2026年4月5日に〈私は正式に日本の居住者となりました〉と発表したヒップホッププロデューサーのノレッジ(Knxwledge)。もともと日本の音楽や文化への愛情を示しており、日本を頻繁に訪れ、日本語も多用していた彼だが、予想外のニュースに日本のファンは驚きつつ、世界最高峰ビートメイカーの移住を温かく迎え入れた。そこで今回は、ノレッジの音楽に改めて触れるための5作を紹介。無数に作品がある彼だが、ここでは必聴盤、入門作としてフィジカルで手に入れられるアルバムを選んだ。 *Mikiki編集部


 

KNXWLEDGE 『Anthology』 Leaving(2013)

1988年生まれ、米フィラデルフィア出身でLAを拠点にしていたノレッジ(発音的に表記は〈ナリッジ〉のほうが近いと思う)ことグレン・アース・ブールJr.は、楽器に囲まれて音楽のなかで育ったこと、2003年か2004年にSP-303でサンプリングによるビートメイキングを始めたことをオーディオテクニカのドキュメンタリー動画「HEAR EVERYTHING」で語っている(補足だが、彼は幼少期から教会に通っており、SP-303は両親からプレゼントされたものだった)。2009年から現在の名義になり、マインドデザイン(Mndsgn)らとクリップモード(Klipmode)というコレクティブで活動、EP『3P』でデビューした。翌2010年には1stアルバム『Klouds』をリリース。マシューデイヴィッドとの出会いから彼のレーベル、リーヴィングよりKnx.名義でリリースしたのがこのカセット2本組のビート集だった。内容は、彼がBandcampで発表した曲から選りすぐったものになっている。

1、2分台のものから1分に満たないものまでループが53曲、80分弱にわたって収録された本作は、のちのローファイヒップホップやドラムレスと呼ばれるスタイルに近いものも聴けるが、やはり当時のリーヴィングやフライング・ロータス/ブレインフィーダー周辺――いわゆるLAビートシーンの息吹を強く感じる。J・ディラやマッドリブ、Qティップといったプロデューサーの技を受け継ぎつつも、〈あの頃〉のムードが充満しているのだ。さらにローファイで埃っぽい質感、シンセサイザーの太い響きを重ねることでもたらされたユーフォリックな浮遊感、どこか非現実的でスピリチュアルな感覚も特徴。ビートの過剰なヨレ、1つか2つのアイデアで組まれたラフな作り(彼は1曲を作るのに数分しかかけないという)がもたらす実験的な色合いもその印象を加速させており、何度聴いても発見がある。彼の仕事の原点であり、その後の作品と聴き比べてみてもおもしろい。

 

KNXWLEDGE 『Hud Dreems』 Stones Throw(2015)

LAを象徴するレーベル、ストーンズ・スロウから発表したインストゥルメンタルアルバム。それまでにもブルー(Blu)やジョーイ・バッドアスといった著名ラッパーたちと仕事をしていたノレッジだが、本作を発表した2015年は、ケンドリック・ラマーの名盤『To Pimp A Butterfly』の“Momma”にビートを提供したこと(『Anthology』に収録されている“so[rt]”をケンドリックが撮影中に耳にし、依頼したそうだ)で転機になった年だ。そんな勢いに乗っていた彼のビートが、本作には26曲収められている。

ソウルフルな“kometostai.aintreallynootherwaytoputitro”で幕を開け、ビブラフォンが効いた“time&tide”、トロンボーンが優しく響く“tkekareofit”とジャジーなビートが続き、“mylife”で再びソウルフルネスに満たされる。その“mylife”と続く“shuremng”などではビートスイッチがあり、短い尺のなかに唐突な切り替えを差し込むことでリスナーは安心できず、起伏に驚かされることになる。ローファイなブーンバップが持ち味であり、本人のコメントによると本作は〈軽い仕事〉だそうだが、初期作品は聴き流すことを許さない。

重たいキックが乱打される“frmnowhere”、一斗缶を叩いたかのようにパーカッシブな音のシンバルと柔らかい音色のシンセが対比的な“trsh”の前半(後半はビートスイッチする)などは、じつに実験的だ。“thtroll”“thtbodi”“nvrending”あたりは、緊張感や不穏さにRZAのビートを思い出しもする。ゴスペル的な歌心とファンクネスが随所で顔を覗かせつつ、“flyinglizrds”“jstowee”ではポストパンクのような鋭利さが際立っており、このあたりのバランス感覚がノレッジにしかなしえないものだと思う。一方、『Anthology』のときには目立っていたシンセやシンセベースを重ねる技法がかなり退潮しているというか、特にベースの扱いに顕著だが、サンプルの切り張りのなかに馴染ませるようにして補強する自然なものになっている。ナズやハヴォック(モブ・ディープ)など、声ネタのサンプリングにも注目したい。

 

NXWORRIES 『Yes Lawd!』 Stones Throw/BBQ(2016)

ノレッジの名をヒップホップヘッズ以外にも知らしめたのはアンダーソン・パークとのデュオ、ノーウォリーズだろう。アンダーソン・パークがノレッジのビートをインターネット上で耳にし、惚れ込んでコンタクトを取ったことから始まったというこのユニットは、2015年に“Suede”でデビュー。意外な組み合わせでリスナーを驚かせつつ、同曲がバイラルヒットとなったことで彼らは一躍名を馳せた。

この1stアルバムにおいてノレッジのビートは、シンガーであるアンダーソン・パークに合わせてR&B寄りになっているわけではなく、これまでどおりサンプルのラフなループとドラムのシーケンスを中心にしたもの。ヒップホップマナーを貫いているのだ。ただ、打点のヨレや実験性は若干抑えめで、規則的なループ感が増している。加えて、パークの特徴的な塩辛声によるソウルフルな歌唱と多重コーラスワークがもたらす広がりによって、ノレッジがもともと備えていたゴスペルやソウル由来の持ち味がより増幅したと感じる。両者が互いに〈らしさ〉を発揮しながら、独立した個性が合わさって絶妙なマリアージュを見せているのだ。音数が少なくぶつ切れなビートの“Lyk Dis”、いかにも80年代っぽいB. B. & Q. バンド“(I Could Never Say) It’s Over”のイントロがそのまま引用された“Scared Money”などは、ノレッジのシンプルなアイデアや奇抜な発想とパークの歌心、その両方がなければ成り立っていないだろう。

ちなみにパークは同年、傑作『Malibu』もリリースしている。10年前の2016年は、フランク・オーシャン『Blonde』を筆頭にカニエ・ウェスト『The Life Of Pablo』、ア・トライブ・コールド・クエスト『We Got It From Here... Thank You 4 Your Service』、ビヨンセ『Lemonade』、ソランジュ『A Seat At The Table』、チャイルディッシュ・ガンビーノ『“Awaken, My Love!”』、ザ・ウィークエンド『Starboy』、リアーナ『ANTI』、ブルーノ・マーズ『24K Magic』、ダニー・ブラウン『Atrocity Exhibition』など、重要な作品が相次いで発表された年だったことも確認しておきたい。

 

KNXWLEDGE 『1988』 Stones Throw/BBQ(2020)

自身が生まれた年をアルバムタイトルに冠したストーンズ・スロウからの2作目。ノーウォリーズでの活動を経たことが関係しているのかどうかは定かではないが、ソウルやゴスペルの要素がより際立っており、メロウでスムースで柔らかくて温かく、パーソナルで内省的な雰囲気に満ちている。エッジの立ったエクスペリメンタルな風合いが抑えられた本作が、コロナ禍が始まった直後の2020年3月27日にリリースされた事実は興味深い。

とはいえ“awomanslifeislove”は、ファンキーなシンセベースとキックが同期しつつ、シンバルがずれてカシャカシャと鳴っているのがじつに奇妙。不可思議なビートパターンの“uonlygetone”や不穏な“theykome&go”、随所に挟まれたスキット的な小品など、一筋縄ではいかないノレッジの〈出汁〉が効いている。また、珍しくゲストが参加した曲もある。ノーウォリーズをフィーチャー(つまり、アンダーソン・パークが参加)した“itkanbe[sonice]”では、パークの声がローファイな質感に加工されており、埃っぽいビートに馴染んでいる。ファンクビートの“minding_my business”は、ドゥランド・ベルナールとローズ・ゴールドの伸びやかなボーカルを前面に出していて、アルバムのなかで最長の4分台だ。

心地よさと驚き、延々とリピートして浸れるムードと煌めく発見に満ちた細部、いずれも両立しているのがノレッジらしさ。彼の数あるビート作品のなかでも本作は、最高傑作のひとつと言っていいのではないだろうか。

 

NxWORRIES 『Why Lawd?』 Stones Throw/BBQ(2024)

しばらく目立った動きがなかったノーウォリーズが、前述の“Itkanbe[sonice]”で突如再始動。さらに、ニューアルバムをリリースすることも発表した。2020年12月、コロナ禍のなか88ライジングが主催した配信フェス〈DOUBLE HAPPINESS Winter Wonder Festival〉で新曲“Where I Go”を披露し、2人は本格的に活動を再開。同曲を新作からのリードシングルとしてリリースした。

H.E.R.をフィーチャーした“Where I Go”をはじめ、前作にはなかった豪華なゲストの参加が本作の特徴のひとつ。“KeepHer”にはサンダーキャット、“FromHere”にはスヌープ・ドッグとオクトーバー・ロンドン、“NVR.RMX”にはザ・ギャップ・バンドのチャーリー・ウィルソン、“DistantSpace”にはザ・ラスト・アートフル・ドジャー、“WalkOnBy”にはアール・スウェットシャートとレイ・カリルと、ラッパーやシンガーが名を連ね、冒頭の“ThankU”にはコメディアンのデイヴ・シャペルも参加している。ラッパーが多いことも関係しているのか、パークの歌も“86Sentra”のようにラップ、もしくはラップに近いボーカリゼーションが多い印象だ。

前作に増してメロウで温もりに満ちた、チルでリラクシンなモードの本作。スムーズに繋いでいく構成も聴き心地のよさを倍化させている。このアルバムを聴くにつけ、20年以上ビートを作りつづけてきたノレッジの匠の技は、洗練の域に達しているように思えてならない。ちなみに発表当時、かなり話題になったが、終幕の短曲“EvnMore”では大野雄二&フレンズ“Urban Shadow”がサンプリングされている。先日亡くなった大野に対して、ノレッジが追悼文を投稿していたことも記憶に新しい。

第67回グラミー賞で本作はプログレッシブR&Bアルバム賞を受賞。ノレッジ&パークがまたひとつ上のステージに進んだ重要な作品である。

なお彼のディスコグラフィは膨大で、現在も数え切れないほどのビートテープをBandcampで発表しつづけている。ノレッジの沼は深くて広いので、本稿が入り口になったら幸いだ。