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僕は洋楽しかできない

──ローカルを突き詰めればグローバルに達するということですね。さっきの遺伝子的なものでいうと、矢野さんにとってそれに値するものは何なんでしょうか。

「ひとつは、やっぱり僕は洋楽しかできないのね。子供の頃から好きだったのはクラシックやジャズで、歌謡曲とか演歌とかの素養は元々なかったんです。一生懸命やろうとしたけどね(笑)。

70年代からアレンジャーとして、南沙織とかいしだあゆみとかいろいろやったけど、いしだあゆみの“しあわせ”(72年)なんて今聴くと完全にフレンチポップですよ。全然歌謡曲になってない(笑)」

いしだあゆみの72年作『ファンタジー』収録曲“しあわせ”。編曲は矢野誠

──アレンジはもともと独学だったんでしょうか。

「勉強らしいことはしてないね。耳だけ。何でも聴いてたね。クラシック、ジャズ、次にビートルズ。

クラシックだって耳からしか入れてないから。ラヴェル、ドビュッシー、サティ、あとはフォーレが大好きだった。そこからビル・エヴァンスを通してジャズにもいけるでしょ」

──ジャズとクラシックがお互いに影響を与えていた時代ですね。

「そう。ラヴェルとビル・エヴァンスなんて音使いが全く同じだからね。フォーレからサティへいくのだって、相当ポップだよ。サティの、あの同じコードの繰り返しなんていうのはポップスとしか言いようがない。あと、もっとルーツ的なところでいえば、やっぱりバッハだね」

 

僕のメロディーは出会った人みんなからの贈り物なんだ

──さっきの歌に対して機能的に組み上げるというところでいうと、バッハなんかは徹底してそうですね。右手だけじゃなく、左手のメロディーとの関係性こそ大きいというか。

「そうなの。どこか我慢してるというか、制御してる感じ。あくまでも規格的っていうところを外さない。出て来ちゃったよ、っていうところはひとつもない。だけどすごく自然な、情緒的なものに聞こえるんだよ」

──機能性を徹底していくと、むしろ情緒的なものが見えてくるという。

「建築とも似てるよね。だから、やっぱり遺伝子的につながってるんだよ。僕の書くメロディーっていうのは、出会った人みんなからの贈り物なんだ。

今回、否定的なものはないんです。全部肯定しかない。聴いてくれる人に寄り添おうと思った」

──それは作曲の段階から考えていたことなんですか。

「今回はね、人に好かれたいと思った。今まであんまりなかったんだけどね(笑)。人に聴いてもらうっていうことをより意識した」

──なるほど。さっき伝統のことをお訊きしたのは、僕はこの音楽を聴いて、国籍がよくわからないと思ったからなんです。

「それはパーカッションの音色による部分が大きいんじゃないかな。役割としてはどんな楽器でも成り立つものなんだよ。ギターでもよかったんだ」

──でも、ギタリストには恵まれなかった(笑)。

「もしギターだったら1小節のパターンでも、16分(音符)の裏を強調的にやってもらう。飽きないようなワンフレーズを指定してね。ただ、パーカッションって軽く動けるんだよ。ピアノだとハンマーだからちょっと重いんだけど。

それから、もうひとつあるのは、僕のアレンジャーとしての明日へのテーゼ。アイデアの贈り物、こういうものもあるよっていう。それはさっきのBTSとか、ジャニーズでもいいんだけど(笑)、16分のビートは最近よく聴くようになったけど、3連ものはまだあんまりないから。もっとやったらいいのになと思う」

 

〈遠くへ行きたい〉が自分のテーマかもしれない

──もうひとつこのアルバムの特徴として、演劇的な部分がありますよね。作詞家も歌手も複数いて、代わる代わるに歌い継いでいく。谷川俊太郎さんの詩による“ひとりひとり”で、ついにボーカリストが3人揃うところが感動的なんですが、そういった構想は最初からあったんでしょうか。

「最初に(ひらた)よーこさんとリハーサルをしていたときに、みんなが最後に出てきて大団円みたいになったら面白いかなっていう、思いつきだよね。

そういう演劇的な部分と関係しているかはわからないけど、今回の原点はやはりメロディーと、それに詞がちゃんと届いているかということなんです。

メロディーを書いているときに思うのは、僕はどこまで遠くへ行けるかなということをずっと考えてきた気がする。70年代に松本隆やあがた森魚と一緒にやってた頃なんて、気の向くままやっていただけで。それから歌謡界からアレンジの仕事が舞い込むようになってくると、〈俺ってアレンジャーなのか〉と思い悩んで(笑)、ふっとイギリスに逃げ込んだりしてね。

遠くへ行きたいという気持ちが、自分にとってずっと続いているテーマなのかもしれない」