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厳しく濃密な高校軽音部と初セッションでのMVP

――では、歌い始めたきっかけは?

「先ほども言ったように、幼少期は『ハイスクール・ミュージカル』とかを観ていて、歌うことも大好きだったので、小学生のときにミュージカルを始めたんです。ただ、小学1年生から高校1年生までダンスはやっていたのですが、ミュージカルのほうは途中で辞めてしまいました。

その後、中学3年生のときに、大好きな日本のバンド、The SALOVERSに出会ったのを機にバンドをやりたいと思って、高校で軽音部に入って、歌うようになりました」

――以前、ラジオ番組「sensor」に出演してもらったときは、ギターを始めたきっかけについて語っていましたよね。ギターを弾いている女の子が主人公の作品をディズニー・チャンネルで観たのがきっかけだったと。

「作品名はまだ思い出せませんね(笑)。毎年海外で作られている特別ドラマみたいな放送回があって、そのなかの作品でした。特にヒットもしなかったんでしょうね。そのドラマを観て、〈ギターってかっこいい〉と思ってアコースティック・ギターを買いました。でも続かなくて......。

たぶん歌いたいという気持ちのほうが大きいんでしょうね。ただギターを練習するだけだとつまらないという気持ちが大きくなって、続かなかった記憶があります(笑)。結局、毎日ギターを触るようになったのも、家で歌いたいけどアカペラだと物足りないからちょっとコードを弾く、という理由からでした」

――高校でセッション系の軽音部に入ったきっかけを教えてください。

「部活見学でセッションをやらされて、洋楽やR&Bが好きだったので、〈あ、なんかやりたい〉と感覚的に思って入部しました。ヴォーカル・パートに入りましたね。

部活内でバンドは組んでもよくて、披露するのは文化祭やその他の校内のイベントでした。それと並行して、部活動として毎日セッションがありました。バンドをやるにしても厳しくて、文化祭ですら部内でオーディションを行って受からないと出られませんでした。〈学校の活動とはいえ、そのレベルだったら人前には出せないから出るな〉みたいな(笑)」

――厳しいですね(笑)。楽しかった思い出はありますか?

「後夜祭ですね。それもオーディションがあって、3組だけ出られたのですが、とても楽しかった記憶があります。

あとは部活内で〈ハイウェイ・スター祭り〉とか〈ジャズ祭り〉とか、いろんなお祭りが時期によって開催されていました。〈ハイウェイ・スター祭り〉は、夏にディープ・パープルの“Highway Star”と“Burn”を一日中ひたすら弾きまくるというもので、8月に開催されるので、1年生は入部して数か月であのソロを弾けるようにならないといけないんですよ(笑)。みんなクリープハイプの曲とかをやりたくて入部しているのに、“Highway Star”のソロをひたすら練習し続けるという(笑)」

――では、高校での3年間は濃密だったんですね。

「濃密でしたね。学校に行きたくないときもあったのですが、〈授業に出ないのなら部活に出るな〉という風潮だったので、部活に行くために学校に行っていましたね。部活のおかげで学校に通えていた、というのもあります」

――さらに、高校生のときにミュージック・バーのセッションに出るようになったんだとか。

「3年生のときにAO入試で大学が決まったので、夏以降、自由登校になったんです。その間、学校に行かないで、いろんなセッションに顔を出してみようと思いました。

そのときに、横浜の関内で元SOIL&“PIMP”SESSIONSの元晴さんが主催されていた〈Battle Of Study〉というセッションに初めて参加しました。元晴さん以外には、いまKing Gnuでベースを弾いている新井(和輝)さん、ドラマーの勢喜遊さんと、サックスのMELRAWさん、キーボードのSWING-Oさんなど、ホスト・メンバーが固まっていたんですね。初めてそのセッションに参加した日は、ちょうどヴォーカル・フィーチャーの回で、いろんなヴォーカリストさんがいらっしゃいました。私は学校帰りだったので制服で行って、(ロバータ・フラックの)“Feel Like Makin’ Love”を歌いました。セッションでは毎回MVPを1人決めるのですが、MVPに選出されまして……。たぶん、知らない高校生がいきなり現れて“Feel Like Makin’ Love”を歌ったので、〈頑張れよ〉という意味を込めてくださったと思うのですが。

当時は部活が厳しすぎて、〈自分はミュージシャンにはなれない〉〈こんな世界では生きていけない〉と思い込んでいたので、そこでかっこいい方々に認めてもらえたのが嬉しくて、〈ミュージシャンになろう〉と決めました」