今年デビュー10周年を迎えて、新レーベル、hermineを立ち上げたシンガー・ソングライターの青葉市子。そのhermineからリリースされた新作『アダンの風』は、南の島に滞在していたときに思いついた物語をもとに架空のサウンドトラックとして制作された。

これまでの青葉のアルバムは、彼女の部屋に招待されるような親密な作品だったが、今回は少し趣がちがう。インストゥルメンタルとヴォーカル曲が混ざり合い、ストリングスやフルート、ハープなど多彩な音色がアルバムを彩っている。〈部屋〉の窓は外の世界に開かれていて、タイトルどおりに心地よい風を感じさせるような作品だ。青葉は島の生活でどんなことを感じて、どんな想いをアルバムに託したのか。

取材を始めるとき、青葉はクッションが効きすぎるソファーから立ち上がると、「このほうが話しやすいので良いですか?」と床に敷いてあるカーペットに座って微笑んだ。それじゃあ、僕も、とカーペットに座ると、風景が変わって見えた。リラックスして穏やかな風を感じるなかで、アルバムについて話を訊いた。

青葉市子 『アダンの風』 piano/hermine(2020)

 

沖縄、発光生物、クジラ、そして太陽のような木の実

――『アダンの風』は、沖縄の島での滞在から着想を得たそうですね。

「はい。今年1月に沖縄本島と慶良間諸島の座間味島、そして久高島に行きました。3月は奄美大島と加計呂麻島。夏に石垣島へ、9月にもう一度奄美大島へ渡りました」

――いろいろ行かれたんですね。島を巡ろうと思ったのはどうしてですか?

「草月ホールでのコンサート※1の直後に次の創作の構想を練ろうと思って、静かなところに身を置きたいと思っていました。ちょうどその頃、『& Premium』で連載※2を始めることになったり、『ユリイカ』(2020年3月号)特集の巻頭撮影があったりと、いろいろな要素が重なっていて」

※1 2020年1月11日に開催された〈“gift” 青葉市子 10th anniversary concert I〉
※2 青葉市子と写真家の小林光大による〈Choe〉

〈“gift” 青葉市子 10th anniversary concert I〉のライブ映像。同日の演奏はライブ・アルバム『“gift” at Sogetsu Hall (Live)』でも聴ける。配信リンクはこちら

――では、新型コロナとは関係なくて。

「その前ですね。当時はまだ、なにか疫病があるらしい、といった感じでした」

――なぜ、〈静かなところ〉として島を選んだのでしょう?

「2015年に役者として出演したマームとジプシーの『cocoon』が戦時中の女学生たちのお話で、沖縄が舞台でした。それまでは〈南の島〉に対して特別な思いはなかったのですが、『cocoon』で訪れて滞在したときに、なにかを深く思い出すような感覚があり、近く感じるようになっていったのだと思います」

――〈島〉のどんなところに惹かれますか?

「原始の感じというか、生き物として情報をダイレクトに感じられると思いました。

1月頃、生物が発光することについて考えていたんです。東京の水族館で発光生物の展示を見たとき、はっとして。〈そっか、生き物って光るんだ〉って。プランクトンのような小さな生物が光りはじめた理由は、自分が〈個〉であること、〈私はここにいるよ〉と存在を証明するサインを出すためだったんだそうです。

そういった〈最初の光〉みたいなもの、なにかそういう力を、島の土地やそこで吹いている風から感じ取っていました。

あと、〈クジラ〉というキーワードもありました。去年の夏から秋にかけて、石巻市の鮎川(浜)という捕鯨が再開された土地に滞在していたんです。そこで、ツチクジラの解体を毎晩のように見学しました。冬になるとクジラたちは暖かい海のほうへ移動するので、彼らを追いかけて、南でも会えたらいいな、という気持ちもあって」

――そうやって島に滞在しているうちに、アルバムのアイデアが浮かんだ?

「そうですね。1月、沖縄に滞在しているあいだに写真家の小林光大さんと合流して、座間味島や久高島を回りました。

座間味で車を借りて走っているとき、小林さんがなんの気なしに木に成っている実を指差して〈アダンです〉とおっしゃったんです。そう言われて上のほうを見ると、ゴツゴツとした手榴弾のようなオレンジの実が木に成っていました。まるで、太陽がそのまま成っているようで。それを見たときにはっとして。物語の種のようなものが生まれた気がしました」

――(アダンの実の写真を見て)パイナップルのようですね。

「でも、パイナップルのように甘くなくて、渋くて薄い柿みたいな味が、するのかしないのか……。昔は食べたり、神様のお供えものとして料理したりしていたそうなのですが。

その後、離島から那覇に戻り、居酒屋さんで海ぶどうを食べていたときのことです。お箸で海ぶどうを掴んで光に透かして見たときに、小さな実のひとつひとつが弾けて身体に入ってくるような感覚がありました。その景色がトリガーだったんですよね。小さな光る生き物がそこいらじゅうにいるイメージが浮かんできて、一気に物語が始まりました。

テーブルの上の海ぶどうや泡盛を横にどけて書きはじめたのが、〈その島には言葉がありませんでした〉という一文です。そこから『アダンの風』のプロットを書きはじめました」

 

島流しに遭う少女の物語

――そのプロットがアルバムの軸になった?

「そうですね。今回、共同作曲家として一緒に制作をしていただいた梅林太郎さんが、〈プロットがあったほうが曲を作りやすい〉とおっしゃったので、楽曲を作るにあたってのイメージを書き溜めていきました。梅林さんが作った楽曲を聴いて、相乗効果的にさらにプロットが進んでいくこともありました。

プロットを簡単に説明すると、少女がある島からある島へ島流しに遭う、という物語です。

まず、〈霧鳴島(キリナキジマ)〉という離島があり、島の集落は近親交配で純血を保っていました。少女は、その集落の出身です。オスとメスが同居している木の交配は簡単だけど種が弱いように、近親交配だと人間も弱くなってしまう。そういった理由から、少女の面倒を見ていたおばあちゃんが彼女に希望や期待を託して、ちがう島に送ることにしました。純血ではなく混血になったとしても、自分たちの種が受け継がれていくようにと。そうして送られた先が〈アダンの島〉で、少女はそこで〈クリーチャー〉たちと出会う――『アダンの風』は、その物語に捧げたサウンドトラックです」

――音楽で物語を伝えるアルバム?

「はい。たとえば、少女が乗った舟を集落の人たちが波に乗せて〈えーい〉と押し出すシーンの背景には、ちょっと不穏なオルガンの持続音が鳴っているはず。風の〈ゴー〉という音は、ふいごを使って実際に風を吹き込む楽器で表現したい。〈クリーチャー〉が歩く音は貝殻が弾ける音かな、とか。たとえば、『スター・ウォーズ』にはキャラクターのテーマ音楽があるじゃないですか。ああいったイメージで、少女や〈クリーチャー〉のシーンにはそれぞれの音を与えようと考えていました」

――本当にサウンドトラックなんですね。少女を象徴する音はなんだったんですか?

「少女は〈=風〉でもあるから……声でしょうか」

――なるほど。これまでの青葉さんの作品は、小さな灯りがともっている秘密の部屋へと案内してくれるようなイメージでした。でも、今回は部屋の窓が開いていて、部屋と外の世界とを自由に行き来しているようで、梅林さんのアレンジやエンジニアの葛西敏彦さんのミックスが果たしている役割の大きさを感じました。

「梅先生(梅林)とも葛西さんとも、プロットについてずーっと、ひたすら話しつづけていました。あと、写真家の小林光大さん。制作の真ん中にプロットがあり、4人が軸になってアルバムを作り上げていきました。

でも、映画自体はまだ存在しないのでサウンドトラックでもないし、いわゆるイメージ・アルバムでもない。〈私たちはなにを作っているんだろう?〉と話したおぼえもあります」

 

4人の船員たちと、かけらを集めて組み合わせていく

――今回、梅林さんをパートナーに選ばれたのはどうしてだったんでしょうか?

「1月にリリースした“守り哥”というシングルで作曲を担当していただいたのがきっかけです。それ以前もご一緒する機会はあったのですが、直感的に、でしょうか。

“守り哥”を作ったときに、詞の世界への理解やイメージの共有がとてもスムーズだったんです。それだけではなく、詞に書いてはいないけれど歌声で表現したいことや、言葉や歌声でも伝えきれないことを楽器でどう補完するかなど、細かなことまで瞬時に共有できたことが大きかったです。なので、シングルだけでなく、大きな作品としてアルバムも一緒に作ってみたいという気持ちになりました」

2020年のシングル“守り哥”。作編曲は梅林太郎

――これまでの青葉さんの作品と比べると、『アダンの風』にはたくさんの楽器の音が入っていますよね。

「ファースト・アルバムの頃から、弾き語りで表現をしているときからずっと、私の脳内には楽器の音のイメージがありました。〈ここでオーボエがこういう旋律を吹いて、ここでファゴットがきて、ここからストリングスで〉というふうに。だけど、アウトプットの身体がひとつしかないので、最終的な出口は声とギターになっていた。

楽器の仕組みや楽譜についての専門的な知識を持っている方、楽器奏者への共有方法を勉強した方がいてくださると、きっともっとイメージに近い作品を作れると以前から願っていて、そんななかで梅先生とのご縁があってご一緒させていただけることになったのです」

――葛西さんに作曲の段階から入ってもらったのは、どうしてだったんですか?

「作品を作るにあたって自然と、ですね。今回の作品では、音楽家が作ったものをエンジニアに録ってもらう、という一般的なレコーディングの流れが成立しないほど物語の力が強く、選ばれた制作陣には物語の強度を保ったまま作品に落とし込むことが求められました。物語が私たちにそうさせていた、とも言えます。

葛西さんには今回、いろいろな種類のマイクを一度にたくさん立てて、ひとつのテイクから複数の素材を選べるようにしてもらっていました。映像は存在しないけど、いかに映像が浮かび上がる音像にするか、ということにひたすら挑んでいたのです。

最終的にはひとつの音楽になりますが、それぞれのアイデアが集まって音になっていくので、葛西さんに限らず、作曲の段階からこの制作陣で集まって話していなかったら、こういった作品は生まれていなかったと思います」

――写真家の方がそこに加わっていることがおもしろいですよね。小林光大さんはどういう役割を果たしたんでしょう?

「小林さんは、私がプロットを書きはじめたときから一緒にいてくださいましたし、沖縄の日々を切り取ってもらってもいました。小林さんの写真をもとに、梅先生が曲を書くこともありました。梅先生が書いてくださった曲のデモを持って小林さんともう一度加計呂麻や奄美へ行き、車のなかで曲を聴きながら島を回って、〈こういう画が撮れるね〉と相談したり。

みんながそれぞれかけらを集めて、それらをひたすら組み合わせていく作業の様子は、ひとつの船に乗って、それぞれが持ち場で舵を取りながら、それぞれの視点で宝物を集めてくる船員たち、といったような感じでした」

 

“血の風”に込められたおまじない

――プロットと歌詞の関係性はどんなふうに考えられていたんですか?

「とても密接ですね。プロットは読むためのものというよりは、伝わりやすくするための……」

――あらすじのような?

「そうですね。もし、この映画にパンフレットが存在するとしたら、そこに載せたい文章というようなイメージで綴りました。それに対して歌詞は、読んで理解するものというより、感じ取る領域の言葉を使っています」

『アダンの風』収録曲“Porcelain”。ミュージック・ビデオは奄美大島で撮影されている。監督は小林光大

――“血の風”の歌詞は沖縄の言葉のようですが……?

「はい。ミュージック・ビデオ(“Porcelain”)の撮影で奄美に行く前日、資料を見直していたときにはっと目に留まったのが、この歌詞のもとになった〈おまじない〉でした。資料をたくさん読みこんで見つけたというよりも、本当にたまたま開いたところに載っていたもので。

『アダンの風』収録曲“血の風”

その資料というのは、1925年に佐喜真興英さんという方が書かれた『シマの話』という本です。ユタさんやノロさんが唱えていたおまじないを研究された本で、その〈沖永良部島の言葉〉というカテゴリーに、子どもに発疹が出来てしまったときに唱えるものとして載っていたんですね――〈チヨ チヨ 〇〇 ヤラワン 〇〇 ヤラワン ナー ミチ ミチ ンカイイキ〉というおまじないが。〈ヤラワン〉は〈〇〇であったとしても〉という意味で、〈〇〇〉の部分には発疹や病気の種類が入ります。それを現代でも伝わるようにアレンジをして、“血の風”の歌詞にしました。

プロットにおいて“血の風”は、クリーチャーたちが朝日の昇る浜からひとりひとり小さな炎となって舞い上がり、その姿であることを辞めることをみずから選んでいくシーンです。

“血の風”の歌詞の〈フーヤメ〉は、〈疫病〉〈流行っている病気〉。〈ウトゥルシャ〉は〈とても激しい〉で、〈ハミドゥル〉は〈神様が鳴る=雷〉。〈ヤミユ〉は〈暗い夜〉。〈ナー ミチ ミチ ンカイイキ〉は〈それでもおまえの道を行きなさい〉という意味です※。もちろん島によっても表現がちがうでしょうし、独学なので私の解釈が混ざっていると思いますが、でもこれは2020年のいまもきっとおまじないとして響くんじゃないかなと思って書きました」

※以下、『アダンの風』のプロットより“血の風”の訳詞の引用

血よ、血よ、
疫病あれど
激雷あれど
闇夜あれど
己の道をゆけ
愛しき夢、愛しき夢
光る花の宿借りよ

――いまの時代にぴったりのおまじないですね。青葉さんが歌うことで言霊が宿りそうです。

「葛西さんは、この曲に関してとてもいいアイデアをくださって。ヴォーカルにリヴァーブをかけないことによって、まるですぐ横で歌っているかのような音の作り込み方をしています。梅先生は、島で朝焼けのなかに立っているときに、ぬるい潮風がゆっくり肌を撫でていくような感覚をコーラスで出したいと言っていました。そういうふうにどんどんアイデアが重なって、ひとつの歌が生まれています」

――“Easter Lily”や“Parfum d’étoiles”では島唄風の旋律が聴こえてきました。

「そうですね。微かに香るくらいの感じで沖縄の音階を入れられたらいいよね、という話を梅先生としていました。

沖縄だけでなく、インドネシア・バリのガムランの音階やブルガリアン・ヴォイスの響きなど、いろいろな土地のハーモニーをすこしずつ差し込んでいます。梅先生の素晴らしいアイデアによって、思い描いている像により近づくことができたのです」

『アダンの風』収録曲“Easter Lily”

――〈思い描いている像〉というと?

「〈島〉といっても、実在する島のことを表現したものではないんです。本当の〈島〉は、どこかにあって、私たちが足を延ばして行くようなものではなくて、もうすでに心のなかに存在しているんです。

それをわかりやすい形で表現するために『アダンの風』という南の島をコンセプトにしたものを作りましたが、これは入り口に過ぎなくて、そこから自分のなかにある島へ戻るように、旅をするように、アクセスするように――『アダンの風』という物語がそこへ導く舟になれたらいいな、という願いがあります」

 

誰にでも、どんなものにも等しく吹く風

――青葉さんが思い描いている〈島〉はどんな場所ですか?

「(考えこんで)……言葉や、歴史や、文化みたいなものよりも、もっと前からある〈風〉の気配――それがある場所が〈島〉ですね」

――〈風〉が吹く場所?

「はい。目を閉じて〈島〉を思い浮かべると、必ず〈風〉が舞っている感覚になります。〈風〉って、常にお便りのようなものを運んでいて、私たちの気持ちをとっても鮮明に、まるでクジラたちが海中でエコロケーション(反響定位)するように、よくよく伝えてくれるものだと思っています。

太陽に近い南の島の風は、暖かくて柔らかい。温度が体温に近いので、その風に吹かれると、撫でられているような気持ちになります。目には見えないけど、〈風さん〉みたいな。小さい頃に母親に撫でてもらったことを思い出すような、他人の皮膚の感覚と島の風は近い気がする。それがなによりも、言葉よりも、言ってみれば音楽よりも、ずっとずっとダイレクトに入ってきて、根源に流れている大切なことを伝えてくれるんです」

――たしかに風を感じると、誰かに語りかけられている気がします。

「2020年は疫病のことだけではなくて、たとえば人種差別の問題などが取り上げられて、なにかが渦巻いているようでした。そんななかで、風や風通しのよさの重要性をとても感じていたんです。人と人、生き物と生き物、建物と建物が密集してしまったところに、風が通るだけでそれらを守ってくれて、居心地のよい状態へと導いてくれます。

風って、誰にでも、どんなものに対しても等しく吹いている大きいものだから、たとえ〈個〉同士がちがうことを考えていたとしても、風はすべてを包みこんで吹いていますよね。風が吹いているだけで、こんなにも人々は穏やかになれるんだって。その風が、北風よりは、暖かくて穏やかな、人肌のような風であるといいかなと思うんです。そういうことを2月頃から、4月に緊急事態宣言が出たときも、ずっと考えていました」

 

〈時空の駅〉としての『アダンの風』

――ジャケットの写真は、青葉さんが滞在されていた島の海ですか?

「八重山諸島の石垣島の海ですね」

――裸で泳いでみたくなるような美しい海ですね。

「ぜひそうしてください。怒る人がいないときを見計らって(笑)。ぜんぜんちがいますよ。波などを遮るものがないので、どんどん感覚が開いていって、〈次の波はこういう強さでくるな〉とか、だんだんわかってくるんですね。泳ぎなんてできないと思っていたのに、素潜りをしていると身体の動かし方がわかってきて、自由に泳げるようになりました。学校で教わる泳ぎ方じゃなくて、ただ身体をくねらすだけでも、ちゃんと波に乗れるようになったんです」

――本能に従って泳いでいた(笑)。

「私たち、もともと魚でしたものね。

この浜は石垣牛が放牧されている場所で、牛たちしかいない海だったのですが、そこで不思議だけれど、とても自然な光景を目にしました。放牧なので、牛が自然に死んでしまっていたんですね。でも、そこには蛆たちが生きていたんです。そこに牛が死んでいるという事実よりも、たくさんの小さな生き物たちがとてつもない生命力で生きていることに、ある種よろこびとも言えるものを強く感じました。地球全体で生命が循環している、私たちもそのなかのひとつだ、という感覚です」

――今回、アルバムに流れる〈時間〉の豊かさを感じました。抽象的な話ですが、制作中〈時間〉について意識されましたか?

「これまでの弾き語り作品が〈部屋〉だとしたら、この『アダンの風』という作品は〈駅〉のようなものとして作っていました。その〈駅〉というのは、東京駅のようにたくさんの線路が交わっている場所です。ひとつひとつの線路は誰かの人生の時間の流れでもあり、あるいは時間や場所でもあります。たとえば、1925年に書かれたものが、いままた歌になってよみがえるように。〈時空の駅〉と言いますか、たくさんの時間や場所が、ひとつの駅で交わっているような作品として作っていました。

制作中、ふと〈これ、300年後の『クリーチャー』たちに聴いてほしいね〉という話をしたこともありました。私たちが生きているのはやっぱり〈いま〉であって、アルバムに吹き込まれているのはいまの息吹ではあるのですが、現代の人たちだけのために作っているわけではなくて。私たちの身体がそのうち粉々になって、海や雨に溶けて風のようになったとき――そのときに生きているのが人間なのか別の生き物たちなのかはわかりませんが、誰かがこのアルバムになにかのきっかけで触れて〈あっ〉と感じたときに私たちは生き返る。そういった、大きな時間へ向けての創作でもありました。あらゆる〈クリーチャー〉たちに向けたラブレターというか」

 

歌を手渡しする

――ぜひ、〈クリーチャー〉たちにこのアルバムを聴いてほしいですね。これからの時代、人間以外の視点が重要になってくるでしょうし。今年、青葉さんはデビューされてから10年という区切りを迎えられましたが、そこで自主レーベル〈hermine〉を立ち上げられたのは、どういった経緯だったんでしょうか?

「作り手と聴いてくださる方との距離が、なるべく短いものであるようにしたかったんです。広げていくことよりも、自分の大事な人になにかを伝えるときと同じ距離感で作品を伝えたかった。いろいろな経験を経て、より一層そう感じるようになっていきました。

私にとっていましっくりくるやり方は、手で作ったものをそのままの状態で(両手を差し出して)こうやって手渡しすること。そのためには自分でレ-ベルを作って、世界観をある程度守るとか、そういったことが大事なんじゃないかなと思ったからです」

――それを実現するために、具体的に心がけていることはありますか?

「プレス・リリース(媒体に渡す資料)なども、私が確認して修正しています。みなさまの目に触れるものはできるだけ私が見て、自分で手を加えたり、修正したりする。もちろん追いつかないときもありますので、そういうときはスタッフのみなさまにちゃんと伝えて共有してから、各々の役割のなかでやってもらっています」

――なるほど。青葉さんの想いを、できるだけフィルターがかからない状態で聴き手に伝えたい、届けたい、という想いが強くなったんですね。

「私自身も、そういうものが好きなんですよね。歌って、そういうものですから。歌い継いでいくこととか、歌い継がれてきたものとか。

いま、七尾旅人さんとの思い出を思い返していました。リリースされて、巡り巡ってきた旅人さんの作品を聴いているときも、楽しいひとときではあるんです。でも、圧倒的に深く残っているのは〈市子、ちょっと来て。こういう曲が出来たんだ〉と目の前で歌を聴かせてくださった、あの体験なんです。その曲を〈歌い継いでいってもいいよ〉と言っていただけたときは、歌の鎖を繋ぐような、歌の大事な命を引き継いだような、そういう感覚をおぼえました。それが私の人生のなかで、とっても大事な部分なんです。

この作品を手に取ってくれる人たちにも、できるだけその手渡しの温度感が保たれた状態で届くといいなと思っています」

――歌を聴くことは、自分の生活や人生に刻み込まれる体験にもなりますからね。

「でも、作品を受け取るほうは案外、作り手の意思などはわからなくてもよかったりしますよね。さっき言ったことを、ちゃぶ台を返すようですが(笑)。

ただ、作品への手のかけ方や、作っている人たちの間で交わされる会話にどれだけ作者本人が参加しているか――そのエネルギーは、受け取り手へとそのまま運ばれていくんじゃないかなと思います。ちょっと、おまじないのようなことかもしれませんが」

――きっと、そういうエネルギーは伝わると思います。音楽は気持ちを伝えるものですし。

「同じ言葉でも、どういう声音で伝えるか、どういう気持ちを込めて話すかによって、ぜんぜんちがう力を持つ。私たちは本当に、なんてものを扱って生きているのだろうと思います。それが恐ろしくもあるし、それで通じあえていることが奇跡的でもある。プロットの最初に〈その島には言葉がありませんでした〉と書いたのは、そういうことなのかもしれませんね」

――最近はLINEやTwitterなど、短文でのやりとりが増えましたが、言葉を粗末に扱うことが他者への猜疑心や分断を生み出しているような気もしますね。

「そうですね。やっぱり、そこにも風が吹いていてほしい、という気持ちがあります。言葉と言葉のあいだにも、風が通ってほしいですね」

 

音が話したいことを紡ぐ

――そういったことをふまえて、青葉さんが歌詞を書くときに大切にしていることはありますか?

「言葉が持っている音、みんなが使いこんだ言葉に染みこんでいる音階やフレーズみたいなものがあるじゃないですか。言葉を発するとき、おのずと声という音や旋律が伴いますよね。だから歌詞を書くことは、なにを語りたいかよりも、できるだけ音が行きたい方向から大きく外れない言葉を選んであげること、音がもし言葉を持っていたら話したいであろうことを紡ぐ仕事だと思っています。音に対して耳を澄ます、と言いますか。

〈歌〉って伝えるためのものだから、伝わらないと意味がないんです。歌詞は、受け手がそこに入っていきやすい状態にする役割を担うと思って書いています」

――なにかメッセージを伝えるというより、曲のイメージを知るための手がかりみたいなものなんですね。

「今回のアルバムはいろいろな時空や人々の駅のような場所にしたかったので、〈私の願いはこれです〉と差し出すよりも、落ちている貝がらを見つけて拾ったらこういう言葉が聞こえてきそうだなとか、そういう表現の仕方なんです。発光する生物は〈光る〉という表現をしたけど、それがもし言葉や歌詞になったとしたら、こういうことが言いたかったんじゃないかな、とか。

自分がなにかを表現したいと思っても、身体ってそこまで言うことを聞いてくれないんです。たとえば、レコーディングの前日に扁桃炎になって高熱が出たこともありました。“Dawn in the Adan”や“Hagupit”は扁桃腺に激痛を感じるなかで歌っているんです(笑)。私が〈こうしたい〉ということよりも、状況が表現させてくれることのほうが圧倒的に多い。状況に従って歌わされる、と言いますか」

『アダンの風』収録曲“Dawn in the Adan”

――では、青葉さんの身体は状況が奏でる楽器みたいなもの?

「そうですね。ツールでしかないように感じます」

 

音楽家という天命

――10年という節目にきて、音楽活動を振り返って思うことってありますか?

「いままでどおり、でしょうか。……〈続けなくては〉というか、〈続いていくのだろうなあ〉という感じですね」

――デビューされた頃は、〈ミュージシャンとして食べていけるようになりたい〉とか、そういう強い思いを持っていたわけではないですよね?

「まったくないですね。むしろ拒否していたくらいです。どうにかしてデビューしたくない、って(笑)。

ただ、さっき言ったように、自分が考えていることよりも状況のほうが圧倒的に強いんです。ちょっと語弊があるかもしれませんが、どうにもならないんですよね。なにかこう、連れていかれるような、音楽というものに使われる身というか。

音楽や作品という〈脈〉のなかを通るひとつの〈管〉としての役割を感じているんです。身体のなかを音楽や作品たちがよどみなく通過していけるように調整したり、様子を見たり……。そういうことを意識して日々暮らしていくのが大事なんじゃないかと思いました」

――最近は、その役割を受け入れられるようになってきた?

「そうですね。どこかのタイミングで〈従うしかない〉という諦めに近いものを感じました。〈これだけ拒んでも離してくれない音楽の存在って、なんなんだろう?〉とびっくりしたんですよね」

――きっと、音楽は青葉さんのことをしばらく離してくれないと思いますよ(笑)。

「自分が〈管〉であることが徐々にわかってきたんですね。それぞれの命に授けられた役割のようなものがあると思うんです。たとえば、私が考えていることをみなさんにわかりやすく伝えるには、こうやって話を訊いてくれる方が絶対に必要です。もし私一人だったとしたら、こんなにお話しできませんでした。そうやって、それぞれが与えられた役割をまっとうする。

この人生において私が与えられた役割は、歌うことなんですよね。これだけ音楽に誘われているんだったら、天命だと思って使われよう、と思っています」

 


EVENT INFORMATION
Ichiko Aoba Exhibition “Windswept Adan”
2020年12月4日(金)~2021年1月31日(日)東京・代官山 蔦屋書店3号館 2階 音楽フロア
主催:代官山 蔦屋書店
共催・協力:株式会社 スペースシャワーネットワーク
お問い合わせ:03-3770-2525
https://store.tsite.jp/daikanyama/event/music/17314-1330391123.html