タワーレコード新宿店~渋谷店の洋楽ロック/ポップス担当として、長年にわたり数々の企画やバイイングを行ってきた北爪啓之さんによる連載〈聴いたことのない旧譜は新譜〉。そのタイトル通り、本連載では旧譜と称されてしまった作品を現在の耳で新譜として紹介していきます。
第13回で取り上げるのは、今年2月に死去したニール・セダカについて。日本とも深い繋がりのあるセダカは音楽史においてどんな存在だったのか、北爪さんが再考します。 *Mikiki編集部
単なる〈ロック以前のポップシンガー〉じゃない
初めて〈CD〉という媒体で聴いた音楽はニール・セダカだった。中学時代の1987年、CDコンポを買ってもらった僕は、まず最初に彼のベストアルバムを友だちから借りたのだった。どの曲も僕が憧れていたアメリカンポップスの魅力に溢れていたが、とりわけ好きだったのが“Breaking Up Is Hard To Do”。当時鈴木雅之がパーソナリティを務めていたラジオ番組に同曲のリクエスト葉書を送ったこともあった(当然ながら不採用だったが)。
去る2月27日、そのニール・セダカが86歳で生涯を閉じた。シティポップやナイアガラ関連のコアなファンならば、大滝詠一の名盤『NIAGARA CALENDAR』のアルバムコンセプトが“Calendar Girl”をヒントにしていることや、“楽しい夜更し”や“いちご畑でつかまえて”などにセダカの楽曲からの引用が見受けられるのはご存じだろう。さらに、山下達郎が自身のラジオ番組で何度もセダカの曲をオンエアしていることや、セダカがコニー・フランシスに提供した大ヒット曲“Where The Boys Are”を竹内まりやがカバーしていることもよく知られている。
また、1985年のTVアニメ「機動戦士Zガンダム」への楽曲提供、とりわけ現在でも人気の高い後期オープニングテーマ“水の星へ愛をこめて”の作曲者としてアニメファンにはお馴染みかもしれない。
しかし一般レベルで捉えた場合、ニール・セダカは〈大昔のアメリカのポップ歌手〉程度の認識がほとんどではないだろうか。
セダカの全盛期はレコードデビューを飾った1958年から1962年まで。つまりビートルズの登場よりも以前のことなので、そうした認知は大ハズレというわけではない。ただ、彼の評価を単なる〈ロック以前のポップシンガー〉に留めてしまうこともまた適切ではないのだ。私的には、彼の親しみやすいキャッチーなメロディーの向こうに、ポップミュージックの1つの転換点があったように思えてならない。
1963年、ビートルズのアルバムデビューによってロックという音楽が大きなパラダイムシフトを遂げたのは紛れもない事実だろう。彼らは自ら楽曲を書き、自ら演奏し、自ら歌うことで、ロックを単なる娯楽から自己表現の領域へと押し上げた。この図式において、ビートルズ以前のセダカのような音楽は分業制に依拠した商業的なものとして、しばしば〈前史〉的な扱いを受けてきたように思える。でも、ビートルズを起点として語られてきた歴史観は果たしてどこまで妥当だと言えるのだろうか。少なくともニール・セダカに関してはそんな単純な図式には収まらないように思うのだ。