1997年、わずか24歳で凶弾に倒れたビギーことノトーリアスB.I.G.。彼の伝説的な1stアルバム『Ready To Die』がリリースされたのは、1994年9月13日だ。発表から30年が経過した、ヒップホップ史に刻まれるこの名盤について、ライター/翻訳家の池城美菜子に解説してもらった。 *Mikiki編集部
当時のストリートとシーンを瞬間冷凍した90sヒップホップの金字塔
ナズが〈Illmatic 30th Anniversary Tour〉で来日し、ショーン“パフィ”コムズが逮捕された同じ月にこの原稿を書くのは、感慨深いというより因縁を強く感じる。90sヒップホップの金字塔。当時のブルックリンのストリートと、ギラギラしていたヒップホップシーンの両方を瞬間冷凍している。〈死ぬ覚悟ならできている〉との不穏なタイトル通り、デビュー作にしてノトーリアスB.I.G.(以下、ビギー)が生きている間にリリースした唯一のアルバムになってしまった。
彼の死を巡って、すでに多くの映画や文章があるのでここではくり返さない。ひとつ、強調したいのはこの作品自体が不死身であること。ここから生まれた〈gimme the loot(金をくれ)〉といったフレーズや、フローはくり返し引用され、ときにはビートジャックされ現行のシーンでも存在感を放つ。このアルバムを聴かずにラップで食べていこうと思ったアメリカ人のラッパーはまずいないだろう。
〈大人〉なリリックと華やかでポップなサウンド
このアルバムを考察するために、同じ年にデビューしたナズの『Illmatic』を引き合いに出してみよう。ビギーはナズの1年4か月先に生まれ、デビューアルバムのリリースは5か月遅かった。この少しの差が、とても大きい。『Ready To Die』と『Illmatic』はどちらも低所得者向けの団地、プロジェクトで育ち、学校をドロップアウトしてストリートで生き延びる様子をラップしている。だが、リリックの多くを成人する前に書いていたせいかナズには少年の面影が行間から透ける一方、すでに1児の父だったビギーは女遊びが激しく、パフィという後ろ盾を得てすでに華やかなラッパーの生活を知っている〈大人〉なのだ。
インタールードからして下ネタ満載。プロデューサー陣を見ると、15曲中6曲がビッグ・ダディ・ケインとの仕事で知られていたイージー・モー・ビー、R&B畑のチャッキー・トンプソンとブルーズ・ブラザーズが3曲、トラックマスターズのポークが2曲、ほかにDJプレミアやロード・フィネスらが関わっている。“Juicy“は、クレジットにはないがピート・ロックが原型を作ったと主張している。
ビギーのラップが冴えるハードコアなブーンバップと、ヒップホップソウル寄りのトラックの曲、またジャマイカ系移民2世らしく、ダンスホールレゲエの要素も取り入れてバランスが良く、飽きさせない。各音楽メディアで常に〈史上最高のヒップホップアルバムリスト〉で上位に入っている理由は、ビギーのラップのキレとフロー、そしてバランスの良さによる聴きやすさだろう。端的に言って、非常に華やか。とくに、“Juicy”やオリジナルよりリミックスがヒットした“One More Chance”はラジオでかかりやすく、このアルバムの商業的な成功に導いた。