Page 4 / 5 1ページ目から読む

〈時空の駅〉としての『アダンの風』

――ジャケットの写真は、青葉さんが滞在されていた島の海ですか?

「八重山諸島の石垣島の海ですね」

――裸で泳いでみたくなるような美しい海ですね。

「ぜひそうしてください。怒る人がいないときを見計らって(笑)。ぜんぜんちがいますよ。波などを遮るものがないので、どんどん感覚が開いていって、〈次の波はこういう強さでくるな〉とか、だんだんわかってくるんですね。泳ぎなんてできないと思っていたのに、素潜りをしていると身体の動かし方がわかってきて、自由に泳げるようになりました。学校で教わる泳ぎ方じゃなくて、ただ身体をくねらすだけでも、ちゃんと波に乗れるようになったんです」

――本能に従って泳いでいた(笑)。

「私たち、もともと魚でしたものね。

この浜は石垣牛が放牧されている場所で、牛たちしかいない海だったのですが、そこで不思議だけれど、とても自然な光景を目にしました。放牧なので、牛が自然に死んでしまっていたんですね。でも、そこには蛆たちが生きていたんです。そこに牛が死んでいるという事実よりも、たくさんの小さな生き物たちがとてつもない生命力で生きていることに、ある種よろこびとも言えるものを強く感じました。地球全体で生命が循環している、私たちもそのなかのひとつだ、という感覚です」

――今回、アルバムに流れる〈時間〉の豊かさを感じました。抽象的な話ですが、制作中〈時間〉について意識されましたか?

「これまでの弾き語り作品が〈部屋〉だとしたら、この『アダンの風』という作品は〈駅〉のようなものとして作っていました。その〈駅〉というのは、東京駅のようにたくさんの線路が交わっている場所です。ひとつひとつの線路は誰かの人生の時間の流れでもあり、あるいは時間や場所でもあります。たとえば、1925年に書かれたものが、いままた歌になってよみがえるように。〈時空の駅〉と言いますか、たくさんの時間や場所が、ひとつの駅で交わっているような作品として作っていました。

制作中、ふと〈これ、300年後の『クリーチャー』たちに聴いてほしいね〉という話をしたこともありました。私たちが生きているのはやっぱり〈いま〉であって、アルバムに吹き込まれているのはいまの息吹ではあるのですが、現代の人たちだけのために作っているわけではなくて。私たちの身体がそのうち粉々になって、海や雨に溶けて風のようになったとき――そのときに生きているのが人間なのか別の生き物たちなのかはわかりませんが、誰かがこのアルバムになにかのきっかけで触れて〈あっ〉と感じたときに私たちは生き返る。そういった、大きな時間へ向けての創作でもありました。あらゆる〈クリーチャー〉たちに向けたラブレターというか」

 

歌を手渡しする

――ぜひ、〈クリーチャー〉たちにこのアルバムを聴いてほしいですね。これからの時代、人間以外の視点が重要になってくるでしょうし。今年、青葉さんはデビューされてから10年という区切りを迎えられましたが、そこで自主レーベル〈hermine〉を立ち上げられたのは、どういった経緯だったんでしょうか?

「作り手と聴いてくださる方との距離が、なるべく短いものであるようにしたかったんです。広げていくことよりも、自分の大事な人になにかを伝えるときと同じ距離感で作品を伝えたかった。いろいろな経験を経て、より一層そう感じるようになっていきました。

私にとっていましっくりくるやり方は、手で作ったものをそのままの状態で(両手を差し出して)こうやって手渡しすること。そのためには自分でレ-ベルを作って、世界観をある程度守るとか、そういったことが大事なんじゃないかなと思ったからです」

――それを実現するために、具体的に心がけていることはありますか?

「プレス・リリース(媒体に渡す資料)なども、私が確認して修正しています。みなさまの目に触れるものはできるだけ私が見て、自分で手を加えたり、修正したりする。もちろん追いつかないときもありますので、そういうときはスタッフのみなさまにちゃんと伝えて共有してから、各々の役割のなかでやってもらっています」

――なるほど。青葉さんの想いを、できるだけフィルターがかからない状態で聴き手に伝えたい、届けたい、という想いが強くなったんですね。

「私自身も、そういうものが好きなんですよね。歌って、そういうものですから。歌い継いでいくこととか、歌い継がれてきたものとか。

いま、七尾旅人さんとの思い出を思い返していました。リリースされて、巡り巡ってきた旅人さんの作品を聴いているときも、楽しいひとときではあるんです。でも、圧倒的に深く残っているのは〈市子、ちょっと来て。こういう曲が出来たんだ〉と目の前で歌を聴かせてくださった、あの体験なんです。その曲を〈歌い継いでいってもいいよ〉と言っていただけたときは、歌の鎖を繋ぐような、歌の大事な命を引き継いだような、そういう感覚をおぼえました。それが私の人生のなかで、とっても大事な部分なんです。

この作品を手に取ってくれる人たちにも、できるだけその手渡しの温度感が保たれた状態で届くといいなと思っています」

――歌を聴くことは、自分の生活や人生に刻み込まれる体験にもなりますからね。

「でも、作品を受け取るほうは案外、作り手の意思などはわからなくてもよかったりしますよね。さっき言ったことを、ちゃぶ台を返すようですが(笑)。

ただ、作品への手のかけ方や、作っている人たちの間で交わされる会話にどれだけ作者本人が参加しているか――そのエネルギーは、受け取り手へとそのまま運ばれていくんじゃないかなと思います。ちょっと、おまじないのようなことかもしれませんが」

――きっと、そういうエネルギーは伝わると思います。音楽は気持ちを伝えるものですし。

「同じ言葉でも、どういう声音で伝えるか、どういう気持ちを込めて話すかによって、ぜんぜんちがう力を持つ。私たちは本当に、なんてものを扱って生きているのだろうと思います。それが恐ろしくもあるし、それで通じあえていることが奇跡的でもある。プロットの最初に〈その島には言葉がありませんでした〉と書いたのは、そういうことなのかもしれませんね」

――最近はLINEやTwitterなど、短文でのやりとりが増えましたが、言葉を粗末に扱うことが他者への猜疑心や分断を生み出しているような気もしますね。

「そうですね。やっぱり、そこにも風が吹いていてほしい、という気持ちがあります。言葉と言葉のあいだにも、風が通ってほしいですね」