Away, All, Alone. すべての起点はローカルなのだから。

港千尋, 小沼純一, 上田文雄, 高山秀毅, 伊藤佐紀  『武満徹、世界の・札幌の(感覚の道具箱2)』 MEI/インスクリプト(2022)

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 夜空に明滅する星を見て涙するような少年だったと教えてくれたのは、立花隆だったような気がするが、定かではない。「かれほど外から影響をうけやすい作曲家もいまい」と記したのは高橋悠治だった。外にあるものと響き合う人、武満徹という存在は、外部と接する辺境だったのかもしれない。互いが他者として触れ合うのだから当然それぞれが辺境だが、大抵私たちの視線は内側に向いていると思う。

 「武満徹、世界の・札幌の」は、CD『1982 武満徹世界初演曲集』に収録された本人の講演がきっかけとなり編まれた。本書ではその講演を冒頭に置いて「札幌と私」、「音楽世界市民として」が参考資料として付されている。さらに講演を受けて小沼純一の「武満徹作品をどう聴くか」が続き、この本を企画した港千尋と小沼の「世界の、ローカルの」と題された対談、そしてコンサートを企画し、実現に尽力された関係者の座談会が続く。

 言葉が捉えるイメージを大切に扱い、場合によっては作品を書く三年も前からイメージを言葉で書き留めるという作曲家は、作品名に印象的な言葉をえらぶ。しかしイメージを過剰に喚起する作品名に寄り添って、音楽の印象を言葉で消費してしまうことに小沼氏は不満だという。だから音の運び、気配にイメージを、言葉を向けることを薦める。例えば呼吸、吸って吐くこと。それは音楽を奏でること、そして元々楽器に備わる運動だが、それは寄せては返す波、満ち欠けを繰り返す月、明滅する星空へと作品名が示す音のイメージと重なり、やがて終わらない音楽という武満の音楽全体の印象へとつながると示す。

 対談、座談会を読むと作曲家が作品を書き上げるのと同様に、聴きたいレコードを手に入れるのにも、面白いコンサートと出会うにも時間がかかった時代の熱を感じるだろう。1982年のコンサートは突然実現したわけではない。札幌の人たちの間で起きた様々な出来事が起点になり時を重ねて実った音楽会だ。あの時東京以外は、どこも文化的に見て辺境だった。その一つ札幌へと武満徹は向かい、彼の創造とかの地は響き合ったことを本書は示す。