タワーレコード新宿店~渋谷店の洋楽ロック/ポップス担当として、長年にわたり数々の企画やバイイングを行ってきた北爪啓之さんによる連載〈聴いたことのない旧譜は新譜〉。そのタイトル通り、本連載では旧譜と称されてしまった作品を現在の耳で新譜として紹介していきます。

第7回は音楽作品ではなく、1995年に公開された映画「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」を取り上げました。今から30年前の夏、ジャパニーズカルチャーに大きな衝撃を与えた岩井俊二の傑作を北爪さんはどう観たのか。公開当時の夏を感じられる内容は必読です。 *Mikiki編集部

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思春期の少年少女が体験する、夏のたった一日の物語

ジョナサン・リッチマンに“That Summer Feeling”というタイトルの歌がある。〈あの夏の感じ〉、それはいつかあった季節の記憶を呼び起こすような不思議な言葉だ。今回取り上げるのは、まさに〈あの夏の感じ〉を想起させる映画である。

1992年作『I, Jonathan』収録の再録バージョン(オリジナルは1983年リリース)

そう、今回は夏の特別編と勝手に銘打って、音楽(旧譜)ではなく一本の映画(旧作)について書いてみたい。それはちょうど30年前の1995年8月に公開された、岩井俊二監督の「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」である。

もともとは1993年にフジテレビで放送されたオムニバスドラマ「if もしも」の中の一篇だったが、世評に後押しされる形で再構成のうえ劇場公開に至った変わり種の作品だ。2017年にはアニメ映画化されて話題になったことも記憶に新しい。

岩井俊二 『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』 ノーマンズ・ノーズ(1999)

あらすじ ※以下ネタバレあり
海沿いの町の夏休み。花火大会と登校日が重なったため、嶋田典道、安曇祐介ら小学生男子5人組は〈打ち上げ花火は横から見たら丸いのか? 平べったいのか?〉という疑問で盛り上がっていた。典道と祐介はクラスメイトの及川なずなが好きだったが、彼女は両親の離婚によって(同級生には知らせないまま)新学期には転校することが決まっていた。親に反発した彼女はプールで競争する典道と祐介を見て、勝った方と駆け落ちしようとひそかに賭けをする。

途中まで優勢だった典道だが、ターン時に足を怪我したことで負けてしまう。勝った祐介はなずなから花火大会に誘われるが、怖じけづいた祐介が待ち合わせを反故したことで、なずなは母親に強引に連れ戻されてしまう。それを目撃した典道は祐介を殴り、〈俺が勝っていれば〉と後悔に苛まれるのだった。

以降は〈もしも典道が勝利していたら〉という、もう一つの〈あったかもしれない〉展開が描かれる。競争に勝った典道はなずなと逃避行に出る。行く当てもなくバスに乗ったり列車を待ったりするなずなに翻弄されたのち、2人は夜の学校のプールに忍び込む。水遊びに興じたあと、なずなは〈次に会えるのは2学期だね〉と微笑むが、それは叶わない約束だった。

いっぽう祐介たちは疑問を解くために花火を横から見れる灯台まで向かうが、辿りついたときには大会はもう終わっていた。しかし、花火師のはからいで最後に残り玉が1つ打ち上げられるのだった。

思春期に差しかかった少年少女たちが体験する、夏のたった一日の物語だ。普通のジュブナイルと異なるのは、途中でストーリーが分岐して2つの結末を迎えるという仕掛けが施されていることである。

 

映像の色調で〈夏〉そのものを描く

本作には語るべき魅力がいくつかあるが、1つにはREMEDIOSによる音楽の美しさが挙げられる。麗美の名で活躍していたシンガーソングライターによる匿名性の強いソロユニットで、静謐で透明感のある音楽(アンビエントやミニマル的要素もある)が映像と見事にシンクロしている。とりわけ夜のプールの場面で流れる“Forever Friends”は、英語詞ながら細やかな詩情に溢れた名曲。のちのアニメ版におけるDAOKOのカバーも原曲に忠実だったことからも、いかに普遍性のあるナンバーなのかがわかるだろう。

そして、なずなを演じた奥菜恵の神懸かり的な美少女ぶりも本作には不可欠の要素だろう。切ないほどの可憐さと憂いを持った彼女の存在なくして、この映画は決して成立することはなかった。岩井俊二はもともとアーティストのMVなどを手掛ける映像作家だったのだが、見方を変えればこの作品は、当時14歳だった奥菜の姿をフィルムの中に永遠に封じ込めた、珠玉のプロモーションビデオという捉え方もできなくはない。

でも今回は音楽でも奥菜でもない、この映画が描く夏について考えてみたいのだ。私的には「打ち上げ花火~」は徹底して〈夏という季節〉にこだわっているからこそ、いまだに名作として語り継がれていると思っている。それは一体どういうことなのか。

これは僕だけに限らないと思うが、10代の頃の夏はなによりも待ち遠しく大切な季節だった。いま思えばそれは〈夏休み〉という特権的な時間を与えられていたからなのだろうけど、当時の自分はそんなことに気付く由もない。

すっかり大人になってしまった現在では、夏はとにかく暑くて気だるい困ったシーズンである。ただ、それでも他の四季にはない妙なノスタルジーをいまだ感じてしまうのは、子供の時分にしかなかった夏休み(そしてそのとき体験した夏祭りや夏合宿や花火や恋心など)の仄かな記憶が残っているからに違いない。だからこそ夏とは、〈もう決して戻らない〉という一回性を強く感じてしまうやるせない季節でもあるのだ。

夏には始まりがあり、終わりがある。それは他の季節に比べるとずっとコントラストが強くて明確だ。この映画はそんな夏の刹那的な特性を、ビートルズで言うところの“A Day In The Life”に凝縮して描いている。

典道や祐介たちの視点から見たその一日は、朝の登校に始まり(初夏)、遊びと競争の昼、冒険の夕方を経て(盛夏)、祭りが終わる夜で幕を閉じる(晩夏)。この変化がわかりやすく窺えるのが映像を彩る色調で、時間が経つにつれて金色→橙→群青→漆黒というグラデーションを描きながら終わりに近付いていく。ようは「打ち上げ花火~」で描かれた時間は単なる夏の一日ではなく、縮図化された夏そのものなのである。

 

決して戻らない夏

本作のなかで季節を最も体現しているギミックは言うまでもなく〈打ち上げ花火〉なのだけど、思えば花火ほど一回性や刹那という言葉が相応しい代物もないだろう。アニメ版の主題歌であるDAOKO × 米津玄師の“打上花火”の歌詞に倣えば〈パッと花火が/夜に咲いた/夜に咲いて/静かに消えた〉である。上がって開いて一瞬で散る、その儚いほどの不可逆性において花火はつねに夏の象徴だと言える。ひょっとしたら〈花火を横から見たい〉という少年たちの発想には、その不可逆性に対するささやかな抵抗という意味があるのかもしれないが、いずれにせよ夏も花火も消えることだけは避けられない。

そしてさらに言えば、なずなというヒロイン自体も夏のメタファーのように思える。映像としてわかりやすいのは昼間のプールのシーンで、光や水による眩いばかりの色彩が彼女のキャラクターと鮮烈に結びつき、視覚的にもなずなと夏は同一化している。また、典道を逃避行に誘う彼女の自由奔放な態度は、夏の高揚感と解放感を具現化したように大胆だ。なずなはまた、子供と大人の境界にいるマージナルな存在としても描かれているが、彼女は駆け落ちを企てて大人への扉をちらつかせるものの、結局そこに踏み込むことはできない。それが、必ず終わってしまう夏という季節の限界を示しているのだろう。

こうした夏のイメージの執拗なほどの蓄積は、当然ながら観る者それぞれの記憶を緩やかに呼び起こす。けれどそのほとんどは特定の出来事というよりも、青空に浮かぶ入道雲や草いきれの匂い、蝉しぐれや祭りの喧噪といった心象風景の断片だろう。それはいつか体験したはずなのに細部は淡くぼやけた感覚の残像であり、懐かしくて切ないような〈That Summer Feeling〉である。

「打ち上げ花火~」は単なるジュブナイルでもラブストーリーでもない。分岐する物語、繊細な色調の映像美、メタファーとしての花火や少女――すべてを通して描かれたのは〈決して戻らない夏〉である。そしてそれが個々の〈あの夏の感じ〉を呼び起こしたとき、この映画は観る者にとってかけがえのない作品になるのだ。

 

「打ち上げ花火~」のように〈宙ぶらりんの季節〉を描いた作品群

最後に、「打ち上げ花火~」が制作された1990年代前半という時代背景にも留意しておきたい。バブルが崩壊し世紀末を目前に控えた、あの独特の空虚な雰囲気の中には、戻れない時間に対するノスタルジーや喪失感めいた感傷も少なからず漂っていた。〈この夏も、やがてあの夏になる〉、1993年に某CMで使われたこの有名なフレーズも、そんな時代ならではだろう。

またこの頃から思春期や青春を扱った物語でも、「打ち上げ花火~」同様に答えの出ない〈宙ぶらりんの季節〉を描いた作品が多く生まれたように思える。当時は僕自身が20歳前後だったのでそうした話に敏感になっていたこともあるだろうが、時代の雰囲気もたしかにあった。

映画ならば中原俊監督の「櫻の園」や古厩智之監督の「この窓は君のもの」(とくに後者は田舎町を舞台にしたひと夏の青春という点で「打ち上げ花火~」と親和性が高い)。漫画では安達哲の「さくらの唄」や岡崎京子の「リバーズ・エッジ」。その宙吊りの感覚は、1995年に「新世紀エヴァンゲリオン」が登場したことでより鮮明になっていく。

 


PROFILE: 北爪啓之
1972年生まれ。1999年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈ろっくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオ第一「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。