1994年、クロスオーバージャズやソウル/ファンク、ダンスミュージックなどが渾然一体となったアシッドジャズは、英国から世界を席巻していた。そんななか、コンピレーションアルバム『Kyoto Jazz Massive』がリリースされたのは同年4月21日。世界的ムーブメントに日本から応答した本作は、時代を象徴する名盤として歴史に刻まれている。それから30年が経った今、アニバーサリー作品『Kyoto Jazz Massive 30th Anniversary Special Release『KJM COVERS』(仮)』の発表も控えるKyoto Jazz Massiveの沖野修也に、当時を振り返ってもらうとともに、現在との繋がりを綴ってもらった。 *Mikiki編集部
音楽集団Kyoto Jazz Massiveを知ってもらいたかった
2024年、Kyoto Jazz Massiveがデビュー30周年を迎え、当時の音楽状況を振り返る機会を頂いた。〈DJが曲を作るなんて恐れ多い〉とまだ作曲を始めていなかった頃……。しかしながら、当時、マネージャーを務めていたMONDO GROSSOの個々のメンバーの才能を個別に発表するという目的に加え、京都に住んでいた仲間の音楽を紹介する、更にはマスターズ・アット・ワークのリミックスやDJ KRUSHとのコラボ曲も収録し、彼らの協力を得てKyoto Jazz Massiveという音楽集団の存在を知ってもらいたい……。そんな気持ちを持って、プロデューサーとして、コンピレーション『Kyoto Jazz Massive』を世に送り出した事をはっきりと覚えている。
UKから世界へ、国境とジャンルを超え広がったアシッドジャズ黄金期
1994年。それはアシッドジャズが音楽ファンの間でも十分に認知され、そのムーブメントが世界に広がる起点となった年でもある。その当時、渦の中にいた僕は、自分の事で精一杯だったが、時を経て振り返り、シーンを俯瞰して見れば、その歴史に残された事実から、その年がいかに重要であったかが理解出来る。
まずは、国内のリリースを確認すると、日本のアシッドジャズの充実ぶりに驚かされる。我々のリーダー的存在であったUnited Future Organizationは2ndアルバム『No Sounds Is Too Taboo』をジャイルス・ピーターソンのレーベル、トーキン・ラウドからリリース(実質的なUKデビュー)。Monday満ちる『MAIDEN JAPAN』、SILENT POETS『WORDS AND SILENCE』、DJ KRUSH『Strictly Turntablized』(DJ KRUSHはこの年にもう一枚のアルバム『KRUSH』もリリースしている)、Soul Bossa Trio『a taste of SOUL BOSSA』と主要アーティストがそれぞれ1st アルバムを発表しているのだ。MONDO GROSSOは前年にデビューしているものの、全てのメンバーが個別のプロジェクトで『Kyoto Jazz Massive』に参加したのは前述した通り。竹村延和率いるSpiritual Vibesも2ndアルバム『Newly』を1994年に発売している。
アシッドジャズの本場、ロンドンに目を向ければ、更にその盛り上がりは一目瞭然だ。ガリアーノは既に3枚目の『The Plot Thickens』を完成させ、収録曲をナショナル・チャートのTop 10に送り込んでいる。ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズは2枚目のアルバム『Brother Sister』で、アシッド・ジャズ・レコーズからFFRRに移籍。ロニー・ジョーダンはDJ KRUSHをゲストに迎え、3rdアルバム『Bad Brothers』を、ジャミロクワイは2ndアルバム『The Return Of The Space Cowboy』を、アーバン・スピーシーズはデビューアルバム『Spiritual Love』を発表。この年に作品を出さなかった大物はインコグニートくらいかもしれない。
USでは、アメリカ版のBNHと呼ばれたリパーカッションズが『Earth And Heaven』で新風を吹き込み、生音のヒップホップバンド、ザ・ルーツが『Do You Want More?!!!??!』でデビューし、音楽シーンに衝撃を与える。尚、このアルバムは、トーキン・ラウドからもライセンスリリースされている。しかもトーキン・ラウドは、フレンチラッパー、MCソラーのデビュー作『Prose Combat』も取り扱うなどして、ヒップホップやラップを巻き込んだ話題を提供。
又、レーベルプロデューサー、ジャイルス・ピーターソンが、『Brazilica!』、『Talkin’ Jazz: Themes From The Black Forest』、『Talkin’ Jazz Vol. 2 (More Themes From The Black Forest)』と3枚のコンピレーションを発表し、ブラジル音楽とヨーロッパのジャズやフュージョンを積極的に紹介したのもこの年だ。
1994年は、アシッドジャズ=イギリスにおける1970年代のジャズファンクのリバイバルという基本条件が、更に多くの国で、多様性のある音楽群に進化して行くターニングポイントだったと言う事もできるだろう。本国でのアシッドジャズの隆盛、追随する日本産の発展、USやフランスとの連携、ヒップホップ/ラップ、南米、欧州への音楽的な広がりと、ムーブメントとしての黄金期は実はこの時だったのかもしれない。