作曲は人の行いとして記録され、そこから技法が導かれる書

小沼純一 『小沼純一作曲論集成 音楽がわずらわしいと感じる時代に』 アルテスパブリッシング(2023)

 1,000ページ近い評論家小沼純一の最新刊、「作曲家集成」を手にする。その量感は書棚に並ぶブルース・マウ+レム・コールハウスの「S, M, L, XL」と谷崎潤一郎の文庫「細雪(全)」の中間。このマッシヴな書はこれまで著者が書き溜めた作曲家論/作曲論をまとめたアンソロジーだ。中核を構成するのは、ひとりづつ作曲家について論じたものやインタビューしたものを名前順に並べた〈作曲家A to Z〉、数名の作曲家を並べ評論する〈作曲家群像〉、音楽ジャンル、作曲の技法に関するエッセイを集めた〈作曲の周辺〉の三つ。作曲は人の行いとして記録され、技法が彼らから導かれる。

 第一部のA-Zに並んだ作曲家の名前を追っていくと様々な国、思想を背景に音楽を作る作曲家たちが整然と、様々な文化的な背景や作曲の手法が交差して、それぞれ異なるジャンルに通常整理される音楽家たちを優先順位なく記号の力だけで並べられている。壮観だ。かつてタワーレコード渋谷店のレイアウトを議論している最中、当時の営業部長が最上階から地上階までアルバム名義のA~Zで並べるという案をぶちかまして興奮したことを思い出す。

 第一部はジョン・アダムスで始まり、フランク・ザッパで終わる。これではアメリカ音楽辞典のようだが、たとえば中島ノブユキは、ブッチ・モリスと中ザワヒデキに挟まれて野平一郎と続く。読めば取り上げられていない作家がいることに気が付く。読者と著者との距離感は作家の名を追いながら近く、遠くなりながら、辞書的利便性を介して著者の他者性と出会う。巻末のインデックスを追えば音楽を超えて文学、絵画、哲学などの分野の名前が並び、作家論に仕込まれた知の背景が伝わる。第二部の群像は〈ケージ+アシュリー+モンク+グラス〉で始まり、第三部の作曲の周辺の冒頭が〈オペラからムジークテアターヘ〉であるのは偶然のようだが、本書がポスト・メディア時代の作曲論でもあることを印象付ける。

 谷崎の「細雪」が戦前の関西にあった風景や人の営みを保存するように本書も著者の生活する音風景を閉じ込む。コールハウスのあの本は想像の、現実の構造物が造形する都市の書であり、本書はフィクションの中でしか真実を生成できなくなりつつある時代を前に、あらためて作曲の、そして音楽の力は今どこに、どんな風に存在するのかを見出そうと呼びかける、声だ。本稿を書いているときに坂本龍一が亡くなった。本書で著書はこの作曲家の〈和三部作〉と〈Forest Symphony〉に触れている。後者において植物という他者との共生を呼びかける作家に共感し〈わたしたちには聞こえないけれども、確実に音を発している〉存在への気づきを促す音楽の可能性を示し坂本の項を結んでいた。