ZEUSというのは、自分を見張ってる何か
──なんとなくアルバム収録曲を追った話に移ってますが、順を追うと3曲目の“Foxy Love”。これはずいぶん昔に作られていた曲だそうですね。
「曲自体は十数年前に作っていて、ただその時点では〈イマっぽくないな〉と思ってストックしてたんです。作った当時よりもずっと前にさかのぼった気分、言っちゃえば渋谷系っぽい曲ではあるんで、それを今なら堂々とやってもかっこいいかなと思って。イマ風にぼかしてやるんじゃなく、歌詞とかもちょっと逃避行っぽい感じで、軽薄というか、特にメッセージ性を含ませない……それって渋谷系とかシティ・ポップの美学ですよね。そういうものの良さはあるなと思ってるし、悪く言えば字面を埋めてる感じというか、それっぽい言葉を並べてる。並べただけで何の個性も出ない曲もあるけど、一十三十一ちゃんみたいにすごく〈匂い〉が出る人もいる。そこに才能とかセンスが生きると思うので、僕も自分で歌詞を書く時に、そのジャンルで一回書いてみたいなと思ったんですよね」
──人物設定が若い感じですね。
「イメージとしては20代、30代の恋愛っていうか、今の自分ではない。もうちょっと無責任だった年頃で、起きる時間も寝る時間も日によってまちまち。2日間寝ない日もあって……っていう、そういう生活のカップルみたいな歌ですよね。思いつきで海に出かけてみたり、実際に自分がそういう生活を送ったっていうわけではないんですけど、なんか、確実に今よりはそういう部分はあったはずだから、そのへんのイメージでマス目を埋めた感じですね。
これを女の子に歌ってもらったらハマるんですけど、46歳の男がこういう世界を歌うことにも何か意味があるかなと思って、自分で歌いました。ただ、キーの選定はすごく迷いましたね。ちょっと低いんですよ。もっと高くしたほうが派手にはなって、ただやっぱその、嘘をついちゃいけないなってところもあって、やっぱリアルな今の僕が歌っている感じというのが、この高くもなく低くもないキーだったりするんです。
で、歌ってみたら、やっぱり華やかさが足りなくて(笑)。ここにヤングとしかいいようがない女性コーラスが入ったら、いいコントラストになるかな思って、コレサワさんを呼んだらすごくハマッて。この声がなかったらもっとモノクロームなものになったんじゃないかな。46歳と20代の女の子が恋愛しているような感じにも聞こえるし、なんかおもしろいバランスになったと思います」
──“ZEUS”という曲がありますけど、そもそもソロ名義をZEUSにしたのはどういう流れだったんですか?
「これはね、一十三十一ちゃんにアイデアをもらって。名義を決める時にずっと悩んでて、それこそ“それは、ウェンズデー”の打ち合わせでそういう話をしたら、いろいろ話を聞いてくれて。星座を訊かれた時に牡牛座って答えたら、〈ゼウスっていうのはどう?〉と。恋に落ちたゼウスが牡牛に姿を変えたとか、そういうエピソードがあるらしく、言われた瞬間にもう、それしかないと思って。ゼウスって響きが強そうだし、何か意味深そうだし、ZEUSってアルファベットで書いた時も見た目がすごくいいなと思って。ただ、難点は、普遍的な言葉過ぎて、エゴサーチに引っかからない(笑)」
──名義をタイトルに冠した曲ということで、奥田さん本来の姿というか、ギタリストとしての面を前に出した曲になりました。
「インストも何曲かやりたいなと思ってたので、これも最初は完全なギター・インストにするつもりだったんです。で、ギター・インストと言えば〈Mステ〉のテーマかなって(笑)。僕のなかのイメージとしては、サンダーキャットとか、ああいうジャズっぽいミュージシャンがテレ朝からオファーを受けて、〈Mステ〉のテーマ曲を書いてくださいって言われた時にどういう曲を作るのかな……っていうところを妄想して。
歌詞も自分で書いたんですけど、ソロを始めるにあたっての、もうひとつの自分との出会いみたいなものが歌になった感じですね。結局、ZEUSっていうのも自分自身のことというよりかは、自分を見張ってる何かっていう意識なんですよ。神の視点というか、空から俯瞰している感じというか、その見張っている何かがないとソロ・アルバムは完成しなかったと思うんです」
ゼウス(神)がデビルマン(悪魔)を歌う
──“ミッドナイト・シーサイド・テンダーレイン”では郷太さんが詞を書いてます。
「アルバムのなかではいちばんノーナっぽい曲だとは思うので、歌詞も郷太がいいなと思って。はじめは全部英語にしてもらおうと思ったんですけど、英語だけというよりは、英語多めの日本語詞のほうがいいんじゃないかって郷太が言ってきて」
──少年隊へのオマージュかと思いました(笑)。
「タイトルの出典※はそうでしょうね。まさか自分の作品に少年隊のエキスが入ってくるとは思いませんでした(笑)。サウンドのイメージはコーギスあたりの牧歌的なニューウェイヴというか、あとはウィークエンドの“Blinding Lights”だったりもするので、まあ、内容は少年隊とまったく違いますけど。
難しい歌詞だったりメロディーも細かいし、本来は歌いにくいのかも知れないですけど、さすがに勝手知ったるというか、歌いやすかったですね。実家の味噌汁を飲んでるみたいな。他人じゃないんだなって思いました(笑)」
※87年発表のシングル“君だけに”のB面に収められていた“ミッドナイト・ロンリー・ビーチサイド・バンド”
──その次の“マスク”は、人力R&Bとでも言えるようなスロウ・ナンバーで、入江陽さんの詞でヴォーカルも入江さん。ユルりとしたビートがエンドロール感を思わせる雰囲気で……って、このあとにもう1曲ありますが(笑)。
「これはとにかく、ネオ・ソウルっぽい濃密なコード感のものをやりたくて。初めから入江くんしかないなと思って作っていて、仮タイトルも“入江”でした。入江っていう言葉もあるから、いっそそれでもいいかなって思ったぐらい。入江くんは、こういう時期だからこその歌詞にしてみましたって、それでタイトルが“マスク”。うわっ、直球だなと。でも言葉を読んでみると、すごくこれもコピーライター的というか、誰にでもわかる歌詞で、でもちょっとニヒルというか不吉なところがあって、僕の好みだなあと」
──最後に、ボーナストラックのような趣きで“今日もどこかでデビルマン”のインストが入ってます。アルバムを聴いた人がいろんな意味で〈!?〉となるところかと思います。
「ディレクターが、昔のアニメのエンディング・テーマをインストでやってみるのはどうかと。その時に、ゼウス(神)がデビルマン(悪魔)を歌うのはどうかなって言ってくれて。アニメの『デビルマン』は、再放送ですけどバリバリ観てたし、思い入れはすごくあって。それであのエンディング・テーマを思い浮かべた時に、絶対にラウンジっぽいアレンジが合うと思ったんですよね。一時期、ラウンジとかモンドとか音響派とか言われていたものに目がなかったので、その時の気分と、最近で言うとクルアンビンとか、ああいう今の人たちがやってるエキゾ感というか、グルーヴィーなムード・ミュージックみたいなところでまとめられるんじゃないかなと思ってやったら、びっくりするぐらいすんなり出来て」
──このあたりのルーツに基づいた曲作りは、これまでノーナや提供曲でほとんど見せていなかった部分ですよね。
「学生の頃、ラウンジとかサントラとか、そのへんのムード・ミュージックにハマッてたんですけど、そこを徹底して追い求めるマニアにはならなかったんですね。レッド・ツェッペリンとかも好きだったから、ちゃんと肉体性のあるガツンとしたものもどっちも好きで。でもクルアンビンを聴いた時に、そのどっちのいいとこもとってる。リズム隊はめちゃくちゃかっこいいし、ギターもすごくテクニックがあるんだけど、嗜好している音楽がどう考えてもいかがわしい(笑)。それにはジェラシーというか衝撃を受けて。しかもそれを頭でっかちじゃなくて、ナチュラルにかっこよくやってるから、こういうの理想だなあって。そんな気分でアレンジした“今日もどこかでデビルマン”は、まあかなり洒落が利いたものになったんじゃないかと思ってます」
──さて、アルバムが完成して、ZEUSとしての最初のフェイズを達成したことになります。本来ならこれを引っ提げてライブも、という話になると思うんですが。
「そういう話もなくはないんですけど、形態上、ゲストを全員呼んでってうのはこのご時世だと特に難しいところはありますね。ライブをやるとしたらぜんぜん考え方を変えて、これをもとにしたインストっぽいライブをやるとか、たまに歌モノを挿むぐらいのものでやらないと、これを再現するのは不可能かな。聴いた人も、別にそこは望んでないだろうって思うし、そもそも再現性というのは度外視して、レコード芸術としてベストを尽くしたいと思って作り始めたものなので、その通りのものはできたかなって思います」