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インタビュー

若きパーカッショニスト、會田瑞樹に〈希望が持てそう〉な理由

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若きパーカッショニスト、會田瑞樹に〈希望が持てそう〉な理由

會田瑞樹(あいたみずき)、初めは、ふつうの打楽器奏者だと思っていた。クラシック、というか、ゲンダイオンガクの演奏家。そんな認識。だが、どうもそれだけではない。ないらしい。既成の曲も演奏するが、やたらと作曲家に委嘱し、多くの新作を演奏する。初演魔。さらに。少しずつ知るにつけ自分で曲も作っているのがわかってくる。童謡のアレンジなんかもやって、ネットにアップしてたりする。コンポーザー=パフォーマー?

この會田瑞樹、4月18日(土)、21日(火)に東京オペラシティ文化財団の企画で日本の若手実力派がバッハと現代曲を含めた選曲で演奏するリサイタル・シリーズ〈B→C(ビートゥーシー)〉に登場する。それはいい、それはいいんだけれど、ポスター、見てほしい。

これまでこの企画のほとんどすべてのを見てきたと思うが、大抵はきまじめ、整った表情。會田瑞樹はどうだ。口を開け、なんとも楽しそうな表情じゃないか。こんなヤツは初めて。そう、これ、大事じゃないか。この男には希望が持てそうだ、との直感がはたらく。こんなふうに音楽をやる、〈B→C〉に出るのが。そんな折、このインタビューのはなしが舞いこむ。これまで立ち話をしたり、飲みに行ったり、メールのやりとりもしているけれど、それほどつっこんだはなしはしていない。ならば、この機会に、である。

★公演〈B→C〉のチケット購入はこちら(公演詳細は記事末尾にも掲載中)

※2020年4月3日追記
「B→C會田瑞樹パーカッションリサイタル(4/18仙台公演&4/21東京公演)」 は、
新型コロナウイルス感染症の感染予防・拡散防止の観点から、中止させていただく事と致しました。
今後は代替公演の実現に向け、引き続き尽力したいと考えております。
詳細につきましては、下記ウェブサイトをご高覧頂けますと幸いです。

https://www.operacity.jp/topics/detail.php?id=603

 


ロックスターになりたかった日々、吉原すみれとツトム・ヤマシタに出会って

――音楽とはどのようにつきあい始めました? 初めから打楽器でしたか?

「母親は美術、父親は考古学者で、音楽が好きな両親だったのですが、僕をギタリストにしたかった母が言ったのが、まずヴァイオリンを、だったんです。ギターなんですよ。でも、その手始めとしてなぜかヴァイオリンなんです。僕はあまり手が大きくなくて、自分の中でヴァイオリンがしっくりこない(笑)。それでも10年くらいは続けました。

子どもの頃はロックを聴いたりしましたが、いいなと思うのはドラムセットでした。小学校6年生くらいの時の授業で、合奏団みたいなのをやったときに初めて(ドラムスを)さわってみたら、これこそ自分の楽器だ!と思った。打楽器はそれが最初でしょうか」

――ヴァイオリンは習ったけれど、ギターはやっていない?

「何かのはずみで買ってもらいました。でも結局ダメで。何かアレルギーなのかもっていうくらい(笑)。ヴァイオリンも勉強できたのはよかったけど、自分ではできない、というのがいまでもコンプレックスです。だからずっとあこがれているんです、ヴァイオリン。

もうひとつあこがれているのがピアノです。音大受験を決意して受験で必要になるまで、ピアノはやっていませんでした。これまた上手な人のを聴くと、自分はできない、と思ってました。だから僕、音楽の道筋を考えると、基本的に挫折やコンプレックスのほうが多い(笑)。ピアノもずっとあこがれている楽器です」

――ドラムいいなって思ったけど、そこでロック・ミュージシャンへは向かわなかった?

「小学校6年生の文集には〈ロックスターになりたい〉って書いてるんです。でも、中学で吹奏楽部に入ったりしながら、ロックをやりたいなってアタマで思ったりはしても一緒にやってくれる仲間がぜんぜんいなくて。バンド組めないし、どうすればいいのかなと思ってました。

そんな中学2年のとき、吉原すみれ先生とツトム・ヤマシタのCDに、ほとんど同時に出会います。どっちもソロのアルバム(吉原すみれの89年作『パーカッシブ・コスモス 3~サーティーン・ドラムス』、ツトム・ヤマシタの72年作『打楽器のための現代作品集』)。あ、これがいちばんしっくりくる!と思いました。特にツトム・ヤマシタは声を発しながら演奏するという身体的なパフォーマンスを含め、自分ひとりで世界観を作り上げるところにすごく共感を持ちました。聴いた翌日には音楽室の楽器を勝手に並べてめちゃめちゃな即興をやったりして(笑)。そのときそれを自分の曲だ、みたいなことを書いたノートもあります(笑)。

だから、何かを表現したいってのはずっとふつふつとたまっていたんだろうな、と思ってます。いまもそうです。それをどういうふうにしたらうまく表出できるのかな、というのがずっと自分の課題です。その頃からロックというより作曲家の作っているものに意識が向くようになっていった気がします。

中3のときに吹奏楽部の後輩たちが、自分の書いた楽譜を演奏してくれました。顧問の先生はその後、僕が高2になるまで3年連続で僕の楽譜を音にしてくれたんです。でも、3回目のときに作曲の才能はないから作曲はやめようって思ったのもよく覚えています(笑)。

なぜかというと、自分のイメージしている音楽と演奏にすごく開きがあって。書いてる音符が悪すぎるんだなって。これはちょっと急いでやることでもないし、もう少し演奏なりなんなり基礎的な勉強をしてからにしよう、もしかしたらまたやることもあるかもしれないけど、少なくとも現時点では才能ないなって、一回引き上げることにしました(笑)。自作自演をやるとか自分で作ることに否定的な気持ちになったのが、この10代後半から20代前半くらい。ですから、学生時代は集中して作曲家の作ったものを勉強して過ごしました。

高校2年のとき、創部50周年だったので、じゃあ委嘱しようよって僕がポロっと言ったんです。高橋伸哉さんという、吹奏楽部の卒業生でいまも作曲家として活動している先輩がいたので、OBだしぜひお願いしようよ、と。顧問の先生にまかされ、手配は僕がやりました。予算面は先生が全部面倒見てくれて、委嘱料もちゃんと払って。そういう経験を高校2年の時点でさせてもらえて、すごくワクワクしたんです。そんな気持ちがいまにつながっているんじゃないでしょうか」

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