タンゴの祖国で奏でる情熱的なバンドネオン

 この8月、ブエノスアイレス・タンゴ・フェスティバルに出演するため、小松亮太は21年ぶりにアルゼンチンの首都ブエノスアイレスを訪れた。タンゴという音楽は150年ほどの歴史を持つ都市大衆音楽、ダンスのイメージが強いが、演奏でも歌でも表現される、ある意味総合芸術的な性格を持った音楽文化だ。

 このタンゴの祖国に日本のバンドネオン奏者小松亮太が仲間たちと共に乗り込んだわけである。片道の飛行機だけで30時間以上、日本から決して近いところではない。そこまでして向かうのはタンゴが生まれた場所だからであり、これほど数多くのアーティストが参加するタンゴ・フェスティバルはこのブエノスアイレスでしか出来ないからである。そもそもこのフェスティバルに近隣諸国以外の海外から音楽家グループが参加するのはほぼ初めてとのことだ。

 

8月28日:ピアソラ元夫人もかけつけた、世界3大オペラハウスでのデュオ・ライブ

 まず公演前、午前中に昨日急遽決まったラジオ番組出演。タンゴ専門の放送局”La 2x4”(ラ・ドス・ポル・クアトロ)で長く番組を持っているルイス・タランティーノの「エル・アランケ」という人気番組。生演奏で“ブエノスアイレス”“ベティノッティ”の2曲を披露したほか、日本ではこの時点で未公開だった音源、9月9日発売のニューアルバム『ア・ラ・パリージャ』(ソニー SICC-39141)収録の“ボルベール(帰郷)”も放送された。

 夕方からはかつて世界3大オペラハウスともたたえられた、アルゼンチンを代表する劇場〈コロン劇場〉の〈黄金の間〉(サロン・ドラード)で小松亮太(バンドネオン)と福井浩気(ギター)のデュオによるコンサートが開催された。この後の公演も含めブエノスアイレス・タンゴ・フェスティバル2026のプログラムの一環で、観客はすべて無料とあって若い人も多かったのが印象的。

 午前中のラジオでも演奏した、タンゴが生まれた街をたたえた“ブエノスアイレス”からスタート。“ボルベール(帰郷)”“ベティノッティ”“恋人もなく”と続き、ここで小松亮太の自作“アルフレド・ゴビへの私信”(Carta para Alfredo Gobbi)、アストル・ピアソラをはじめ、1940年代から数多くの同世代や後進の音楽家に多大な影響を与えてきたアルフレド・ゴビに捧げた小松のこの作品にはより一層多くの拍手が寄せられた。

 この後、福井のギター・ソロによるフォルクローレの名曲“アルフォンシーナと海”に続き、再び小松の作品で、なんとアルゼンチン・フォルクローレの形式サンバ〈zamba〉を用いた“山と太陽” (La montañita y el sol)、アニバル・トロイロの名作“現代タンゴに捧ぐ(ア・ラ・グアルディア・ヌエバ)”、アストル・ピアソラの映画音楽“オブリビオン(忘却)”と続き、鳴りやまない拍手のうちにアンコール“ラ・クンパルシータ”となった。

 バンドネオンとギターによる二重奏という形態は、タンゴを演奏するアンサンブルの最小単位だが、その一方でタンゴという音楽が持つ温かみや躍動感の多様さを最もストレートに伝えてくれる楽器編成でもある。今回のコロン劇場・黄金の間での公演は、アコースティックなサウンドを大事にしつつマイクも使うというやり方がうまく機能した音響で、およそ100人強の観客に大変な好評をもって迎えられたコンサートになった。まもなく86歳を迎えるというアストル・ピアソラ元夫人の歌手アメリータ・バルタールもかけつけてくれた。

 

8月29日:渦が観客を包み込んだキンテートでのコンサート

 この日はブエノスアイレス中心部から車で30分ほどのビジャ・ウルキサ地区にある〈5月25日劇場〉(この日付はアルゼンチンの独立記念日)。フェスティバルのメイン会場の一つである。およそ200名ほどの観客が集まり、日本人~日系人の方も割と多く見られたが、前日より年配の方がより増えた印象。

 この日は小松亮太(バンドネオン)、近藤久美子(バイオリン)、松本圭司(ピアノ)、福井浩気(エレキギター&アコースティック・ギター)、田中伸司(コントラバス)というキンテートによるコンサート。1曲目は古典タンゴの“夜明け”(El amanecer)でのっけから大拍手。2曲目はメンバー紹介を兼ねた“わが命”(Vida mía)、3曲目は小松のスペシャル・アレンジによる名曲“首の差で”(Por una cabeza)、さらに2017年のアルバム『天空のバンドネオン ~タンゴでスタジオジブリ~』(ソニー SICC-9004)の収録曲でもある「天空の城ラピュタ」主題歌の“君をのせて”。意外とアルゼンチンでも知っている人が多いようで今回の小松のタンゴ・アレンジも大いに受けた。

 さらに小松の自作“アルフレド・ゴビへの私信”(前日にも演奏されたが、今回はキンテート・ヴァージョン)、“シン・ナダ・デ・パルティクラール”(Sin nada de particular)と2曲続き、1985年に名バイオリニスト志賀清とオスバルド・ベリンジェリの共演アルバムのためにベリンジェリが書いたアレンジによる“めぐりあい”(Por la vuelta)は松本の自由なピアノ・スタイルと近藤のバイオリン・ソロが光った。

 ここでアップテンポの“1900年代のミロンガ”(Milonga del 900)でスピード感を増し、田中の渾身のコントラバス・ソロをフィーチュアしたピアソラ=トロイロ合作の“コントラバヘアンド”に拍手喝さい。今回田中が演奏したコントラバスは今のタンゴ界で最高のコントラバス奏者オラシオ・カバルコスの愛器で、父フェルナンド・カバルコスもバッファ=ベリンジェリ・トリオなどの録音で使用してきたという由緒ある楽器だった。

 さらにピアソラ作品が続き、静かな教会音楽のような“コラール”(Coral)、じわじわと燃え上がるような“五重奏のためのコンチェルト”(Concierto para quinteto)で会場はスタンディングオベーションの渦に。

 アンコールで福井がアコースティック・ギターに持ち替え、バンドネオンとギターのデュオから、コントラバス、ピアノ、バイオリンと順番にソロをとりながら楽器が増えていくユニークなアレンジの“ラ・クンパルシータ”で終幕。実に素晴らしい流れで観客を包み込んだコンサートとなった。

 

8月30日:オペラ/クラシックの殿堂で観客が最高潮に達した最終公演

 いよいよフェスティバルも音楽部門の最終日。コロン劇場の大ホールでトリを務める名門グループ〈セステート・マジョール〉のコンサートに小松亮太キンテートがゲスト出演することになった。ブエノスアイレス中心部にあるコロン劇場は〈世界3大オペラハウス〉とたたえられたアルゼンチン最高の劇場。現在のコロン劇場は1908年に完成、数多くのクラシックの指揮者、交響楽団、歌劇団が来演、国内有数の演奏家もそのステージに上がった。しかしクラシック以外の音楽がこのステージに登場することは稀で、タンゴのコンサートが行われることも決して多くはない。そんなオペラ/クラシックの殿堂に日本人のタンゴ・グループが登場するのはおそらく初めてのこと。

 フェスティバル全体の監督・責任者、現代アルゼンチン音楽有数のプロデューサーでもあるグスタボ・モッシの紹介で、小松亮太キンテートが登場、コンサートのスタートを切った。メンバー紹介を兼ねた“ビダ・ミア”、小松自作の“アルフレド・ゴビへの私信”、近藤と松本をフィーチュアした“めぐりあい”の3曲。4階のボックス席までびっちり埋まった多くの観客からの熱い拍手が送られる。

 続いて名門セステート・マジョールが登場、現在のメンバーはオラシオ・ロモ&マリアーノ・シグナ(バンドネオン)、パブリ・アグリ&セサル・ラゴ(バイオリン)、フルビオ・ヒラウド(ピアノ)、キケ・ゲーラ(コントラバス)。主に1970年代から演奏されてきたセステート・マジョールの名ナンバーを中心にオリジナルの編曲そのままに“夜のプレリュード”“ブエノスアイレスの冬”“パシオン・イ・タンゴ”“アルコン・ネグロ(黒鷹)”“ミロンガ・メドレー”と続き、ここで小松亮太がゲストで加わり“デル・73(デル・セテンタ・イ・トレス)”“心の底から”を演奏。

 さらにマジョールのみによるピアソラ作品“天使の死”のあと、パブロ・アグリ率いる10人編成の弦楽グループ〈カメラータ・アルヘンティーナ〉が加わり、さらに1940年生まれ現在85歳のピアニスト、ホセ・“ペペ”・コランジェロがゲストで登場。タンゴ史上の最重要楽団の一つ、アニバル・トロイロ楽団の最後のピアニストだったコランジェロは2005年にアルバム『バンドネオン・ダイアリー』(ソニー SICC10029)で小松亮太と共演したこともある偉大なピアニストだ。

 前期セステート・マジョールのリーダー、ホセ・リベルテーラの晩年の作品“秋のパリ”(París otoñal)、さらにコランジェロが在籍したアニバル・トロイロ楽団のスタイルで“踊り子”(Danzarín)を演奏、会場の盛りあがりも最高潮に。

 コランジェロが抜け、マジョールとカメラータでフルビオ・ヒラウドのピアノをフィーチュアした美しいオスマル・マデルナ作のタンゴ・ファンタシア“降る星のごとく”(Lluvia de estrellas)、さらにエンディングにふさわしい“パリのカナロ”(Canaro en París)で終了、と思いきやアンコールでセステート・マジョールの人気レパートリー“カルロス・ガルデル作品メドレー”(Selección de Carlos Gardel)でフィナーレ。

 贅を尽くしたコロン劇場の装飾の中で聴く王道のタンゴ、幸運にも入場券を手にできた人々の深い感動が伝わってくる公演だった。小松亮太にとってこの3日間、いろいろな人たちとの再会・出会いを含め、決して忘れられないものになったことは間違いないだろう。

PaPiTa MuSiCa HIDETO NISHIMURA, 31 de agosto de 2026
photo: Maria Horton(一部Sony Music Japan Inteanational撮影)