスト、バーデン・パウエルの遺作にあたる『Lembranças』(2000年)のレコーディングにも参加するなど、トラマでサウンド・エンジニアとしての経験を積む。なお、トラマからはCorneliusやピチカート・ファイヴのブラジル盤も発売されており、ひょっとしたらチアゴはトラマ経由で彼らの音楽に触れていたのかもしれない。

バーデン・パウエルの2000年作『Lembranças』収録曲“Minha Palhoça”