今年デビュー10周年を迎えて、新レーベル、hermineを立ち上げたシンガー・ソングライターの青葉市子。そのhermineからリリースされた新作『アダンの風』は、南の島に滞在していたときに思いついた物語をもとに架空のサウンドトラックとして制作された。
これまでの青葉のアルバムは、彼女の部屋に招待されるような親密な作品だったが、今回は少し趣がちがう。インストゥルメンタルとヴォーカル曲が混ざり合い、ストリングスやフルート、ハープなど多彩な音色がアルバムを彩っている。〈部屋〉の窓は外の世界に開かれていて、タイトルどおりに心地よい風を感じさせるような作品だ。青葉は島の生活でどんなことを感じて、どんな想いをアルバムに託したのか。
取材を始めるとき、青葉はクッションが効きすぎるソファーから立ち上がると、「このほうが話しやすいので良いですか?」と床に敷いてあるカーペットに座って微笑んだ。それじゃあ、僕も、とカーペットに座ると、風景が変わって見えた。リラックスして穏やかな風を感じるなかで、アルバムについて話を訊いた。
沖縄、発光生物、クジラ、そして太陽のような木の実
――『アダンの風』は、沖縄の島での滞在から着想を得たそうですね。
「はい。今年1月に沖縄本島と慶良間諸島の座間味島、そして久高島に行きました。3月は奄美大島と加計呂麻島。夏に石垣島へ、9月にもう一度奄美大島へ渡りました」
――いろいろ行かれたんですね。島を巡ろうと思ったのはどうしてですか?
「草月ホールでのコンサート※1の直後に次の創作の構想を練ろうと思って、静かなところに身を置きたいと思っていました。ちょうどその頃、『& Premium』で連載※2を始めることになったり、『ユリイカ』(2020年3月号)特集の巻頭撮影があったりと、いろいろな要素が重なっていて」
――では、新型コロナとは関係なくて。
「その前ですね。当時はまだ、なにか疫病があるらしい、といった感じでした」
――なぜ、〈静かなところ〉として島を選んだのでしょう?
「2015年に役者として出演したマームとジプシーの『cocoon』が戦時中の女学生たちのお話で、沖縄が舞台でした。それまでは〈南の島〉に対して特別な思いはなかったのですが、『cocoon』で訪れて滞在したときに、なにかを深く思い出すような感覚があり、近く感じるようになっていったのだと思います」
――〈島〉のどんなところに惹かれますか?
「原始の感じというか、生き物として情報をダイレクトに感じられると思いました。
1月頃、生物が発光することについて考えていたんです。東京の水族館で発光生物の展示を見たとき、はっとして。〈そっか、生き物って光るんだ〉って。プランクトンのような小さな生物が光りはじめた理由は、自分が〈個〉であること、〈私はここにいるよ〉と存在を証明するサインを出すためだったんだそうです。
そういった〈最初の光〉みたいなもの、なにかそういう力を、島の土地やそこで吹いている風から感じ取っていました。
あと、〈クジラ〉というキーワードもありました。去年の夏から秋にかけて、石巻市の鮎川(浜)という捕鯨が再開された土地に滞在していたんです。そこで、ツチクジラの解体を毎晩のように見学しました。冬になるとクジラたちは暖かい海のほうへ移動するので、彼らを追いかけて、南でも会えたらいいな、という気持ちもあって」
――そうやって島に滞在しているうちに、アルバムのアイデアが浮かんだ?
「そうですね。1月、沖縄に滞在しているあいだに写真家の小林光大さんと合流して、座間味島や久高島を回りました。
座間味で車を借りて走っているとき、小林さんがなんの気なしに木に成っている実を指差して〈アダンです〉とおっしゃったんです。そう言われて上のほうを見ると、ゴツゴツとした手榴弾のようなオレンジの実が木に成っていました。まるで、太陽がそのまま成っているようで。それを見たときにはっとして。物語の種のようなものが生まれた気がしました」
――(アダンの実の写真を見て)パイナップルのようですね。
「でも、パイナップルのように甘くなくて、渋くて薄い柿みたいな味が、するのかしないのか……。昔は食べたり、神様のお供えものとして料理したりしていたそうなのですが。
その後、離島から那覇に戻り、居酒屋さんで海ぶどうを食べていたときのことです。お箸で海ぶどうを掴んで光に透かして見たときに、小さな実のひとつひとつが弾けて身体に入ってくるような感覚がありました。その景色がトリガーだったんですよね。小さな光る生き物がそこいらじゅうにいるイメージが浮かんできて、一気に物語が始まりました。
テーブルの上の海ぶどうや泡盛を横にどけて書きはじめたのが、〈その島には言葉がありませんでした〉という一文です。そこから『アダンの風』のプロットを書きはじめました」