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裏切りと断絶を繰り返して進む“スパイダー”

では、どのようにスピッツは意味を殺して、言葉を更なる跳躍台に変えるのか。多くの曲に言葉を費やす余裕はない。1曲に絞ろう。誰もがその残酷さを前に途方に暮れざるをえない“青い車”については拙著『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』の第9章を読んでもらうとして、ここではもう一つの衝撃、“スパイダー”に接近する。

左右同時に鳴らされるアコースティックギターのストロークがまず爽やかに心地よく、ミュートギターの16分のフィーリングやスネアドラムの快活さにも胸が弾む。ベースだけが8分を刻むことで演奏の中にズレが導入されて、コンビネーションとしての快楽が宿る。演奏の上で、躍動感が育まれる。

その中で〈可愛い君が好きなもの ちょっと老いぼれてるピアノ〉と〈さびしい僕は地下室の すみっこでうずくまるスパイダー〉の対比的なリリックが飛び込んでくる。ここでの〈ちょっと老いぼれてるピアノ〉という言葉は、歌詞における物語のレベルにおいて何の役割も果たしていない。〈君〉の性格をよく表しているわけでもなければ、後の展開の伏線になっているわけでもない。〈ちょっと老いぼれてるピアノ〉を〈キリンがさかだちしたピアス〉や〈ヘッドライトのわくのとれかたがいかしてる車〉などに置き換えても意味は成立する。ただ、〈老いぼれてるピアノ〉の響きが、〈可愛い君〉のイメージを裏切る効果はたしかに発揮されている。〈かわいい〉と〈老いぼれてる〉は、一般的に接続されえない形容詞だからだ。意味の接続ではなく、裏切りと断絶のために、言葉は選択されている。

〈3・3・2〉で把握されたリズムパターンが特徴となる(シンバルの立体的な配置が美しい)Bメロにおいては、この裏切りがより顕著になる。

洗い立てのブラウスが 今筋書き通りに汚されて行く

ここにあるのは、〈洗い立てのブラウス〉の純白さが〈汚されて行く〉という反転運動だけではない。反転は予想外の出来事ではなく、〈筋書き通り〉の変化なのだ。〈汚されて行く〉という強い情緒作用を持つ言葉は、〈筋書き通り〉の一言で突き放されている。エロティックな情景を喚起させざるをえないこのラインの中で起きているのは、二重の裏切りにほかならない。

〈かわいい〉を〈老いぼれてる〉が殺し、〈洗い立て〉を〈汚されて行く〉が殺し、〈汚されて行く〉を〈筋書き通り〉が殺す。言葉の意味が一つに収まらないまま、裏切りの繰り返しとして草野マサムネの歌は進行していく。

 

“スパイダー”はなぜ恋の歌なのか?

そして、サビに突入する。〈だからもっと遠くまで君を奪って逃げる〉。まず、〈だから〉は前文にあたる〈筋書き通りに汚されていく〉と繋がりを見出せない。なぜ〈だから〉なのかは全くもって明快ではない。順接の、因果関係を発動させる接続詞〈だから〉は、むしろ因果関係の殺害のために使用される。ただ、勇壮な覚悟として響く〈もっと遠くまで君を奪って逃げる〉は、Aメロの〈すみっこでうずくまるスパイダー〉と対比されている。うずくまっていたはずの存在が〈奪って逃げる〉ような力強さを獲得する逆転劇。その逆転が、コード進行の変化を伴ってエモーションを掻き立てる。

さらに、サビにおける〈もっと〉のメロディとリズムと韻律はAメロにおける〈ちょっと〉のそれと全く一緒で、ほぼ同じフレーズを別のコード進行に援用することで、メロディと言葉の印象をより際立たせている。ここでも、〈うずくまる〉の停止を〈奪って逃げる〉の運動が裏切り、〈ちょっと老いぼれてる〉の停滞を〈もっと遠くまで君を〉の前のめりが裏切る。最後のサビでは、〈奪って逃げる〉の後に〈力尽きたときは そのときで笑いとばしてよ〉と、更なるイメージの裏切りが待っている。意味は何度も反転し、裏切りを繰り返し、意味の定着はついに果たされない。

それでも、この曲は恋愛の熱情を歌っているように聞こえるし、何か熱く燻るものを聴く人は発見するだろう。それは、Aメロとサビで〈ちょっと〉と〈もっと〉で並列しつつ変化を加えたり、〈うずくまる〉を〈奪って逃げる〉に反転させたりすることで生じる、楽曲のダイナミズムに起因する。あるいは、躍動感を伝える演奏の力に起因する。加えて、最後のサビでは、4分音符が1拍分減る変拍子のパートがある。1拍の減少は、急いで逃げるような性急感に寄与する。楽曲と言葉の相互関係において恋のフィーリングは成立するのであって、〈歌詞の意味〉においてではない。最後のサビで人が恋を知るのは、シンバルの4分音符ごとの連打と、2音を繰り返すピアノのメロディのせいでもあるのだ。

 

スピッツは千の無意味を飛び越えて走り続ける

スピッツは、意味における終わりのない裏切りと、ソングライティングの洗練によって、無意味のままエモーションを上昇させる術を心得た。はっぴいえんどや井上陽水のように無意味が感情を脱臼させるのではなく、感情の熱を残したまま無意味を駆動させるスピッツの音楽は、ポップソングにおける、あるいは日本文学における強烈な達成にほかならない。

その達成のうえで初めて、2010年代のandymoriはナショナリズムへの苛立ちを意味に還元することなく放つことができる。2020年代のリーガルリリーは、貧しき日常の閉塞感を意味に還元することなく掬うことができる。スピッツがいなかったら、多くの表現は力尽きていたに違いない。

1994年のスピッツは、2024年現在も、意味を奪って逃げている。千の無意味を飛び越えて、走り続けている。

 


RELEASE INFORMATION

スピッツ 『空の飛び方 30th Anniversary Edition』 ユニバーサル(2024)

■CD(期間限定生産盤)
リリース日:2024年9月18日(水)
品番:UPCH-7679
価格:5,808円(税込)
1SHM-CD+1Blu-ray(三方背ケース入り紙トレイ仕様)

TRACKLIST
1. たまご
2. スパイダー
3. 空も飛べるはず(Album Version)
4. 迷子の兵隊
5. 恋は夕暮れ
6. 不死身のビーナス
7. ラズベリー
8. ヘチマの花
9. ベビーフェイス(Album Version)
10. 青い車(Album Version)
11. サンシャイン

Bonus Track
12. 青い車(Live from SPITZ JAMBOREE TOUR 2021 “NEW MIKKE”)
13. サンシャイン(Live from SPITZ JAMBOREE TOUR ’23-’24 “HIMITSU STUDIO”)
14. 不死身のビーナス(Live from SPITZ JAMBOREE TOUR ’23-’24 “HIMITSU STUDIO”)

Blu-ray
空も飛べるはず(Music Video HD Remaster)
青い車(Music Video HD Remaster)
スパイダー(Music Video HD Remaster)
恋は夕暮れ(Live at 渋谷公会堂 on 28th Nov. 1994 from スピッツ “空飛び” JAMBOREE TOUR ’94)
迷子の兵隊(Live at 渋谷公会堂 on 28th Nov. 1994 from スピッツ “空飛び” JAMBOREE TOUR ’94)

 

■カセットテープ(完全限定生産)
リリース日:2024年9月18日(水)
品番:UPTH-1602
価格:3,300円(税込)
1CT

TRACKLIST
SIDE A
1. たまご
2. スパイダー
3. 空も飛べるはず(Album Version)
4. 迷子の兵隊
5. 恋は夕暮れ
6. 不死身のビーナス
7. ラズベリー

SIDE B
1. ヘチマの花
2. ベビーフェイス(Album Version)
3. 青い車 (Album Version)
4. サンシャイン
5. 青い車(Live from SPITZ JAMBOREE TOUR 2021 “NEW MIKKE”)
6. サンシャイン(Live from SPITZ JAMBOREE TOUR ’23-’24 “HIMITSU STUDIO”)
7. 不死身のビーナス(Live from SPITZ JAMBOREE TOUR ’23-’24 “HIMITSU STUDIO”)

 

■アナログ盤(完全限定生産)
リリース日:2024年11月27日(水)
品番:UPJH-9096/7
価格:4,620円(税込)
2LP(重量盤/カラーヴァイナル)

TRACKLIST
SIDE A
1. たまご
2. スパイダー
3. 空も飛べるはず(Album Version)
4. 迷子の兵隊
5. 恋は夕暮れ
6. 不死身のビーナス

SIDE B
1. ラズベリー
2. ヘチマの花
3. ベビーフェイス(Album Version)
4. 青い車(Album Version)
5. サンシャイン

SIDE C
1. 青い車(Live from SPITZ JAMBOREE TOUR 2021 “NEW MIKKE”)
2. サンシャイン (Live from SPITZ JAMBOREE TOUR ’23-’24 “HIMITSU STUDIO”)
3. 不死身のビーナス(Live from SPITZ JAMBOREE TOUR ’23-’24 “HIMITSU STUDIO”)

※2024年内にて出荷を終了いたします(各店舗の在庫についてはそのまま販売を継続いたします)。

 


PROFILE: スピッツ
草野マサムネ(ボーカル/ギター)、三輪テツヤ(ギター)、田村明浩(ベース)、﨑山龍男(ドラムス)の4人組ロックバンド。1987年結成、1991年メジャーデビュー。1995年リリースの11thシングル“ロビンソン”、6thアルバム『ハチミツ』のヒットを機に多くのファンを獲得し、以後、楽曲制作、全国ツアー、イベント開催などマイペースな活動を継続。2023年5月17日には3年半ぶりとなる最新アルバム『ひみつスタジオ』をリリース。全国34都市45公演の全国ツアー〈SPITZ JAMBOREE TOUR ’23-’24 “HIMITSU STUDIO”〉を完走した。またこの夏も9月のレギュラーイベント開催のほか、大型野外フェスなどにも出演が決定している。
オフィシャルサイト:https://spitz-web.com/
SPITZ mobile:https://sp.spimo.net/(スマートフォン専用)
ユニバーサルミュージック 特設サイト:https://sp.universal-music.co.jp/spitz/2023/
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