「〈ハウスから場へ〉っていうんで、細野さんのなかで思想的な大転換があったんじゃないかって気がしたんだよね」。ラジオ番組「サウンドクリエイターズ・ファイル」における細野晴臣との対話の中で、人類学者の中沢新一は本作に関連して、そんな発言をしていた。ここで言う〈ハウス〉とは、73年の細野のソロ・デビュー作『HOSONO HOUSE』のことであり、〈場〉とは本作『HoSoNoVa』のことだ。

一聴すると、『HOSONO HOUSE』と本作の聴き心地は似ている。二作はいずれもごく大雑把に言えば、人肌の温もりを感じさせる、ウッディな質感のバンド・サウンドを基調とした歌ものである。だがそれらの位相は、いささか異なっている。

本作のリリース・タイミングは、東日本大震災直後の2011年4月20日。レコーディングそのものは震災前に行われていたが、未曽有の災害を経て、それは〈細野晴臣の新作〉という以上の特別な意味を帯びることとなった。あの震災のように私たちの感受性に大きな影響を及ぼし、文化受容のありようを一変させてしまうような出来事は、これまでにも少なからずあった。そしていまもまさに、私たちはコロナ禍のなかでそれをリアルに体感している。

コロナ禍が私たちに示唆したテーマは多々あるが、その一つにエコロジカルな視点に立つことの重要性というのがある。つまり、自然環境の制御困難さを前提に、いかにそれと関係を結び、暮らしを営んでいくべきかについて、根本的なレベルでの再考を促されているということだ。そしてこれは、より抽象化すれば〈大きな存在とちっぽけな自分自身とをいかに関係づけるか〉というテーマになる。

振り返ってみると、細野は昔からこうしたイシューに自覚的であった。そもそも彼のキャリア全体がある意味で、〈連綿と続くポピュラー音楽の歴史といかに向き合うか〉というテーマをめぐっての苦闘の軌跡であったと言える。一見、歴史性と無縁であったかのように見えるYMOの活動においても、その跡はたしかに見られる。

ところで、そうした命題にそのときどきの回答を行うにあたって、細野はいつも自分自身を発想の起点としていたように思える。つまり、みずからのオリジナリティー追求への意識が、彼の目を歴史へ向けさせていたということだ。それはもちろん、『HOSONO HOUSE』においても例外ではない。

だが本作『HoSoNoVa』における発想の起点は、もはや自分自身でないように感じられる。本作は、“スマイル”や“ラヴ・ミー”といったスタンダード・ナンバーのカヴァーの隙間に、細野のオリジナル・ナンバーである“悲しみのラッキースター”や“ウォーカーズ・ブルース”などが挿入される構成になっているが、細野いわく当初そこにオリジナル・ナンバーを収録する予定はなかったという。すでに名曲が山ほどあるわけだから、それを歌い継ぐだけで十分じゃないか、というわけだ。だが名曲と対峙する作業を通して、結果的に細野は曲を作ることの根源的な楽しさを再認識することになったようだ。

この制作過程そのものが、細野のスタンスを見舞った変化について雄弁に物語っている。まず他者たち(の作った音楽)が先立っており、そのなかに自分自身(の音楽)を位置づける。つまりここで起点となっているのは、自分自身ではなく〈他者たちから成るネットワーク〉なのだ。冒頭に引用した中沢の発言は、細野のなかでのこうしたモードの変化を的確に捉えているように感じられる。

自分自身の殻に囚われるのではなく、みずからをより大きなものの一部として位置づける。そのアティテュードは、今年7月に『folklore』をリリースしたテイラー・スウィフトらのそれに通ずる。そしてそんなアティテュードに貫かれた本作は、『folklore』などの作品にも劣らぬアクチュアリティーを未だ持っている。

いまこのタイミングでリイシューされるにふさわしい一枚。ぜひアナログ盤のまろやかな音で堪能し、〈コロナ以降〉を生きる上での糧としたいところだ。