ロックやニューミュージックからシティポップの時代に向かっていく1976年の国内音楽シーン。細野晴臣はティン・パン・アレーのメンバーとして八面六臂の活躍を続けつつ、ソロアーティストとしても中華街ライブの開催、名盤『泰安洋行』のリリースなどで重要な時期を迎えていた。今回は1975年編に続いて、50年前の細野が参加した名作の数々を振り返ろう。 *Mikiki編集部

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あがた森魚 『日本少年(ヂパング・ボーイ)』 フィリップス(1976)

1月25日リリース、細野晴臣が共同プロデュースした4作目にして、初期あがた森魚の最高傑作とも呼ばれる2枚組のコンセプトアルバム。ティン・パン・アレーやムーンライダースのメンバー、矢野顕子ら周辺人脈、シュガー・ベイブの大貫妙子と山下達郎などが参加した、いまからすると超豪華な総動員作だ。函館(あがた森魚が中学・高校時代を過ごした街)で暮らす少年が中耳炎になり……というところから始まり、世界各地へ、時代も超えて漂泊していく空想的な一大音楽絵巻であり、あがたの詞世界の飛躍とともに、音楽面では細野らしいチャンキーサウンドがアメリカン、ヨーロピアン、ラテンと各地を旅していく。同年に発表された細野の『泰安洋行』にも繋がる傑作。

 

鈴木慶一, ムーンライダーズ 『火の玉ボーイ』 エレクトラ(1976)

同じく1月25日リリース、はちみつぱい解散後の鈴木慶一が完成させたソロアルバム(名義は〈鈴木慶一とムーンライダース〉)。はちみつぱいからムーンライダーズへの移行期を物語る重要作であるだけでなく、日本語ロックを代表する名盤として長らく愛されているのは、鈴木のソウルフルな歌唱、ロマンティックな歌詞、多彩な音楽性、見事な演奏など、すべてのピースがうまくハマっているからだろう。細野はティン・パン・アレーの一員として表題曲の演奏と編曲に携わっているが、同曲は鈴木が細野をイメージして書いたというエピソードがある。ラストの〈真夜中のスタジオで〉から始まる部分から、当時の多忙な細野の〈疲れた顔〉が想像できる。

 

ナイアガラ・トライアングル, 大滝詠一, 山下達郎, 伊藤銀次 『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』 ナイアガラ(1976)

3月25日発表、先日50周年盤がリリースされたばかりの大滝詠一 × 山下達郎 × 伊藤銀次による歴史的なコラボレーションアルバム。もともと大滝のラジオ番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」から発展した企画で、シンガーソングライター兼プロデューサーの3人が個々に制作した曲を持ち寄った異色作でもある。山下によるセカンドラインビート風の軽快な“ドリーミング・デイ”、シュガー・ベイブ時代から演奏していた名曲“パレード”と、冒頭から圧倒的なタツローワールドに持っていかれる。細野は大滝による“FUSSA STRUT Part-1”“夜明け前の浜辺”でベースを弾いており、後者のメンバーは林立夫、松任谷正隆、鈴木茂らティン・パン・アレー。そして、前者のピアニストは坂本龍一。細野と坂本はここで初めてレコーディングにおいて共演したとされ、本作はのちのYMOに繋がる布石が打たれた歴史的な転換点でもある。