〈抱きしめたい〉の初期衝動が沸々と蘇る好著2冊!
1928年生まれの哲学者、木田元に〈なにもかも小林秀雄に教わった〉という書名の自伝的読書風雲録がある。ならば、1954年生まれのじぶんは拓郎=おさみコンビが(ザ・バッド・ボーイズに)書き下ろした“ビートルズが教えてくれた”の正鵠を射た作品に首肯した世代だ。が、(別段、音源至上主義者でも蘊蓄敬遠派でもないのに)これまでFab 4研究本や評伝の類は老後の愉しみで積読してきた。したらば早、今年はビートルズ日本公演60周年(!)だそうで、記念出版ラッシュが……。折しも、積年の耽読願望をくすぐるに相応しい2冊が本誌編集部の選書で届いた。嬉しい事にいずれも、級数の小ささと抗いつつキャプションの隅々まで完読せずにはいられない好著だった。

〈わたしの旅ブックス〉シリーズの1冊「写真で辿るビートルズ」は、英国放浪の旅を経て「ビートルズへの旅」の既著も持つ写真家・福岡耕造の瞳が刻んだ聖地巡礼の労作。11作のジャケを解いた自著「グラフィック・ビートルズ」もある松田行正(+山内雅貴)がデザインを担い、福岡のFab4愛を携帯サイズに巧く編んでいる。情熱溢れる彼の記録作品群はいうまでもなく、4人を撮った写真家15人の紹介コラム、〈個人所蔵〉のクレジットで時折挟まれる貴重フォトがどれも魅せる。一例がハンブルクの章で、クラブ演奏後にジョンのギターを借りてあどけない表情を向けるジョージの肖像。ピート・ベストを急遽迎え、楽器を詰め込んで未開の地へと渡航した際の情景に寄せて、著者はこう綴っている。〈ジョージはその時まだ17歳で、心配する母に見送られ港を後にしたという〉。終盤で〈ジョージの珍しい写真。撮影年代は不明。(個人所蔵)〉として載せた哲学者的な風貌に先立ち、写真家は記している。彼の訃報後、さいたま市のジョン・レノン・ミュージアム(当時)に献花台が設けられた想い出に触れて、〈“肉体は滅びても精神は生き続ける”というジョージの言葉を感じ、救われた〉。真摯な愛が河のごとく、全篇に流れる1冊だ。

一方、〈MUSIC LIFE Presents〉を謳う「ザ・ビートルズ日本公演の全貌」は、1952年生まれのノンフィクション作家にして現代史研究家である広田寛治が率いる〈フロム・ビー編〉の、修正/転載/増補/加筆を加えた決定版にして重厚な60周年記念本だ。知ってるつもり未満のじぶんなんかは教えられる事ばかり。彼らの上陸前後の出版ラッシュぶりを〈ビートルズを扱わなかったのは「エコノミスト」と「朝日ジャーナル」だけ〉と、毎日新聞が書いたとかね。6月の来日騒動後、10月発売の『リボルバー』は前作同様、英オリジナル盤とほぼ同じ仕様だったが、〈だが、日本盤独自の収録曲の邦題が消えていた。これ以降、アルバムのみの収録曲に邦題が付与されることはなくなる〉。なるほど、そこが転機か……。広田史観の詳細さは上段の掲載ジャケや説明文にこそ宿る、ので老眼にムチ打っても読むべきだ。一例が前掲文の上の日本盤LP『リボルバー/これがロック・ジャズ』のキャプ内で、〈勝手な邦題〉が付された珍奇な例(She Said She Said→彼女の言い分、Got To Get You Into My Life→君をつかまえたい、等)が載っていて笑えるし、名探偵の調査報道が光る。ちなみにB4の同作収録曲をジャズ編曲し、トリオ編成で奏でたドン・ランディは、かのレッキング・クルーの元メンバーだ。「ザ・ビートルズ・スタイルブック」の著書、吉野由樹による〈日本滞在中のファッション〉の稿にも多くを教えられた。ブランド名や生地分析は勿論、初日公演の本番直前に〈パンツの手直し〉が生じた秘話の裏側を、吉野は推理する。ドレインパイプス(=テディ・ボーイの細身パンツ)に憧れ、衣装パンツの細さには極端に拘った4人。〈脚にフィットさせるためにポケットもタックも付けていなかった。普段は衣装について苦情などいわないメンバーが、パンツの細さだけにはうるさかったというから〉云々と、土壇場の無茶ぶりを踏んだ。斯様に、日本社会のFab 4受容史を丹念に追った検証本だ。読後に“ミスター・ムーンライト”の、脳内針が降りた。