
ロック喫茶やバーは音楽好きにとってレコード屋と同じくらい重要
――バンドを始めた頃は、どういったところで飲んでいたんですか?
「渋谷だったら百軒店のBYGとか明治通り沿いのグランドファーザーズ。店によってかかる音楽の傾向が違うんだよ。BYGだったらアメリカンロック、グランドファーザーズだったらAORしかかからない。当時、ロック喫茶には音楽を聴きに行ってたんだ」
――海外のロックのレコードがなかなか聴けない時代だったんですね。
「特に輸入盤はね。渋谷だと輸入盤屋は一軒くらいしかなかったから、そこに新譜が入ったらBYGやグランドファーザーズの店員が買いに行く。レコードの奪い合いだよ。私がレコード屋に行く頃には売り切れてるから、レコード屋の女の子にどこの店が買ったのかを訊くんだ。そして、その店にレコードを聴きに行く。もちろん、家でもレコードを聴いてたけど、自分で買えるレコードには限りがあるからね。ロック喫茶に行けば、いろんな新しいレコードが聴けた」
――お酒が飲めて新しい音楽が聴ける。音楽好きにとっては天国ですね。
「そういえば、はちみつぱいのライブで大阪に行った時、ディラン※という喫茶店に入ったら、店の人が〈ザ・バンドの『Rock Of Ages』(1972年)を買ってきた〉って言うから、2枚組のアルバムを、最初から最後までみんなで聴いたんだ。レコードが終わるまで、みんな一言も喋らなかった。喋る隙がないアルバムだったんだ」
――今はストリーミングで大量の音楽を手軽に聴くことができますが、慶一さんの青春時代は一枚のレコードを仲間と囲んで聴いていた。だからこそ、音楽が胸に刻み込まれるんでしょうね。
「当時、〈街に行く〉というのは〈音楽を聴きに行く〉ということだった。ロック喫茶やバーにはミュージシャンが集まり、バンドが生まれたりもした。そして、バンドがプロとして活動するようになっても店を訪れた。音楽好きにとってレコード屋と同じくらい重要な場所だったんだ」

――70年代後半には、原宿にあったカル・デ・サックというバーによく通われていたそうですね。
「カル・デ・サックはBYGをやめた人が作った店でね。最初は普通のカフェバーだったけど、1977〜1978年くらいから店の雰囲気がだんだん過激になって店でかかる音楽も変わっていったんだ。店に行くといつも松山猛さん※がいたよ(笑)」
――当時はパンク/ニューウェーブの時代。ロックシーンも大きく変わりました。
「カル・デ・サックは雑誌関係とかファッション関係とか音楽とは違う業界の人たちが集まる店だったから、私の周りで聴いていない音楽がかかる。だから、店で初めて聴いて気に入ったアルバムは多かったよ。例えばXTC『Drums And Wires』(1979年)。XTCは(ファーストアルバムの)『White Music』(1978年)は持ってたけど、そんなに聴いてなかったんだ。でも、『Drums And Wires』は感激した。早くもポストニューウェーブって感じがしたね」
――カル・デ・サックで聴いた音楽に影響を受けて、ムーンライダーズのサウンドも変化していったわけですね。
「そうだね。カル・デ・サックが入っていたビルにあるスタジオで、ムーンライダーズの『モダーン・ミュージック』(1979年)をレコーディングしたんだ。店にお願いしてスタジオに酒を持ってきてもらったこともあったし、ひと仕事終わると下に降りていって1階のカル・デ・サックで飲んでた。〈俺たち、なんて優雅なんだろう〉って思ってたよ(笑)」
――そして、今も仕事が終わったら近所のスタンドバーで飲んでいる(笑)。それにしても、ロック喫茶からカフェバーへと店のトレンドは変わっても店で音楽情報を仕入れていたんですね。
「XTC『Drums And Wires』は、当時『ミュージック・マガジン』編集部にいた大竹直樹さんが店に持ってきてかけたんだけど、彼も元BYGの店員だったな。そういうことはロック喫茶では許されなかったんだ。ラジオでも音楽が聴けたけど、店で聴くとレコードの現物が見られるじゃない? ジャケットを見てクレジットを確認するんだよ。そして、プロデューサーや参加ミュージシャンの名前をチェックする。バーは酒代だけで貴重な情報を収集できたんだ。
渋谷にあったナイロン100%※にバンドメンバーと行ったりもしたよ。かかっている曲が気になって、〈じゃんけんで負けたやつが(店長に)訊きに行こう〉ってことになった。確かスージー&ザ・バンシーズだったんじゃないかな」