
フュージョン世代の西嶋徹と橋爪亮督、それぞれの歩みと迷い
――西嶋さんの最初の楽器は何ですか?
西嶋徹「バイオリンです。それを続けているうちに、高校生の時にバンドブームが来て、フュージョンのチョッパーベースがやりたくなったんですよ。バイオリンもベースも同じ弦楽器だから、だいたい音を出す仕組みみたいなことはわかったんですが、チョッパーに関しては、どうやって音を出しているのかまったくわからなかった。そこで仕方なく、いきなり渋谷のヤマハに行って〈チョッパー用のベースをください!〉と(笑)。それから毎日、青木智仁さんの教則ビデオを見ながらひたすらチョッパーを練習してました。
一方では、高校の時からアマチュアのオーケストラにも入っていて、そこではバイオリンやビオラを弾いていたんですが、コントラバスもかっこいいなと感じていました。その後、音楽をやりたいと就職活動もしないでプラプラしていた頃に、〈コントラバスの先生を紹介してあげるから、やってみたら?〉と言われまして。楽器もないから知り合いに借りに行って、1ヶ月間とにかく練習して演奏会に出ました」
――そこからどのようにジャズに接近したのでしょうか?
西嶋「大学ではジャズ研にいました。演奏していたのは主にフュージョンで、卒業後にはメーザーハウスで櫻井哲夫さんのレッスンを受けたりして。やがて〈ウッドベースの先生にも習いたい〉と思うようになり、井野信義さんのレッスンに通うようになったんです。当時、井野さんと斎藤徹さんと山崎実さんがピットインでライブをしていて、それはほとんど即興だったと思いますが、とても強烈な体験でしたね。
僕はクラシック畑で学んできて、それが土台になっているので、もしかしたら、ジャズを専門にやってきた人と考え方がちょっと違うかもしれません」
――橋爪さんも高校生の頃、フュージョンに夢中だったとうかがいました。
橋爪亮督「僕も(西嶋)徹くんと同じ世代なので、時代的に耳に入ってくる音楽は全部フュージョンでした。若い頃はもう、とにかく4や2で割り切れるリズムの音楽がすべてで。
その後、バークリー音楽大学に行ったんですが、いろんな国のいろんなアイデンティティを持った人がいっぱい集まっていて、そこそこ吹けるつもりで行った僕も、留学生が陥りがちなアイデンティティクライシスにはまってしまったんです。一時は音楽を全てやめようかとまで思いましたが、紆余曲折を経て、結局は自分の価値観で良いと思ったものを自分で作って表現していくしかないし、それでいいんだ。そう考えられるようになって吹っ切れました。
それを契機に、自分で曲を書いてコンサートをやることを目標に作曲の勉強も始め、楽器もアルトサックスから自分の声域に合っているテナーサックスに変えました。初めての全曲オリジナル曲でのコンサートで〈君の音楽はエキゾチックで面白いな〉と言ってもらえて、ああ、こんなふうに聞こえているのか、と。ようやく音楽を続けていける気がしました。現在もその延長です」

岡本太郎のアトリエでの撮影から生まれたアルバム
――今までのお話をうかがって、バックグラウンドの異なる皆さんがいかに出会って完全即興のセッションをするように至ったのか、さらに関心が高まってきました。
大村「直接のきっかけは、横浜のジャズバーで始まったプロジェクトです。僕たち3人が、普段メインで演奏しない楽器を使って90分の即興演奏をするという企画でした」
西嶋「もちろんそれ以前から、テナーサックス奏者として、ベーシストとして、ドラマーとしては互いによく知る間柄だったわけですが……」
橋爪「いちばん最初のライブは亘くんと僕のデュオだったんじゃないかな。亘くんはタブラ指定で。演奏を続けているうちに、今度は徹くんが呼ばれるようになって」
西嶋「僕はバイオリンをオファーされたんです。小さい頃から一応弾いていましたが、人前で演奏する機会があんまりなかったので、〈まあ、やってみようか〉という感じでした」
――その90分の演奏はノンストップですか? 10分のセクションが9つとかではなくて?
大村「ノンストップです。お客さんからすると、ちょっと短めの映画を1本見る感じですね」
――今回のアルバム『プラーナ』とは、また異なる感じですね。
大村「今回の演奏は、元々は〈Days of Delight Atelier Concert〉(岡本太郎のアトリエで収録したセッション映像をYouTubeで公開するプロジェクト)のためのもので、アルバムとして発表する目的で録音したものではないんです。ところが、動画収録を終えた後、音源のラフミックスを聴いた平野さんが突然〈作品にしよう!〉って(笑)。
つまり、録音時点ではあくまで動画収録だったので、90分ノンストップのインプロビゼーションという選択肢も無くはなかったんだけど、さすがにそれでは観てもらえないだろうと、5〜10分程度の尺でいろいろやってみることにしたわけです」
――それでも結局すべてインプロビゼーションになった。
橋爪「実は楽曲も用意していたんです。短めの尺でいく前提だったし、平野さんから〈君たちの作曲能力もアピールしたいので、できるだけオリジナル優先で〉と言われていたので。でも、現場で迷っていたら、平野さんが〈え? 全部インプロでいいんじゃない? 即興だって『リアルタイムの作曲』なんだから〉と言ってくれて。それで安心して全編即興で行くことになったんです。で、〈あー、よかった〉と。3人ともその方が自然だと思っていたので(笑)」