Photo by 坂本正郁
タワーレコード新宿店~渋谷店の洋楽ロック/ポップス担当として、長年にわたり数々の企画やバイイングを行ってきた北爪啓之さんによる連載〈聴いたことのない旧譜は新譜〉。そのタイトル通り、本連載では旧譜と称されてしまった作品を現在の耳で新譜として紹介していきます。
第12回では、“青春狂走曲”“恋におちたら”などが収められたサニーデイ・サービスの名盤『東京』について、北爪さんが思いを巡らせました。 *Mikiki編集部
サニーデイ・サービスが表現した〈東京〉とは?
サニーデイ・サービスのセカンドアルバム『東京』は1996年の2月にリリースされた。当時、地方のタワレコで事前予約をして発売日を指折り数えていた身としてはにわかに信じ難い事実ではあるが、『東京』は今年で30周年を迎えたのだ。
サニーデイはもともとフリッパーズ・ギターやマッドチェスターのような同時代のサウンドから影響を受けていたが、メジャーデビューアルバムの『若者たち』(1995年)からはっぴいえんどを筆頭とした往年の邦楽ロック/フォークを彷彿とさせる音楽性へと大きく変化した。2作目の『東京』では前作にあった絶妙なフェイクっぽさ(それはそれで良い)が薄れ、よりストレートで無作為的な〈1990年代産の1970年代フォーキーロック〉とでもいうべき独自の音楽を作り上げた。
興味深いのは、じつはこのアルバムは冒頭に“東京”という題の曲があるだけで、収録された楽曲の歌詞には〈東京〉という単語はまるで登場しないし、東京を想起させるキーワードも見当たらないのだ。では一体本作のタイトルが意味する〈東京〉とは何なのか? 今回はそんなテーマに沿ってつれづれなるままに書いてみようと思う。
はっぴいえんどの〈風街〉にも通じる、曽我部恵一にとっての〈東京〉
1つのヒントになりそうなのがサニーデイに多大な影響を与えたバンド、はっぴいえんど(というよりも作詞を担当していた松本隆)がアルバム『風街ろまん』(1971年)で提示した〈風街〉というキーワードだ。1949年に港区の青山で生まれた松本にとってそれは、高度経済成長期とオリンピックに伴う再開発によって失われた街の原風景を1970年代当時の都市の上に詩的に幻視する試みだった。
たとえば代表曲の“風をあつめて”では〈起きぬけの路面電車〉が海を渡り、〈緋色の帆を掲げた都市〉が碇泊しているのである。風街とは東京の山手という〈内側〉の視点からみた、失われた風景を幻想的に呼び戻すメモリや記憶装置のようなものだったのだ。
一方、サニーデイの作詞作曲を担当する曽我部恵一は、香川県出身で高校時代まで地元で暮らしていたという。ほぼ同時代に北関東で思春期を過ごしていた自分にさえ東京は(おもに精神的な意味で)遠い場所だったのだから、四国ならばなおさらだろう。おそらく彼にとっての東京は、僕やその他多くの〈外側〉の人々と同じようにテレビや映画、音楽といったメディアのイメージが先行する、なかば空想めいた憧憬の街だったに違いない。
ジャケット写真に映し出された〈過ぎ去った未来〉
さきに『東京』の収録曲の歌詞には〈東京〉が登場しないことに触れたが、じつはこのアルバムには1つだけ〈東京〉を明確に指し示しているものがある。それは満開の桜が印象的なジャケット写真だ。この有名なアートワークは1970年代初頭に出版された植物図鑑から引用したもので、東京の千鳥ヶ淵で撮影されている。つまり被写体は東京の中心にある皇居のお堀と首都高速道路なのである。極論すれば『東京』というアルバムの主題はこのジャケットに収斂されているような気がするのだが、ともあれここでは〈首都高〉に注目してみたい。
松本隆は1975年に上梓したエッセイ集「微熱少年」の中でこう語っている。〈映画館がとりこわされ、首都高速が威圧するような巨大な影を街におとすようになり、都電の線路はいつの間にかはずされてしまった街で少年時代を過ごしてきた〉。オリンピックを見据えて次々と開通していった首都高は国家レベルでは未来の象徴でもあったが、東京という街の当事者だった松本にとっては馴染みの景色を葬り去る仇敵のような存在だったのだ。
しかし、というか当然ながら、『東京』のジャケ写にはそんな緊張感は微塵もない。むしろ僕を含め多くの人たちはこの写真に何かしらのノスタルジーを感じてしまうのではないだろうか。少なくともバブル崩壊後の不況や阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件などを経た1996年という不穏な時期において、四半世紀前の桜色に染まった都市風景は十分に優しく懐古的だった。ここでは、かつては来るべき未来の象徴だった高速道路もすでに遠く〈過ぎ去った未来〉の痕跡として映っているように思える。いずれにせよ緩やかな諦念も孕んだその郷愁めいた情感は、何よりもサニーデイの奏でるサウンドと叙情的な歌にハマりすぎるほどハマっていたのである。
東京の内側からの喪失感と外側からの憧憬と追想、1970年代と1990年代。両者は位相も時代も大きく異なるけれど、どちらも東京を単なる都市としてではなく〈過去と現在の時間が重なったトポス〉として捉えている点では共通しているように思う。
ところで僕は『東京』というアルバムに向き合うとき、はっぴいえんどと並んでいつもヴァン・ダイク・パークスのことも思い出してしまうのだ。それは彼がはっぴいえんどの名曲“さよならアメリカ さよならニッポン”に編曲で携わっていたからというわけではない。
ヴァン・ダイクのファーストアルバム『Song Cycle』(1968年)は、過去のさまざまな米国大衆音楽の断片を散りばめながら、テープ操作やエフェクトを駆使して万華鏡の如き音のパノラマを展開した傑作だ。当時のアメリカではヒッピーやフラワームーブメントなど若者主体のカウンターカルチャーが勃興し、旧来の慣習や伝統的な価値観は否定される対象となっていた。彼はそんな世相へのさらなるカウンターとして、古き良き音楽スタイルを最新の録音技術によってコラージュしたのだ。
ヴァン・ダイクとサニーデイを重ねてみると、1996年に『東京』が対峙したカルチャーはやはり〈渋谷系〉だったように思える。その名の通り東京発の先端的なムーブメントである渋谷系は(そこに括られたアーティストたちの思惑はともかく)つねに洒脱で祝祭的な都会の空気感をまとっていた。
華やかな都市生活を享受できなかった人たちのリアルがそこにあった
以下はあくまで憶測になるが、もともと渋谷系的なバンドとして出発したサニーデイは、通俗化された渋谷系のイメージへの逆張りとして『若者たち』を作り上げた。この時点ではまだネタとして懐古趣味を楽しんでいる気配もあったが、どこか腹を括ったと感じられる『東京』ではレトロスペクティブなサウンドがより必然的なものとして鳴らされた。ようはまだ〈渋谷系側からの視点〉だった逆張りやネタとしての音楽から脱却したからこそ、お洒落で先端的な都市とは対極にある〈日常的でノスタルジックな東京〉というイメージをアルバムに付与したかったのではないだろうか。
それゆえ収録された楽曲のどの歌詞でもたいてい街には繰り出しているものの、半径5メートル程度の淡い日常や感情を描いているだけで、都会の煌びやかさはどこにも感じられない。もっとも、当時の曽我部は「普通に過ごしている中でフッと覚醒する瞬間が一番好き」というような発言をしていたので、それが彼のリアルだったのだろうし、白状すれば華やかな都市生活を享受できていなかった僕(そしておそらくほとんどの若者たち)のリアルでもあったのだ。
サニーデイ・サービスのアルバム『東京』における〈東京〉について思いを巡らせてきたが、それは〈過去と現在の時間が重なったトポス〉のようでもあり、渋谷系に対する静かなカウンターのようでもあった。いずれにせよ明確な解答というわけではないのだが、リリースから30年経ったいまでさえ、まだ答えがないならないでいいような気もする。きっと〈いつかは冬が過ぎ春が来て/忘れてしまった頃に思い出す〉のだから(“いろんなことに夢中になったり飽きたり”より)。
PROFILE: 北爪啓之
1972年生まれ。1999年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈ろっくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオ第一「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。
