湧きあがってくる景色やおかしさを求めて。
近代以降(主に戦後)の事象にばかり気を取られ、江戸への扉を叩かぬまま、還暦を迎えた。それから早6年、思索の抜け道が突如現われた。折しもTOKYO2020開幕直前の或る夜、対談集「橋本治と内田樹」を読んでいたら、江戸の尻尾が揺れていた。「五五、六年かな、それぐらいまで、甲州街道に、馬糞の跡がずっとあったんですよ」、当時小学校低学年だった橋本の回顧だ。「馬車が通るから、道路の真ん中に馬糞の溝ができてて、冬になるとそれが凍ってるんですよね」、「ね、一九五〇年代って部分的には江戸時代と地続きなんですよ」と内田が頷く。週のうち数日はハンドルを握り、西下・東上・あるいは横断している20号線の見え方が一変するような対話だった。64年秋、アベベ・ビキラが独走態勢で折り返した地点を通る度、RCサクセションの“甲州街道はもう秋なのさ”を胸裡で響かせたり、西脇順三郎の〈遠くへ下るとツクツクボウシが鳴き〉で始まる「甲州街道を」の7行を暗誦したりしてきたが、今後は遥か新宿方面に江戸を透視する場にもなろう。小田急・新宿店本館は解体されるが……。
きっかけは妙に連鎖するものだ。本稿の依頼である。贔屓球団を問われれば〈仰木近鉄〉、落語家ならば〈柳家小さん〉、いつも誠実に応えてはきたものの正直、両分野ともファン未満。〈志ん朝・談志・小三治では誰?〉と訊かれたら、面構え/立ち振る舞い/口調の好みから〈柳家〉を選んだが、三者三様の神髄を吟味・判定しての解答ではない。しかし今回は、20枚組CD BOX『昭和・平成 小三治ばなし』に関するお題である。その発売記念イヴェント〈令和三年 柳家小三治の会〉にも足を運んで何やら纏めよ、とのリクエストだ。文量は3,200字前後か……が、悩まず請けた。長い迂回の末、一気に〈江戸の関所〉が近づいたように思えたからだ。
名著「ま・く・ら」「もひとつ ま・く・ら」(講談社文庫)は既に読んでいた。若い頃の小三治は師匠・小さんの芸が「よくわからなかった」、それでも「あの澄んだ目を見て、惚れた」。そう正直に明かしている。じぶんも〈マクラの小三治〉こそ有り体に解せても、噺家としての奥深さや芸の特徴を熟考してきたわけではない。なので(なのに!?)、20枚のサンプル盤がわが家に届き、素直な順に「千両みかん」「馬の田楽」「がまの油~一眼国」の3枚を聴き終えると、足は自然と駅前書店へ向いていた。これまでじぶんは一体全体、彼の何を聴いてきたのやら……〈そして小三治が残った〉という斯界の顛末、後のあれやこれやを知る現在となっては昭和・平成期の〈途上〉を窺い知れる貴重な記録音源集だ。80年代~90年代にかけて鈴本演芸場/本多劇場で開催された独演会から、選りすぐりの23口演(すべて初出音源!)が収められている豪華BOX。御年81の人間国宝が40~50歳代だった季節の珠玉の名演がたっぷり堪能できる。
駅前書店で「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」(岩波書店刊)の第3刷を入手し、最寄りの珈琲店で半分を味わい、帰宅後読了した程の面白さ――少年期に読んだ吉川英治の「宮本武蔵」と、大佛次郎の「鞍馬天狗」が「私のバイブル」だと小三治。後者は嵐寛寿郎の映画から入り、アラカンの〈姿勢の良さ〉と〈清潔感〉にシビレた。が、映画版を〈斬りすぎる〉と激怒した大佛の原作を読むと〈斬るからおもしろい〉のではなく、京都に生きる人のくらし、そこで培われた鞍馬天狗の〈節度〉〈節操〉の魅力だと気付く。「いやあ、いいものに出会いましたよ」と著者は綴り、噺家の理想像として「できれば鞍馬天狗のように生きていきたいなという気持ちがどこかにある」、「おもしろきゃあなんでもいい、ドタバタやってればいいっていうんじゃなくて」と締めている。近影に空似の風情が漂う。