©Neal Preston

ヒューマニズムの存在さえ疑わしくなるような惨状の続く2025年、希望と夢を信じられる歌が人々には必要だ。
そんなタイミングで全83曲――7枚もの未発表アルバムを一挙まとめた超弩級のボックスがこの男から届いた!

俺が曲に書いてきたアメリカ

 今年の9月で76歳になるブルース・スプリングスティーンだが、社会問題や政治に物申す、舌鋒鋭いシンガー・ソングライターという側面に変わりはない。これまでもドナルド・トランプ大統領の政策を公然と批判してきた彼は、5月14日、イギリスのマンチェスターでスタートしたEストリート・バンドとのツアー初日に、MCで改めて大統領を槍玉に挙げた。「無敵のEストリート・バンドは、危険な時代におけるアート、音楽、ロックンロールという正義の力を訴えるために今夜ここにやってきた。俺の愛する故郷アメリカ。250年間希望と自由の光であり続け、俺が曲に書いてきたアメリカは、いまや腐敗した無能な裏切り者たちの政権の手中に入ってしまっている」と堂々宣言。この日のライヴから選んだデジタルEP『Land Of Hope And Dreams』をMC入りで緊急リリースするというアクションを見せたことも、実にブルースらしい。

 その一方、過去のアーカイヴからの発掘企画も引き続き進行中。98年に未発表曲やデモ、B面曲をディスク4枚に詰め込んだボックスセット『Tracks』を発売しているが、今回リリースされる『Tracks II: The Lost Albums』は、なんとそれを凌駕する7枚組! 83年から2018年までの間に制作されながらも、世に出ることがなかった〈失われたアルバム〉7枚計83曲がまとめてお蔵出しされた。

BRUCE SPRINGSTEEN 『Tracks II: The Lost Albums』 Columbia/Legacy/ソニー(2025)

 マスターテープを模した外箱に、まず胸を躍らされるが、そのなかにはブルース自身のコメントを含むライナーノーツと、レアな写真を満載した100ページに及ぶ布装ハードカヴァー本を収納。この豪華仕様ボックスセットはファースト・プレスのみとのことで、コレクターズ・アイテムになることは必至だろう。日本盤は輸入盤国内仕様で2,000セット限定、ハードカヴァー本の日本語訳と日本版ライナーノーツ、全曲の歌詞対訳までが完備されている。なお、本作からハイライトとなる20曲を選んだ『Lost And Found: Selections From The Lost Albums』も同時にリリースされる。

BRUCE SPRINGSTEEN 『Lost And Found: Selections From The Lost Albums』 Columbia/Legacy/ソニー(2025)

 『Tracks II』でもっとも古いアルバム『LA Garage Sessions ’83』は、4チャンネル・レコーダーで録音された『Nebraska』(82年)の後、カリフォルニアに移住して自宅スタジオを構えてから録られた。『Nebraska』の頃から取り掛かっていた曲を含む『Born In The U.S.A.』(84年)が出るまでの間に、試行錯誤していた様子がよくわかる音源だ。7曲もの全米トップ10シングルを生んだ『Born In The U.S.A.』の親しみやすさとは趣を異にする、思索に耽るような曲が多い。“Follow That Dream”は、後の“Brilliant Disguise”に通じる穏やかな曲調だが、歌詞には苦悩と痛みが滲む。明るいメロディーの“Sugarland”で歌われるのは、小麦の売り上げ不振で苦境に喘ぐ農家の独白だ。

 続いて、今回の目玉の一枚と思われるアルバムが『Streets Of Philadelphia Sessions』。ジョナサン・デミ監督の映画「フィラデルフィア」(93年)に提供した主題歌“Streets Of Philadelphia”に手応えを感じたブルースは、その曲と同じように〈ループとシンセ〉を使った曲でアルバムを作ろうと試みた。キラーズのブランドン・フラワーズがブルースの家を訪れたとき、最初に「ループのアルバムを聴きたい」と言ったという逸話がライナーノーツでも紹介されている。“Blind Spot”はプライマル・スクリームの『Screamadelica』みたいなトラックがおもしろいし、シェイン・フォンテイン(本名ミック・バラカン、ピーター・バラカン氏の実弟)のスライド・ギターが活躍する“Maybe I Don’t Know You”も必聴だ。