溢れ出るイマジネーションを織り上げ、記憶の森の奥で想いを紡いだ話題作『Folklore』で新たな支持層の心を掴んだテイラー・スウィフト。ただ、そこに至るまでの道程も確かにここに繋がっていて……
苦難が次々と降り注ぐ2020年。もはや今年は良いことなんて起こらないのでは――と、ついつい後ろ向きになってしまいそうだが、このパンデミックのおかげで生まれた嬉しいサプライズがひとつある。テイラー・スウィフトによるニュー・アルバム『folklore』がそれである。本来なら昨年発表されたアルバム『Lover』を引っ提げて大規模なスタジアム・ツアー〈Lover Fest〉を開催していたはずの彼女。ところがそれらが中止/延期となり、自宅に引きこもる生活を余儀なくされることに。というのは我々と似たような状況だが、違っていたのがそのヴァイタリティー。突然の空き時間を利用してアルバムを完成させてしまったのだ。
ナショナルのアーロン・デスナー(共作/プロデュース)をメインに据えて、旧友のジャック・アントノフや、初顔合わせとなるボン・イヴェールも参加。もちろんソーシャル・ディスタンシングを取っての制作は、電話やメール、ファイル交換などを駆使して遠隔で行われた。結果、無駄を削ぎ落とした最小限の音色によるシンプルなアルバムが誕生。ポップでもカントリーでもなく、彼女にとっては未知の領域ともいえるインディー・フォーク系へと進化した。商業主義とは掛け離れたオルタナティヴなアプローチが絶賛を浴びている。またしても意表を突き、従来のファンのみならず耳の肥えた大人のリスナーたちを熱狂&感嘆させている。〈ツアーができなければ、この状況を活用してアルバムを作っちゃおう〉とサッサと切り替えるという、そんな柔軟性や判断力も、彼女を長きにわたってスターたらしめ前進させてきた、大きな原動力ではないかと思われる。
若すぎた彼女
テイラー・アリソン・スウィフトは89年12月13日、アメリカ東部のペンシルヴァニア州で誕生。金融界で成功した両親も音楽好きだったが、彼女が音楽家のDNAを受け継いだのは主に母方の祖母から。プロのオペラ歌手だったという祖母の影響で、彼女も幼い頃から歌や演劇に夢中になり、ディズニー映画のテーマソングを歌ったり、ポエムを書き綴っていたという。
最初の大きな衝撃はカントリー・シンガーのリアン・ライムスのアルバム『Blue』だった。13歳の時に発表した同作で、リアンはグラミー賞の最優秀新人賞などを受賞している。当時6歳だったテイラーは大いに触発され、カントリー・ミュージックに開眼。シャナイア・トゥエイン、フェイス・ヒル、つい先頃ザ・チックスに改名したディクシー・チックスなどを聴きまくったそうだ。10代に入ると地元のスポーツ・イヴェントやコンテストなど、歌える機会があればどこにでも顔を出し、マイクを握って国家などを歌っていた。
本気でプロになりたい、と決心してからはアコースティック・ギターを習い、曲作りのノウハウを修得。母親に頼み込み、大小レコード会社のひしめくカントリー・ミュージックの聖地ナッシュヴィルへと向かい、デモテープを配り歩いていたのは11歳の頃。その行動力たるや舌を巻くしかない。彼女の才能を信じる家族のサポートも絶大だった。足繁くナッシュヴィルに送り迎えしてくれた母。父親はやがて転勤を申し出て、一家でナッシュヴィルへと移住を果たしている。
とはいえ、もちろん音楽業界はそう甘くはない。ひとつには、彼女が若すぎることだった。男女の恋愛を歌うカントリー・ミュージックのファンは主に大人で、少女が歌ってもウケるはずがないと業界では信じられていたのだ。ぬか喜びや挫折も経験したし、紆余曲折を余儀なくされた。が、ついに幸運の女神は微笑み、ライブハウスで歌っているところを見初められる。元ユニバーサル・ナッシュヴィルのスコット・ボーチェッタが立ち上げる予定の新レーベル、ビッグ・マシーンの第1弾アーティストにならないかと誘いを受けたのは、彼女が14歳の時だった。