廃墟をイメージした自作曲、神奈川フィルと日本初演
日本を代表する作曲家・ピアニストである野平一郎は今、日本で最も多忙な音楽家の一人だろう。これらの音楽活動に加え、東京音楽大学の学長や東京文化会館の音楽監督、静岡音楽館AOIの芸術監督などの仕事を兼務し、次々とこなしている。
そんな激務の中、5月24日に開かれる神奈川フィルハーモニー管弦楽団の公演では、台湾音楽館委嘱作“廃墟の風景”を日本初演する。本格的なオーケストラ作品である新作は、日台の文化交流から生まれた。
「ACL(アジア作曲家連盟)の副会長をやっているシェン・シェン・リエンという台湾の作曲家がいます。そのリエンさんはフランス留学時、平義久さんがフランスのエコールノルマル音楽院で教えていたときの弟子で、僕の名前を知っていた。そのリエンさんから、国立伝統芸術センターの台湾音楽館として作品を委嘱したいという話がありました」
台湾では2024年12月、指揮者として委嘱作を自ら振って初披露した。タイトルの〈廃墟〉は、何をイメージしたのだろうか。
「台湾での公演はドビュッシーの海や海を引用した武満徹のピアノとオケのための作品があったので、それらとは違う特徴の曲にしようと考えました。3ヶ月間、朝から晩まで曲を作り続けて2024年夏頃完成しました。現代音楽作品は大きな編成の作品を書く機会は少ないですが、今回は海と同じくらいの編成の作品。曲は3つの部分で構成されていて、1、2曲目の合間はよくわかるが、2、3曲目の合間がわかりにくいです」
「廃墟とありますが、別に戦争を意識して作曲したわけではないし、特定の廃墟をイメージしたわけでもない。栄華が崩れ落ちる廃墟に興味があった。以前、芥川賞作家の松浦寿輝さんに合唱曲のテキストを書いていただいた時、松浦さんが廃墟の話をしたことが頭の中に残っていた。ドイツ出身の作家ゼーバルトの小説『アウステルリッツ』は主人公が建築史家と廃墟を巡る話で、これも廃墟のイメージに影響を及ぼしています」
神奈川フィルが神奈川県立音楽堂で企画する〈音楽堂シリーズ〉は、クラシック曲と現代音楽を組み合わせて提案する。野平がこの企画に出演するのは2回目だ。
「1回目の時はモーツァルトのコンチェルトの弾き振りとハイドン、英国のジョージ・ベンジャミンの曲でした。今回は自作曲の他、フランスのヤン・マレシュの作品“ジグザグ・エチュード”を選びました。この曲も日本初演です。ヤンはフランスの中でもピカイチの作曲家ですが、日本であまり演奏されないことに違和感を持っていた。そのほかはラヴェルの2作をやる予定です。ラヴェルは生誕150周年ですが、本当にすべてがはまっている感じの人です。ドビュッシーとは全然違う空気感で、響きなど毎回何かしら得られるものがある」
“廃墟の風景”をどのように演奏したいのか。
「自作曲であっても、何もやらないと身体に入ってきません。自作だからと言って、自分の作品が理解できるかと言えば違います。指揮者と作曲というのは全く逆のプロセスを経ます。指揮者は1人の中にある曲を追求し、作曲家は曲が完成したらさらに次に行きたい人種です。ですので、自分の中でも試行錯誤しながらやる。指揮と作曲をやったブーレーズのように客観的に自作曲を見て、知と情のバランスを常に取るのは並大抵のことではありません」
作曲家、ピアニスト、指揮者の仕事を上手くやり遂げるコツはあるのか。そして、この多忙業務の中、音楽家として何をすべきだと考えているのか。
「切り替えが大切なのは間違いありません。よく学生にも言うのですが、時間を無駄にしないということがきわめて重要です。これは今の僕に向けた言葉でもあります。自分の活動では以前ベートーヴェンの楽曲分析本を出したので、今度はバッハやドビュッシー、特にドビュッシーを理論的に解明したい。また、東京文化会館ではフェスを立ち上げたので成功させたいし、東京音大はやることが山積み。どれもきちんとやりたいです」
自分の時間がなかなか取れない日々を送りながらも、「様々な仕事が音楽活動に生きる」と飄々と語る野平。稀有な包容力と柔軟性を持つ音楽家はどこまで進化するのか。その答えは渾身の指揮と新曲を聴くことで見えてくる。
野平一郎(Ichiro Nodaira)
東京藝術大学大学院修了後、パリ国立高等音楽院に学ぶ。現在、作曲家、ピアニスト、指揮者、教育者として国際的に活躍する音楽家。第13回中島健蔵音楽賞、第44回、第61回尾高賞、芸術選奨文部大臣新人賞、第11回京都音楽賞実践部門賞、第35回サントリー音楽賞、第55回芸術選奨文部科学大臣賞、日本芸術院賞、第52回ENEOS音楽賞洋楽部門本賞を受賞。2012年春、紫綬褒章を受章。日本芸術院会員。現在、東京藝術大学名誉教授、東京音楽大学学長。2021年9月より東京文化会館音楽監督。
LIVE INFORMATION
音楽堂シリーズ第32回
2025年5月24日(土)神奈川県立音楽堂
開演:15:00
■出演
野平一郎(指揮)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
■曲目
ヤン・マレシュ/ジグザグ・エチュード[日本初演]
野平一郎/廃墟の風景[日本初演] 国立伝統芸術センター台湾音楽館による委嘱作品 Commissioned by the Taiwan Music Institute, National Center for Traditional Arts.
ラヴェル/クープランの墓
ラヴェル/マ・メール・ロワ(バレエ版)