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ソウルへの愛

 加えて、この新作にはもう一つ重要な〈顔〉がある。それは、彼女が真摯なソウル・ミュージック・ラヴァーであるという事実だ。今作の制作にあたって、彼女はマーヴィン・ゲイの『What's Going On』を繰り返し聴いていたのだという。筆者はアノーニにこれまで二度ほど会ったことがあるが、彼女はソウルやR&Bの忠実なリスナーであることを誇りにしていると再三話してくれた。ルー・リードのバック・コーラスに抜擢されたときも、もともとドゥワップのグループを組んでいて、サム・クックやオーティス・レディングに心酔していたルーとソウルやブルースの話で意気投合したという。

 その点で今作のプロデューサーにジミー・ホガースが起用されているのは納得がいく。なぜなら74年生まれ、コットランド出身のホガースはエイミー・ワインハウス、ダフィー、コリーヌ・ベイリー・レイといったソウル・サウンドを志向する女性アーティストの作品も数多く手掛けてきており、彼も熱心なソウル・ミュージック・ラヴァー。なかでもダフィーのアルバム『Rockferry』はもっと高く評価されてもいいほど素晴らしい仕事で、いみじくもアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ名義での2作目『I Am A Bird Now』と同じ2005年にリリースされているのが興味深い。アノーニのソロ名義だった前作『Hopelessness』はハドソン・モホークやOPNと組み、エレクトロ~クラブ・ミュージックに舵を切った一枚だったが、今作はアノーニの歌にフォーカスされていて、まさにその『I Am A Bird Now』を思わせる艶のあるヴォーカル・ミュージック・アルバムになっている。

 ホガース自身、ギターとピアノを弾きつつデモ制作からタッグを組んだそうで、その後、レオ・アブラハムズ、クリス・ヴァタラロ、サム・ディクソン、そしてこちらも8月にはソロ名義でのEPのリリースを控えるロブ・ムースを含むスタジオ・バンドを結成して録音したのだという。穏やかかつスリルある生演奏と、アノーニの泣き笑いしているかのような豊かな表情に包まれたヴォーカルとのマッチングは言うまでもなく素晴らしい。ただ滑らかで聴きやすいだけではない、社会への提言、主張をはらんだ意志表明となりうる本作は、LGBTQ当事者だけではない多様な目線、アングルが含まれていて、人の数だけ生き方とアイデンティティーがあることを教えてくれる。

 プレス・リリースでアノーニはこう綴っている。〈『Hopelessness』から学んだことは、自分の音楽は、人々が未来を夢見ることや、意思決定をするときに、彼らの背中を後押しするサウンドトラックになりうるということ〉。未来は自分たちの手で変えていくことができるの――かつて筆者に力強く話してくれたアノーニの言葉を今、繰り返し聴きながら反芻している。

ジミー・ホガースが参加した近年の作品を一部紹介。
左から、The 1975の2022年作『Being Funny In A Foreign Language』(Dirty Hit)、KTタンストールの2022年作『Nut』(EMI)、ローチフォードの2020年作『Twice In A Lifetime』(BMG)