2024年10月に再始動を突如発表し、横浜アリーナ公演〈The Blow Your Mind 2025〉を2025年6月21日(土)に、同追加公演を6月22日(日)に開催するSuchmos。2021年に活動休止を発表した彼らだが、その後の評価は高まる一方で、またSuchmosからの影響を公言する若いアーティストも増えた印象だ。今回は彼らの本格的な再始動に向けて、キャリアから後進への影響までを振り返った。 *Mikiki編集部


 

神奈川育ち、長い時間を共有してきた音楽仲間6人

2024年10月4日、SNSアカウントに突如投稿された、新たなカラーリングのロゴ。次なる動きの予兆にざわめくなかで4日後に届けられたのは、Suchmosが2025年6月21日に横浜アリーナ公演〈The Blow Your Mind 2025〉を開催するというアナウンスだった。

2021年2月より〈修行の時期を迎えるため〉として活動休止期間へ突入。同年10月にはHSU(ベース)の他界という受け止めるには大きすぎる別れを経験しながらも、残るメンバーは各々のソロプロジェクトや別バンド、ライブサポートや客演など、多岐にわたる活動で真摯に音楽と向き合う姿を見せてきた。日本の音楽シーンへの登場以降、いち時代を築きながらも常にオルタナティブな存在であり続けてきたSuchmos。ここではその道程を振り返ってみよう。

バンド名の由来はルイ・アームストロングの愛称〈サッチモ〉から。メンバーは全員が神奈川育ちで、幼稚園から大学に至るまでの間、幼馴染みや同級生、先輩後輩や音楽仲間として長い時間を共有してきた間柄だ。2013年の結成当時はYONCE(ボーカル)、HSU(ベース)、OK(ドラムス)、AYUSTAT(ギター)の4人組。公式音源は未発表ながらも2014年の〈フジロック〉では〈ROOKIE A GO-GO〉のトリを務め、翌2015年4月に初のEP『Essence』でデビュー。その3か月後にはファーストアルバム『THE BAY』が届けられ、同作よりギタリストがTAIKINGへと交代し、DJのKaiki Oharaが加入。それまでサポートとして参加していたTAIHEI(キーボード)が正式メンバーとなって、6人体制での土台が固まることとなる。

 

ヒップホップやネオソウル、ジャズがポップスに取り入れられた時代に登場

Suchmosの名が世に知られはじめた2014~2015年は、ちょうど日本のポップスに変革が訪れつつあった時期。2000年代後期に発祥したチルウェイヴを経て、2010年代に入るとジェイムス・ブレイクやザ・ウィークエンド、FKAツイッグスら、いわゆるインディーR&B/ベッドルームソウルと呼ばれたアトモスフェリックなうたものが欧米で主流に。加えて2014年のグラミーを制したダフト・パンク“Get Lucky”と、同年リリースのファレル・ウィリアムス『G I R L』を大きなきっかけに、ディスコ/ブギーのメインストリーム化(と、何度目かのシティポップの隆盛)がここ日本でも進行していく。

そして、ヒップホップやネオソウル、現代ジャズなどをポップスとして鳴らすという動きが見えはじめたのも、この前後だったように思う。その伝播は耳聡いインディーシーンの面々からお茶の間レベルのポップアクトまで。代表的な例を挙げるなら、前者が〈1990年代のJ-POP〉的なソウルマナーで我流の〈街の音楽〉を響かせたceroの『Obscure Ride』、後者が持ち前のフォーキーな佇まいに古のジャズ/R&B色を重ねた星野源の『YELLOW DANCER』だろうか。ともに2015年の作品だ。

つまり、Suchmosが初EP『Essence』を世に送り出したのは、自身の嗜好と時流の音が図らずも合致したタイミング。ディアンジェロやJ・ディラ、ジャミロクワイをフェイバリットに挙げていたこともあり、当時はネオソウルやアシッドジャズの系譜で語られることが多かった。それも間違いではないのだが、爽やかなAORとルーズなヘヴィーロックが地続きで並ぶその作風からは、バンドが規格外のミクスチャー感覚を持っていることがあきらか。ブラックミュージックの持つメロウネスのなかに確かな気配で息づくワイルドな色気――その、いい意味でのおさまりの悪さがとても新鮮だった。