お茶の間に届けたファンキー
81年に地元の静岡県から大学進学で上京し、東京を拠点に音楽活動を始めた久保田利伸。その輝かしいキャリアが振り返られる際、常套句としてメディアに躍るのが〈ジャパニーズR&Bのパイオニア〉といった文言だ。パイオニアは彼だけではないが、2014年の“Free Style”で〈ありがとう、マーヴィン・ゲイ〉と歌ったように、久保田の音楽の原動力がソウルやR&Bであることは疑うまでもない。62年生まれの久保田は、フィリー・ソウルからディスコ、ニュー・ジャック・スウィング、ネオ・ソウルまでにリアルタイムで親しんできた世代。そして、アフリカ音楽やレゲエも含めた黒人音楽への無邪気な憧れを隠すことなく、自分の音楽の軸としてきた。初のデュエット・シングルも、90年の年末に「NHK紅白歌合戦」で披露したアリソン・ウィリアムズとの“Forever Yours”(91年)だったほどである。
88年にはLA録音を含む『Such A Funky Thang!』というタイトルのアルバムを出したが、〈ファンキー〉という言葉をお茶の間に浸透させたのも久保田だろう。2018年にも“Make U Funky”という曲を出したように、ことあるごとに〈ファンキー〉と口にすることで、型破りでカッコいい音楽を続けるのだと自分自身を鼓舞しているようにも感じられる。
とはいえ、ソウルやR&Bを深く聴いてきたマニアとしての矜持を持ちつつ、それをスパイスに歌謡曲〜J-Popとして成立させたのが久保田の美点であり、人気者たる所以。その意味では鈴木雅之とも共通する。久保田は学生時代に組んでいたファンク・バンドの一員として、鈴木率いるシャネルズが以前出場していたYAMAHA主催のアマチュア・コンテスト〈EastWest〉の82年大会に出場。後に鈴木のソロ・デビュー作『mother of pearl』(86年)に2曲を提供し、2016年の“リバイバル”でも作曲/客演をするなど鈴木との縁は深い。
デビュー前の久保田は、その鈴木雅之をはじめ、田原俊彦、岩崎宏美、小泉今日子などに作曲家として楽曲を提供していた。同時期には、田原俊彦に提供したラップ導入ソング“It’s BAD”(85年)のセルフ・カヴァーやスティーヴィー・ワンダーなどの洋楽カヴァーを含む『すごいぞ!テープ』も作成。ファンの間では伝説化しているこのデモテープが業界で注目を集め、CBSソニーから86年6月にデビューする。それが冒頭で触れた“失意のダウンタウン”。同年には“流星のサドル”や“Missing”なども含む初アルバム『SHAKE IT PARADISE』を出し、スター街道を歩んでいく。21世紀ならニーヨを思い出す〈ソングライターからスター歌手へ〉という出世譚は、いまや語り草だ。