寄り添うこと、そして語り合うこと――チャーリー・ヘイデンとデュオ
チャーリー・ヘイデンは〈ジャズ〉という音楽の深さと広さ、そして自由さと美しさを教えてくれたミュージシャンだった。
フリー・ジャズの闘士でありつつ、カントリー・ミュージックを家族と共にうれしそうに演奏したヘイデン。政治的主張を音楽で表現しつつ、ため息が出るほどに美しい曲を数多く作ったヘイデン。〈リベレーション・ミュージック・オーケストラ〉という集団を組織してリーダーシップを発揮しつつ、アンサンブルの最小単位である〈デュオ〉での演奏を愛したヘイデン。驚くほど幅広い音楽を演奏していたヘイデンが、最終的に音楽に求めていたものは、音楽を通じて人々が信じ合い、語り合うことだったのでは、という気がしてならない。そしてその根底には、彼が弾くウッド・ベースの太くて温かい音色があった。ヘイデンのそうしたヒューマニティと対話への欲求、ウッド・ベースのすばらしい音色と自由奔放で安定感に溢れた演奏を、最も端的に知ることができる形態は、デュオによる演奏なのだと思う。
ヘイデンがスタジオでデュオを集中的に録音したのは、1976年から77年にかけてのこと。それらはまず、ヘイデンのリーダー作『クロースネス』に、キース・ジャレット、オーネット・コールマン、アリス・コルトレーン、ポール・モチアンとのデュオ1曲ずつが収録され、続いて『ゴールデン・ナンバー』で、ハンプトン・ホーズ、ドン・チェリー、オーネット、アーチー・シェップとの演奏が紹介された。この2枚はどちらも、共演者に寄り添い、語り合うことの名手としてのヘイデンを知るための好例だが、特に『クロースネス』でのキース・ジャレットとの“エレン・デヴィッド”、オーネット・コールマンとの“O.C.”は感動的な名演。前者は、“ファースト・ソング”“サイレンス”と並ぶヘイデン畢生の名曲で、それを実に美しく弾くキースと、ぴったりと寄り添いつつ奔放に絡むヘイデンの対話がすばらしい。後者は初期オーネット・カルテットを二人で再現しているような、アップテンポの生気に溢れたデュオだ。ホーズとの76年8月のセッションは、ホーズの死後(77年)に『アズ・ロング・アズ・ゼアズ・ミュージック』、オーネットとの77年1月のセッションは『ソープサッズ』というアルバムになった。ホーズの遺作となった前者は、ビバップ・ピアニストと思われていたホーズの、モダンで自由な演奏が感動的な作品。オーネットがテナー・サックスとトランペットを吹く後者での、二人の緊密な対話ぶりと、いつにも増してメロディアスなオーネットがすばらしい。
その後も、ヘイデンは多数のデュオ作を発表してきた。クリスチャン・エスクーデ、パット・メセニー、エグベルト・ジスモンチ、デニー・ザイトリン、ケニー・バロン、ゴンサロ・ルバルカバ、ハンク・ジョーンズなど……。その中で最もポピュラーなものはメセニーとの『ミズーリの空高く』だろうが、ギタリストとのデュオなら、フランスのエスクーデとの『ジタン』がお気に入りだ。冒頭の“ジャンゴ”が始まった瞬間、〈ずーーん〉というヘイデンの超低音がスピーカーから飛び出してくる、ベーシストとしてのヘイデンの凄みがよく分かるアルバム。ジスモンチとの『イン・モントリオール』も思わず落涙の傑作だ。“マラカトゥ”“ファースト・ソング”“サイレンス”“フレヴォ”などの名曲が次々と、この上なく美しく奏でられるのだから。
2007年、ヘイデンはキース・ジャレットの自宅スタジオでデュオを録音した。2010年リリースの『ジャスミン』、そして2014年、ヘイデンが亡くなる直前に出た『ラスト・ダンス』がその時の録音だ。ここでの二人は、美しい曲の旋律と和音に身を委ね、まるで曲と一体化しているように思える。それにしても、『ラスト・ダンス』の最後の2曲が“エヴリタイム・ウィ・セイ・グッド・バイ”と“グッド・バイ”だとは! ヘイデンはみんなに〈さようなら〉を言って天上に向かったのだろうか。
Charlie Haden(チャーリー・ヘイデン)[1937- 2014]
1937年8月6日、アイオワ州シェナンドア生まれ。音楽家の家庭に育ち、幼少期から音楽を始め10代でベースを弾く。アート・ペッパー、デクスター・ゴードン等と共演を重ね、20代でオーネット・コールマンのバンドに参加。パット・メセニーとの共作アルバム『Beyond the Missouri Sky (Short Stories)(邦題:ミズーリの空高く)』で98年度のグラミー賞ジャズ・インストルメンタル部門賞を、2013年にはグラミー賞生涯功労賞を受賞。2014年7月13日に76歳で亡くなった。