加藤登紀子から2枚組のニューアルバム『for peace』が届けられた。戦後80年、昭和100年、そして加藤がデビューから60年を迎える2025年、様々なタイミングが重なった年に平和への思いを届ける大作だ。激動の世界情勢、悲しみに満ちた現代社会において、壁を作るのでなくそれを越える橋を架けたい――そんな願いが込められ、新曲や“百万本のバラ”“愛の讃歌”“難破船”“時には昔の話を”といった代表曲の新録が収められている。
慈愛に満ちた『for peace』のリリースを祝って、Mikikiでは加藤と江﨑文武の対談をお届けしよう。今回、加藤がセルフカバーした“きみはもうひとりじゃない”(2022年)は元々Hana Hopeへの提供曲で、江﨑が作曲、加藤が作詞した作品だった。その縁に導かれた江﨑は、本作において“80億の祈り”の編曲や“時には昔の話を”の演奏などで携わっている。2人の話題は映画「紅の豚」のことから音楽家の役割まで多岐にわたった。

日本人独特の会話を意識した歌詞
――本日はよろしくお願いいたします。
加藤登紀子「(インタビューの質問表を見て)これ、面白いと思いました」
――加藤さんの歌い方や歌詞は日本語の言葉の意味がストレートに伝わってきますが、ヒップホップを経た現代のシンガーは意味より響きや韻を重視している、という話題ですね。
加藤「最近は意味を伝えるより、言葉の面白さを綴っている詞が多いですよね。思いをはっきり伝えないこと、意味がわかりやすすぎることに対して気を遣っていると思います。メッセージは何か、自分が言おうとしていることは何かがバレないよう、はぐらかしながら詞を作っている感じで、隙間から逃げて、はっきり伝わらないようにすることで何かを届けるというか。意味がはっきりしていることに対する否定感や懸念があるのでしょう。
それは私もわかるし、別に嫌ではありません。言いたいことが何なのかわからなかったり、何かを言ってしまうと違う気がしたり、そういう迷いがある。それは、そういう時代なんだと思うんです。
今回、私は私なりに『for peace』というアルバムを作りましたが、ただ平和を叫べばいいかというとそうではない。どうやって伝えるか、何によって気持ちを届けるかは、詞を作る時に考えています」
江﨑文武「僕と同世代やさらに若いシンガーは短いフレーズの中に多くの情報を詰め込もうとするから、言葉の重さはあまりないですね。畳みかけるように〈次のフレーズ、次のフレーズ〉と展開していくので、間の取り方は以前と違うものになってきています」
加藤「私は日本語というか、日本人独特の日常会話を意識しています。日本語の会話って、大事なことから入らないじゃない? さりげなく〈だからさ〉と言ったりしてから本題に入るんですよね。なので〈でもね〉とか〈だから〉とか、そういう言葉に感情を入れて歌うんです。“時には昔の話を”も〈そうだね〉の部分に感情が出ますね。“難破船”も〈たかが〉という一言が強くて、そこからあとのストーリーよりも感情が入っているんです。
それに会話って、難しいことを言わないじゃないですか? 聞いてわかる言葉で話さないと相手に伝わらないから、会話の延長の感覚で詞を作っているんですね。だけど現代の詞は、目で文字を見るような作り方をしている。字幕が出て見た時に〈お~!〉と驚くようなものが多いですね」
江﨑「確かに! 歌詞がテキストで読めることが当たり前になっているから、ヒップホップの詞も書かれたものがラップされ、それを反芻している感じがありますね」
加藤「私はコンサートで言葉を隅々までわかってほしいので、歌詞を間違えると大変(笑)。一生懸命作ったのに! 悔しい!って思っちゃう。一言違うだけで意味がまったく異なるものになっちゃうので。
“きみはもうひとりじゃない”はすでにコンサートで歌っていますが、すごくほっとするいい歌ですね。人がふうっと入ってきてくれるというか、溶け合う感じの曲です。今回のアルバムは私なりにメッセージ性が強いアルバムなので、その中で透明な優しい空気に触れられるいい曲だと思います」
――おっしゃる通り、この『for peace』というアルバムは加藤さんのメッセージが非常に色濃く反映されていて、その重みを受け止めて聴きました。一方、加藤さんの優しさも同時に宿っていて、両側面があるアルバムだと思ったんです。
江﨑「優しさと重みや伝えたいメッセージが同居した作品って、なかなか出会えませんよね。アルバムを通して聴かせていただいた時、ひさしぶりに言葉が一つ一つ刺さってきて、聴き終えたあとは一本の映画を見終えたようで、色々なことを感じる作品でした。それはやはり、言葉がしっかり入ってくるからだと思います」