話題の「続・続・最後から二番目の恋」とエンディング曲“ダンスに間に合う”

フジテレビ系月9ドラマ「続・続・最後から二番目の恋」が、2025年6月23日(月)に最終回を迎える。小泉今日子演じるテレビ局プロデューサー・吉野千明と中井貴一演じる市役所職員・長倉和平の恋模様を、古都・鎌倉の情緒とともに描いてきたロマンチック&ホームコメディー「最後から二番目の恋」シリーズ。2012年の第1期とスペシャルドラマ、2014年の第2期に続く、待望の新作として4月からスタートした今作は、11年の空白を経ての続編ということで放送前に全く不安を感じなかったと言えば噓になるが、かくして幕を開けた第3期はシリーズ最高傑作とすら感じてしまうほど毎回、唸らずにいられない。

そんな「続・続・最後から二番目の恋」は、小泉今日子&中井貴一によるエンディグテーマ“ダンスに間に合う”も大きな反響を呼んでいる。前作「続・最後から二番目の恋」ではクレイジーケンバンドの横山剣が提供した、同じく二人のデュエット曲“T字路”がエンディングに使用され好評を博したが、今回は全国のフロアを沸かせるソウルバンド、思い出野郎Aチームが2017年にリリースした名曲のカバーということで、ドラマのために書き下ろされたものではない。それにも拘わらず、ドラマと楽曲が深い部分で呼応し、溶け合うように一つの物語を織りなしているように感じられてならないのだ。

そこでこの記事では、6月11日にCDシングルとしても発売された“ダンスに間に合う”と「続・続・最後から二番目の恋」の響き合う関係性について、少し掘り下げてみたいと思う。

小泉今日子, 中井貴一 『ダンスに間に合う』 ビクター(2025)

 

岡田惠和が描く〈答えのない〉人間ドラマ

まず、ドラマの第1期では45歳と50歳だった千明と和平は今作で59歳と63歳となり、長倉家の面々や千明の友人たちもアラカンやアラフィフの世代に突入し、人生を見つめる眼差しや社会における立場の揺らぎもより切実なものになってきている。そんな彼らが老いの現実に打ちのめされたり、寂しさに飲まれたりする姿は全く他人事とは思えないリアリティーがあり、身につまされてしまう。前作から11年の月日が流れているが、白髪を活かしたキョンキョンの役作りや和平の娘・えりなを子役時代から演じ続ける白本彩奈のリアルな成長、そしてコロナ禍を遡って描く試みなどが、その間も彼らが地に足をつけて生きてきたことを、説得力を持って実感させてくれる。

本シリーズの脚本を手掛けるのは、「ちゅらさん」「ひよっこ」「泣くな、はらちゃん」など数多くの人気ドラマを生み出してきた岡田惠和。かつて名作ドラマの重要なポイントの一つを、リスペクトする脚本家・山田太一の作品のように〈答えのないところ〉だと語っていたが(第5話での柳沢慎吾と中井貴一の共演は「ふぞろいの林檎たち」へのオマージュ)、まさに「続・続・最後から二番目の恋」には答えがない。何が正しくて何が間違いなのか、どちらへ進めばいいのか、正解のようなものは提示されない。登場人物たちは自分なりに悩んだりジタバタしたり、誰かに気持ちを打ち明けたりしながら、何かしらの方向へ進んでいくか、あるいはそのしんどさをどうにかやり過ごして生きている。

先日放送された第10話では、千明の友人・祥子(渡辺真起子)が部下から届いた自身を罵る〈誤爆〉のメッセージに涙し、千明がその悔しさや怒りを和平に〈駄々をこねる〉ようにぶつける姿が胸に迫った。また、第7話では、グラビアの撮影に挑戦するも、理想と現実のギャップに罪悪感や虚しさを覚え、散らかった部屋の中で一人ぼんやりする長倉家の長女・典子(飯島直子)の孤独や、そんな典子にかける言葉を見つけられない千明の歯がゆさが描かれたが、そうした彼らの不器用だけれど精一杯で、人間らしいおかしみにあふれた姿に、毎週テレビの前で一喜一憂している。だからこそ、ドラマの最後に“ダンスに間に合う”が流れ始めると、思わず救われた気持ちになるのだ。