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決して戻らない夏

本作のなかで季節を最も体現しているギミックは言うまでもなく〈打ち上げ花火〉なのだけど、思えば花火ほど一回性や刹那という言葉が相応しい代物もないだろう。アニメ版の主題歌であるDAOKO × 米津玄師の“打上花火”の歌詞に倣えば〈パッと花火が/夜に咲いた/夜に咲いて/静かに消えた〉である。上がって開いて一瞬で散る、その儚いほどの不可逆性において花火はつねに夏の象徴だと言える。ひょっとしたら〈花火を横から見たい〉という少年たちの発想には、その不可逆性に対するささやかな抵抗という意味があるのかもしれないが、いずれにせよ夏も花火も消えることだけは避けられない。

そしてさらに言えば、なずなというヒロイン自体も夏のメタファーのように思える。映像としてわかりやすいのは昼間のプールのシーンで、光や水による眩いばかりの色彩が彼女のキャラクターと鮮烈に結びつき、視覚的にもなずなと夏は同一化している。また、典道を逃避行に誘う彼女の自由奔放な態度は、夏の高揚感と解放感を具現化したように大胆だ。なずなはまた、子供と大人の境界にいるマージナルな存在としても描かれているが、彼女は駆け落ちを企てて大人への扉をちらつかせるものの、結局そこに踏み込むことはできない。それが、必ず終わってしまう夏という季節の限界を示しているのだろう。

こうした夏のイメージの執拗なほどの蓄積は、当然ながら観る者それぞれの記憶を緩やかに呼び起こす。けれどそのほとんどは特定の出来事というよりも、青空に浮かぶ入道雲や草いきれの匂い、蝉しぐれや祭りの喧噪といった心象風景の断片だろう。それはいつか体験したはずなのに細部は淡くぼやけた感覚の残像であり、懐かしくて切ないような〈That Summer Feeling〉である。

「打ち上げ花火~」は単なるジュブナイルでもラブストーリーでもない。分岐する物語、繊細な色調の映像美、メタファーとしての花火や少女――すべてを通して描かれたのは〈決して戻らない夏〉である。そしてそれが個々の〈あの夏の感じ〉を呼び起こしたとき、この映画は観る者にとってかけがえのない作品になるのだ。

 

「打ち上げ花火~」のように〈宙ぶらりんの季節〉を描いた作品群

最後に、「打ち上げ花火~」が制作された1990年代前半という時代背景にも留意しておきたい。バブルが崩壊し世紀末を目前に控えた、あの独特の空虚な雰囲気の中には、戻れない時間に対するノスタルジーや喪失感めいた感傷も少なからず漂っていた。〈この夏も、やがてあの夏になる〉、1993年に某CMで使われたこの有名なフレーズも、そんな時代ならではだろう。

またこの頃から思春期や青春を扱った物語でも、「打ち上げ花火~」同様に答えの出ない〈宙ぶらりんの季節〉を描いた作品が多く生まれたように思える。当時は僕自身が20歳前後だったのでそうした話に敏感になっていたこともあるだろうが、時代の雰囲気もたしかにあった。

映画ならば中原俊監督の「櫻の園」や古厩智之監督の「この窓は君のもの」(とくに後者は田舎町を舞台にしたひと夏の青春という点で「打ち上げ花火~」と親和性が高い)。漫画では安達哲の「さくらの唄」や岡崎京子の「リバーズ・エッジ」。その宙吊りの感覚は、1995年に「新世紀エヴァンゲリオン」が登場したことでより鮮明になっていく。

 


PROFILE: 北爪啓之
1972年生まれ。1999年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈ろっくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオ第一「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。