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大人として背負っている重荷をおろしてもいいんじゃない?

先ほども挙げたコメントの中で、この楽曲について「世界の子どもたち、そして大きくなった子どもである私たち大人みんなに」とも語っていた宇多田。「ちびまる子ちゃん」の楽曲として書かれていることもあってか、この“パッパパラダイス”には、その主な視聴者である子供だけでなく 〈かつて子供としてこの番組を見ていた大人たち(その一部は、今では自分の子供と一緒に「ちびまる子ちゃん」を見ているかもしれない)へ〉という、長寿番組ならではの視点が盛り込まれているのだろう。〈がんばる君の最前列に〉〈ずっといたい〉などと子供たちを応援しながらも、〈好きなことをしてたい/愚か者でいいじゃない〉と歌うなど、大人こそ自分ごととして受け取れるように仕掛けられたパートも忍ばせてある。

つまりそう考えてみると、この曲のメッセージは〈大人になっても子供の頃の純粋な気持ちを忘れない〉こと、さらに踏み込むならば、〈大人なら誰しも抱えている重荷を、束の間おろしてみてもいいんじゃないか〉ということなのではないだろうか。〈斜め掛けしたスイカのバッグに/大事なものがいっぱい+キャンディ or グミ/財布は入ってない〉というラインは特に象徴的で、〈財布〉を大人の持ち物=責任や重荷、とみなすならば、子供の頃にはそれよりももっとキラキラとした〈大事なもの〉を持っていたのではないか(たとえそれが大人にとっては取るに足らないものだとしても)と、私たちに語りかけているようにも読み取れる。

こうしたメッセージが盛り込まれているのは、先ほども触れたように「ちびまる子ちゃん」が長らく〈日曜の夕方〉という時間帯に放送されていることとも関係していそうだ。平日が始まる前に憂鬱な気分になってしまうのは、仕事や日常の中で責任や面倒ごと、モヤモヤを抱えていて、日曜が終わるとそれらを思い出してしまうから。だからこそ宇多田は、多くの人がそうした気分を抱えがちなタイミングで耳にするであろうこの曲で、〈大人として背負っている重荷を、たまにはおろしてもいいんじゃない?〉と語りかけているように思える。そうした想いは、モヤモヤを吹き飛ばすような華やかなホーンを配した開放的なアレンジや、あえてチープなオルガンを使って子供らしさを表現するような音楽的な要素にも見出すことができるだろう。

 

甲本ヒロトが体現する〈理想の大人〉

そこで、甲本ヒロトである。何より彼は、ロックンロールという〈一番好きなこと〉を突き詰めて生きてきた大人だ。宇多田以上に長いキャリアを持ち、その間ずっと走り続け、そして未だその生き様を軽やかに楽しんでいる。つまり、この曲の中に描かれる理想的な大人の在り方を体現している人物、というわけである。オリジナルバージョンでは宇多田が自ら、かつて子供だった大人たちに〈愚か者でいいじゃない〉と語りかけるが、このコラボバージョンでは、その宇多田に対してそのように語りかけてくれる〈理想の大人〉として、甲本が存在しているように感じられるのである。

ただ、実際に音源を聴いてみると、宇多田より甲本の歌声の方がむしろ子供のように無邪気に聴こえるのが不思議なところで、子供のような純粋さをいつまでも失わない甲本らしい魅力を感じ取れる。前のめりな歌い方が特徴的な甲本にとっては、ファンキーな後ろノリのビート感であるこの楽曲にややノリづらい部分も、ひょっとするとあったかもしれない。確かに序盤には少々ぎこちなさを感じるが、後半に向かうにつれ彼らしいシャウトや伸びやかさが表れ、どんどん自分らしく歌いこなしいく。レコーディングでのそうした歌唱のライブ感を残したまま音源にパッケージングされているのも、このコラボバージョンの聴きどころの1つだろう。

そんな彼の魅力を丸ごと包み込むように、自分の世界観へと優しく招き入れる宇多田の歌声。甲本自身も出演するこのコラボバージョンのMVを見てみると、甲本の運転するバイクの後ろに宇多田が跨り(なかなかバイクの運転手の顔が映らず、歌い出すまでは誰とのコラボなのかわからない演出にもワクワクさせられる)、さながら親子か兄妹、あるいは親友のような親密さで夜の高速を駆け抜けていく。人生の先輩である甲本の手によって宇多田が引っ張られているようにも感じるし、宇多田の方がむしろ甲本を無邪気にリードしているようにも見え、そんな関係性も面白い。ちなみにこの高速道路は“パッパパラダイス”のオリジナルバージョンのMVのラストに登場するKK線(新橋~京橋間にあった自動車専用道路で、2025年に廃止)の銀座付近で、宇多田の衣装もオリジナルのラストと同じ。オリジナルとの連続性も感じられる映像となっているので、こちらにも注目を。