©2025 20th Century Studios

ロックを象徴する偉才ブルース・スプリングスティーンが名盤『Born In The U.S.A.』を生み出す前夜、孤独な歌と創作に向かった姿を描く映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」。スプリングスティーンの内面や葛藤に迫った物語、主演ジェレミー・アレン・ホワイトによる入魂の演技などが見どころの音楽ドラマだ。そんな本作を2025年11⽉14⽇(⾦)の公開に先駆けてクロスレビュー。萩原健太、湯山玲子、高橋芳朗という3名の書き手がそれぞれの視点から綴った。 *Mikiki編集部

 

©2025 20th Century Studios

熱い咆哮と深い苦悩――スプリングスティーンの魅惑的な二面性
by 萩原健太

すぐれた音楽はいつだって解決しようのないアンビバレンスを否応なくはらんでいる。

たとえば、サム・クックの敬虔なゴスペルバラードの背後に、安酒と女に彩られたブルースが潜んでいるように。エルヴィス・プレスリーの爆発的なロックンロールの背後に、心の平静への渇望が聞き取れるように。レナード・コーエンが紡ぐ素朴で美しい旋律の背後に、破滅への衝動が波打っているように。

そして、ブルース・スプリングスティーンだ。彼が疾走するロックンロールビートに乗せて繰り出す熱い咆哮の背後にも、深い苦悩と、想像を絶するほどダークな逡巡と、あまりにも切ない脆さ、儚さが潜んでいた。映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」は、そんな事実を今、改めて思い知らせてくれた。

スプリングスティーンの表現力は群を抜いている。自らソングライターとして紡ぎ上げた極上の物語を、誰よりも効果的に、有機的に表現するパフォーマーとしての力量。それが凄まじい。凄まじすぎるせいで、むしろ暑苦しいとか、過剰だとか、強圧的だとか、なんだかやけに曖昧かつ短絡的な理由から毛嫌いする音楽ファンも少なくなかったりする。

でも、逆に。

いったんこの表現力にやられたら、もうたまらない。抜け出せない沼。圧倒される。溺れる。それは彼の熱いパフォーマンスの背後に、この映画が浮き彫りにしてみせた孤独と闇が合わせ鏡のように存在しているからこそだ。だからこそスプリングスティーンのロックンロールは、他の凡百のロックンローラーたちが時代の荒波からワイプアウトするかのごとく次々姿を消していくのを尻目に、時を超え、世紀を超え、ぼくたちの心を震わせ続ける。スコット・クーパー監督と、若きスプリングスティーンに扮したジェレミー・アレン・ホワイトがその秘密を見事に解き明かしてみせてくれた。

この映画の中心に据えられている1982年の『Nebraska』というアルバムには、当初誰もが驚かされた。1980年に特大ヒットを記録した前作『The River』の過剰なまでに痛快な手触りから一転、ティアック製4トラックマルチカセットで宅録されたローファイな弾き語り基調の1枚。当時としては異例の問題作だった。1950年代、10人を次々射殺し逃避行を続けた19歳の殺人犯の視点で歌われた表題曲を筆頭に、冷徹/簡潔にディテールのみを綴る作風が全編を貫いていた。米国の暗部に潜む孤独な魂の物語を、まるで古い南部ゴシック小説やクライム小説、あるいはフィルムノワールのように綴る歌詞には、反宗教的な表現も含む宗教観、罪、救済という概念などスプリングスティーンにとって重要なテーマが過去のどの作品より色濃く織り込まれていた。

それだけにぼくも思いきり戸惑ったものだが。何度も繰り返し聞き続けるうち、シンプルであるがゆえに深いアルバムの世界観に少しずつ引き込まれていった。映画を見ながら、40数年前に覚えたあのじわじわとした感触を思い出した。本映画で、ぼく個人にとってもっとも印象深かったシーンは、まだ制作途上だった“Nebraska”の歌詞に書かれた一人称〈彼〉を消して〈俺〉に書き換える瞬間だ。このときスプリングスティーンの中で何かが動き、それがこの『Nebraska』という傑作を生み出したわけか。

が、『Nebraska』をめぐるドラマはまだ完結していなかったようだ。本映画と、その公開に合わせるようにして編まれた拡張版ボックスセット『Nebraska ‘82』とによって、伝説のアルバム『Nebraska』は40年以上の歳月を経て初めてひとつのゴールを迎えたのかもしれない。

ロックンロールをめぐる、忌々しくもとびきり魅惑的なパラドックス。ぼくたちの心はいつだってその虜だ。