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80年代初頭の全盛期からバンドブーム以降の沈静化へ

――お2人のフュージョンとの出会いや当初の印象についてもお伺いさせてください。

栗本「フュージョン/クロスオーバーブームが日本で盛り上がったのが80年代初頭とすると、先ほど言ったように当時僕は中学生で、ちょうど音楽を聴きはじめた頃。元々クラシックから音楽に入ったので、キース・ジャレットやチック・コリアからジャズを聴きはじめました。

あとラジオっ子だったので、雑誌『FM STATION』の番組表で青字で記されていたジャズ番組をエアチェックしていました。当時は『クロスオーバーイレブン』などジャズがかかる番組が多く、井上堯之さんが司会だった『Lo-D ライブコンサート』や『セッション○○』のようなライブ番組も多かった。当時は頻繁にフュージョン系の方が出ていましたね。渡辺貞夫さんの『(ブラバス・サウンド・トリップ/渡辺貞夫)マイ・ディア・ライフ』ではジャズからフュージョン、ブラジル音楽まで何でもかかっていて、当時の音楽好きはロックもフュージョンも分け隔てなく聴く感じだったんです。山下達郎とカシオペアのレコードを一緒に買う、ということも普通でした。

それが80年代後半になるに従ってフュージョンやシティポップが淘汰され、より衝動的なロックがかっこいいという風潮になり、僕も自然と聴かなくなりました」

柴崎「僕は、物心ついた頃からフュージョンはすでに縁遠いものでした。ブーム自体を知らないので、それこそT-SQUAREのF1番組の曲(“TRUTH”)のイメージしかなく、あとは吹奏楽部の演奏が上手な部員が好きな音楽という印象でした。自分はもっと昔のロックやソウルの文化にどっぷりだったので、平たく言えば仮想敵でしたね(笑)。

ただ洋楽のフュージョンは、レアグルーヴの流れで意識せず聴いてはいました」

栗本「レアグルーヴ系はフュージョンというよりクロスオーバーと呼ぶべきで、このニュアンスの違いは微妙ですね」

柴崎「そうそう。70年代のロニー・リストン・スミスとかは好きでしたが、80年代のリー・リトナーまでいくと途端にシャットアウトしてしまう感じ……。UKクラブカルチャーがかっこよさの源泉だと思い込んで育った世代なので、レアグルーヴ以降の感覚が一種の呪縛としてある(笑)。当時の感覚としては、ほとんどパラダイムと言っていいくらい。例えばパトリース・ラッシェンは好きだけど、マリーンはどうも……みたいな線引きが明確にありました。いま両方聴くと、なんで分け隔てる必要があったんだろう?と思いますが、国内のフュージョン受容のイメージで勝手にシャットアウトしてしまっていたんですね。

あとは、やはり菊地成孔さんのジャズ観からの影響は巨大でした。なのでエレクトリック・マイルスが最もクールだと思っていたし、日本のフュージョンにもT-SQUAREやカシオペアじゃなく菊地雅章さんの『Susto』から入ったと思います。アバンギャルドな電化ジャズとして聴いた作品がどうやらフュージョンとしても評価されているらしい、といった感じで」

栗本「僕もフュージョンを再び聴きはじめたのが、90年代のレアグルーヴの流れでした。マスターカッツのコンピシリーズで〈ジャップジャズ〉をテーマにしたものもありましたね(1996年作『Classic Jazz-Funk Mastercuts Volume 6 (The Definitive Jap-Jazz Mastercuts)』)。それこそ今回収録した福村博“Hunt Up Wind”などグルーヴィな曲が入っていて、当時は日野皓正『シティ・コネクション』を聴き直してみたり。

その後、沖野修也さんがフュージョンのコンピを作ったり、『Wax Poetics』のコンピにELECTRIC BIRDの大野俊三や本多俊之の曲が入ったりしたことで考えを改めて掘っていきました。ただ、その頃はまだ多くの人がフュージョンを聴いている状況ではありませんでした」

 

UKで高く評価されたJフュージョン

柴崎「まさに僕は、90年代当時にそういう流れがあったことを知らなかったんですよね。それで言うと、プレイヤー志向の強い全盛期のフュージョンキッズの中でも、カシオペアなどがUKジャズダンスのシーンで評価されていたことをわかっていた人は少数だったんじゃないかとも思っていて。日本のフュージョンの曲は、実は80年頃からロンドンなどのクラブでかかっていたという話がありますね。カシオペアのロンドン公演にヒップな客がたくさん詰めかけたとか、そういったことが知られるようになるのは先の話で。

例えば1993年にカシオペアのリミックス集『Recall (Cuts U.K. Remix)』が出てるんですけど、下地となった状況を押さえていないと〈おしゃれなアシッドジャズの人たちが、なぜあのカシオペアを?〉と思ってしまう。僕も、歴史を知っていく中で企画の狙いを理解できるようになりました」

栗本「実際1994、1995年頃にロンドンへ行ってレコード屋を巡っていたら〈Japanese Jazz〉のコーナーがあったので、UKのDJの間では日本のジャズやフュージョンはある程度認知されていたんでしょうね」

柴崎「スノウボーイが書いた『UKジャズ・ダンス・ヒストリー 〜From Jazz Funk & Fusion To Acid Jazz』が資料的に重要で、日本のフュージョン人気に限らず、その辺りのUKジャズダンス文化の詳しい歴史が日本語訳でまとまっているほぼ唯一の本だと思います。本の最後に当時のDJチャートが載っていて、日本のフュージョンの曲もガンガン入っています。そうやってあとから勉強して、興味深い文化だと思いました。〈リスナー視点から日本のフュージョンを評価する〉という審美眼も、その辺りがルーツになっていると思います」