MP3開発と違法ダウンロードの跋扈
と、ここで日本レコード協会が発行している冊子「The Record」の1999年11月号を見てみましょう。ふむふむ、『First Love』が8ミリオンでゴールドアルバムに認定された……という記録と同時に、同誌で紹介されているのが〈MP3など圧縮音声の音質表現について〉という短い記事。いわく〈音声をデジタル変換して簡便にオンライン上などで取り扱おうという風潮が横溢〉しつつある昨今、しかしデジタル圧縮音源=MP3の音質について〈CD並み〉〈CDに近い〉などの表現は誤りであり、アーティストや制作者にとっては耐え難いものである。MP3については〈CDの約10分の1のデータ量でそれなりの音質〉と表記されるべきだ……という内容。レコード協会の、デジタル音源に対する冷ややかな態度が見て取れる内容ではないでしょうか。
人々がレコードやCDといったソフトを捨て、データを再生する音楽環境を選ぶとは全く思われていなかったのは、日本だけではなく、世界的な音楽ビジネスの傾向でした。1996年にはドイツのフラウンホーファー研究機構(MP3の技術を開発したのがここ)によるMP3の販売が始まるものの、話題となったのは一部のみ。〈永遠にデータが劣化しない〉と喧伝されたCDですが、まさに多くの人がCDの時代は〈永遠〉だと考えていたのですね。
しかし、時代はゆっくりと変わり始めます……。折しも日本で『First Love』がリリースされるのとほぼ同時期に、サブ・ポップがMP3による音楽配信を実験的にスタートさせました。ニルヴァーナを輩出した1990sロック地図のど真ん中であるこのレーベルがMP3にいち早く着手した、というのは重要でしょう。
そしてポータブルデジタルオーディオプレーヤー、MP3ウォークマン――呼び方は様々ですが、若者向けのコンパクトなMP3プレーヤーは1997年頃から市場に出回り始めました。iPodが登場するまではとりわけ韓国のメーカーがこの分野に強く、mpman、Rio PMP300といったギアが人気を集めます。
そして1999年には、ハッカー青年ショーン・ファニングが音楽ファイル共有ソフトNapsterを開発。ファニングは当初、あくまで限定的なサークル内で音楽情報を交換し合うような、音楽ファンのコミュニティ活性化を促すために開発したようですが、瞬く間に、無限にタダで音楽がダウンロードできる〈悪所〉となっていきます。
iPodの登場とCD売上の低迷
そして決定打となったのは、前述の通りiPodの登場。ポータブルMP3プレーヤーとしては後発でありながら、直感的なインターフェース、iTunesとのシームレスな連携、容量の大きさといった点で競合他社との格の違いをアピール。何よりその洗練されたデザインは、当初MP3につきまとっていたネガティブなイメージを振り払い、新世紀に相応しい新たな音楽体験を提示するかのようでした。
日本では2000年、米国では2003年をピークに、CDの売り上げは下降していきます。急カーブでCDの購入から音楽データの利用に移行し始めたリスナーと、レコード会社との〈ずれ〉が数年間続きます。レコード会社にとって、CDの大成功がダウンロード~配信ビジネスへの移行を躊躇させた感は否めません。
これはメーカーのみならず、大半のミュージシャンやエンジニアにとっても同様で、音質の低さや違法ダウンロードといったネガティブな印象を抱いていたクリエイターは、少なくなかったでしょう。1970年代から一貫して、テクノロジーによる音楽環境の変化に対して肯定的にチャレンジしていた坂本龍一ですら、当初はこの時代の変化には戸惑っていたようです(津田大介「坂本龍一の柔らかな転回 音楽流通の自由と著作権のあいだで」参照)。