宇多田ヒカルの4thアルバム『ULTRA BLUE』が、2006年6月14日にリリースされてから20周年を迎えた。さまざまな経験を経て20代となった彼女の変わらぬ人生観や死生観などが落とし込まれた本作には、他のどのアルバムとも違う独特なムードが漂っている。音楽フォーマットがCDから配信へと移行しはじめた時期に生まれた傑作を、私はこーへに再考してもらった。 *Mikiki編集部

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宇多田ヒカル 『ULTRA BLUE』 東芝EMI(2006)

 

海外での制作を経て、ふたたび日本語の歌へと戻ってきたアルバム

正直に告白すると、1995年生まれの僕が宇多田ヒカルをはっきり意識したのは、2007年放送のドラマ「花より男子2」の劇中で流れていた“Flavor Of Life -Ballad Version-”以降のことだった。その前年にリリースされた『ULTRA BLUE』を、リアルタイムに聴いていたわけではない。もちろん本作の収録曲でも“COLORS”をCMなどで耳にしてはいたが、今回初めて聴いた曲すらある。まずはそのことを言っておかなければならない。

そんな状態の自分が、リリースから20年を経たこの作品を論じていいのか。依頼を受けるかどうか、正直かなり迷った。けれど調べていく中で、宇多田ヒカルのインタビュー集「点 -ten-」に出会った。デビューから2008年までの彼女の言葉が収められたこの本を読めば、少なくとも『ULTRA BLUE』へ至るまでの時間を辿ることはできる。そう思って引き受けることにした。依頼を受けてから数日後に届いたこの本は実際、本作を考えるための、それ以上に宇多田ヒカルという存在を知るための驚くほど豊かな補助線を与えてくれた。

宇多田ヒカルにとって4作目のオリジナルアルバムである『ULTRA BLUE』は、前作『DEEP RIVER』から4年後の2006年にリリースされた。その間に彼女は、シングル曲を集めた『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1』、Utada名義での全曲英語詞のアルバム『Exodus』をリリースし、体調不良による休養や結婚を経て、尋常ならざるスピードで10代の終わりから20代の始まりを駆け抜けていった。本作は海外での制作を通して自分の音楽を外側から見つめ直したうえで、20代の身体と言葉で、ふたたび日本語の歌へと戻ってきたアルバムだった。

深く沈み込むような内省がベースとなっている『ULTRA BLUE』には、ピアノとストリングスを中心とし、個人的な恋愛の痛みを起点に、誰かの幸福と誰かの涙が同時に存在してしまう世界の残酷さを照らし出す“誰かの願いが叶うころ”、愛したものや育ててきたものを、自分の手で壊さなければならない痛みを、生楽器の質感と共に歌の中心へ置く“Be My Last”、自らを鼓舞しながら他者の生活へと視野を広げていく“Keep Tryin’”、そして過去と未来が現在の身体の中で重なり合う“Passion”といったシングル曲のほか、“日曜の朝”や“This Is Love”など内面から外へ向かって視野が開かれていく瞬間も同居している。ポップスターであることを自然な状態として引き受けたうえでの、私性と公共性。そのふたつの緊張関係が、このアルバムの基調を作っている。

 

宇多田ヒカルの表現の底で脈打ち続ける〈青空〉

その緊張、ひいては彼女が〈私〉と〈世界〉の関係をどう引き受けていたのかという姿勢は、アルバムに通底するあるモチーフにもっとも鮮明に表れている。それは〈青空〉である。「点 -ten-」を読んでいて強く引っかかったのは、本作前後の宇多田が、青空について繰り返し語っていることだった。普通、青空は希望や解放の象徴として扱われる。真っ青に晴れ渡っていると気分が良く、明るくて自由。だが宇多田にとっての青空は、そう単純ではない。彼女はインタビューで「なぜか私は青い空のほうが曇った空よりも、何か……裏がある気がして怖いのね」と語っている。青空を見ると、その先にある真っ暗な宇宙や、雲が移り変わっていく速さ、その瞬間の儚さにまで思いが及んでしまう。青空は、彼女を励ますものではなく、むしろ「追っかけられてる気がする」ものだった。

この〈青空〉は、アルベール・カミュ「異邦人」における太陽に近い。ムルソーに照りつける太陽は、彼を救わない。ただそこにあり、世界が自分に対して無関心であることをむき出しにする。宇多田の言う青空もまた、人間の気分に寄り添ってはくれない。曇りの日でさえ、雲を突き抜ければ、その向こうには常に青空が広がっている。見えていない時にも、青空はそこにあり、隠れながらすべてを見ている。だから怖いのだ。青空には、人間の事情や感情、老い、愛、別れ、孤独のすべてを超えて存在し続ける、非人間的な視線がある。

だからこそ、彼女はその青空を歌詞にする。宇多田は、青空を歌詞にすることには、自分でその恐怖心をコントロールする意味もあるのではないかと語っていた。さらに、青空を征服したい、支配したいのかもしれない、とまで言っていた。そうして歌にすることで、追いかけてくる青空を自分の表現の内側へ引き寄せようと試みた。

そして、この〈青空〉は『ULTRA BLUE』の中だけで閉じられたモチーフでもない。デビュー初期の“time will tell”における〈雲の上へ飛び出せば/Always blue sky〉から、2026年の最新シングル“パッパパラダイス”における〈The sky is always blue〉というフレーズに至るまで、青空は宇多田ヒカルの表現の底でずっと脈打ち続けている。

それゆえに『ULTRA BLUE』が特別なのは、それまで無意識の背景や断片的な直感として散らばっていた〈青空〉という巨大な存在と向き合い、ブルーという色彩を初めて自分の色として意識的に引き受けたアルバムだからだと言える。“COLORS”では青空から白、赤、オレンジへと色彩が展開され、最後には〈あなたの知らない色〉へと辿り着く。青空はここで、怖いものとして遠ざけられるのではなく、自分だけの色を獲得するための出発点になっている。“Passion”では思い出や未来、年老いていく身体、そしてありえたかもしれない別の現在への憧憬までもが、きれいな青空の下にどうしようもなく存在している。