同じ空の下、異なる環境を生きる彼女たちに寄り添う、渡邊琢磨の音楽
ウォーターフロントだろうか、日はすっかり暮れたころ、女性2人が橋のむこう側にいて、自転車といっしょに、いる。榛原華子(門脇麦演じる)は橋のこちら側。女性たちが手をふってくる。おずおずと、だんだん大きく手をふる華子。
時岡美紀(水原希子)は自転車で街を走りぬけてゆく。早朝に、昼日中に。平田里英(山下リオ)と〈ニケツ〉するシークェンス。こんな友だちがいる、いた、いなかった、あこがれたことをおもう、か。自転車が、いい。
東京生まれと地方出身者とのコントラスト。意外な、もしかするとドラマへと急展開するかもしれない邂逅が、べつのところへ。榛原華子と時岡美紀を中心としながら、相楽逸子と平田里英、それぞれの友人とのつながり、ひろがってゆく。激情や怒号、叫びや嗚咽や、修羅場や喧騒――そうしたドラマからそっと身をかわして。
すー、っとのびてゆく弦の音。ぽつりぽつりと水滴のようにおちてくる音がかぶさって。音がすぐ減衰して、消える。はかない。
似ているのに、のびてゆく、つぎの、つぎの音につなげられてゆく音。メロディになる、音、音たち。
2つのモティーフが、音楽のすくない映画のなか、ところどころに。ひとつめは、場に寄りそう。ふたつめは、ある感情とむすびつきながら、華子の友人、相楽逸子(石橋静河)が弾くヴァイオリンとともに映画の主張=主調ともなって。
音の数がすくないながらも、どれかの音をちょっとのばしたり、音色を変えたり、2つのモティーフをかさねたり。ひとの感情は複雑だが、シンプルな音のならびがイマジネーションにはたらきかける。おなじ音が、そのときどきで違う。渡邊琢磨の音楽は豊かだ。
うつしだされることどもを違和感なくわたしはうけいれている。ふつうの、あたりまえのこととして、みている。街、ホテル、レストラン…… あ、と反応してしまったのは、混みあった居酒屋。いま、2021年の感染症の状況を、気にしていないようで、ナーヴァスになっているのに気づかされる。これは、そう、すこし前、数年前、か――。