タワーレコード新宿店~渋谷店の洋楽ロック/ポップス担当として、長年にわたり数々の企画やバイイングを行ってきた北爪啓之さんによる連載〈聴いたことのない旧譜は新譜〉。そのタイトル通り、本連載では旧譜と称されてしまった作品を現在の耳で新譜として紹介していきます。

第18回で取り上げるのは、今年発売から60周年を迎えたビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』。今では当たり前のように高く評価されている同アルバムは、いったいいつ〈名盤〉と称されるようになったのか。さまざまな書籍や証言をヒントに、北爪さんがその謎に迫ります。 *Mikiki編集部

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THE BEACH BOYS 『Pet Sounds』 Capitol(1966)

 

いつ〈ビーチ・ボーイズの代表作〉から〈ロック史上屈指の名盤〉となったのか

1966年に発表されたビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』は、稀代の天才アーティスト、ブライアン・ウィルソンを中心に制作され、それまでのサーフィンや車を題材にした明快なポップソングとは一線を画す、きわめて内省的な楽曲と緻密なサウンドを追求したアルバムである。従来のイメージを大きく塗り替えたこの作品は、やがてビーチ・ボーイズを代表する一枚として語られるようになっていった。

1995年にイギリスの音楽誌「Mojo」が発表した〈The 100 Greatest Albums Ever Made〉では1位に選ばれ、アメリカの音楽誌「Rolling Stone」による〈The 500 Greatest Albums of All Time〉でも、2003年版、2020年版ともに2位にランクインしている。しかも、この2つのランキングでは『Pet Sounds』以外のトップ5の顔ぶれがすべて入れ替わっている。もちろんランキングが作品の価値をすべて決めるわけではないが、ともに2位に選ばれていることからも、『Pet Sounds』がいまでは〈ビーチ・ボーイズの代表作〉という枠をはるかに越え、〈ロック史上屈指の名盤〉として広く認知されていることがわかるだろう。

僕は1991年、18歳のときに日本盤CDを買って初めて『Pet Sounds』に接した。とはいえ、最初からその魅力を理解できたわけではない。よくわからないまま半年ほど聴き続けるうちに、不意にピンときたのを覚えている。

あくまで個人的な記憶ではあるけれど、購入当時はまだ、現在のように絶対的な名盤として神格化されていたという印象はなかった。僕がそうした評価の高まりを実感するようになったのは、それから3、4年後くらいだったように思う。

自分自身の受け止め方も世間での評価も、時間とともに変化していったのは興味深い。では『Pet Sounds』はどのような経緯で〈ビーチ・ボーイズの代表作〉という位置付けを越え、〈ロック史上屈指の名盤〉として評価されるようになっていったのだろうか。今回はアルバムの音楽的な分析よりも、作品を取り巻く環境の変化を通して、その存在感が増していった過程をたどってみたい。

 

山下達郎、村上春樹らの言葉に滲む当時の『Pet Sounds』の評価

『Pet Sounds』はリリース当初からその革新性が広く理解されていたわけではない。なにしろバンド内においてさえ、内省的な歌詞や実験的なサウンドに難色を示すメンバーがいたのである。当然ながらリスナーの受け止めも一様ではなかった。

そうしたファンの戸惑いを伝える興味深い証言がある。1988年のCD化に際して山下達郎が執筆したライナーノーツには、1966年当時のビーチ・ボーイズのファンクラブ会報からの記事が引用されている。そこからは、従来の路線から大きく変化したことへの驚きに加え、アルバムの最後に入っている犬の鳴き声や列車の音に対して〈これは何を意味するのでしょうか??〉という、やや困惑した様子もうかがえるのだ。

村上春樹はジム・フジッリの著作「ペット・サウンズ」(2008年)の訳者あとがきで、〈ほかのおおかたの同時代のリスナーと同じように、僕は『Pet Sounds』がどれくらい革新的であり、独創的な作品であるかという事実を、その時点ではほとんど理解していなかったのである〉と述懐している。

ジム・フジーリ, 村上春樹 『ペット・サウンズ』 新潮社(2008)

音楽評論家の中山康樹もまた、著書「サマー・デイズ ビーチ・ボーイズに捧ぐ」(1997年)で、発売当日に日本盤を購入したものの、〈一聴、それはビーチ・ボーイズの音楽ではなかった。その音楽がどこから発せられ、そしてどこに向かって進んでいくのか、把握できなかった〉と回想している。

後年、ロック史を代表する傑作として評価される『Pet Sounds』だが、発表当時は、従来のビーチ・ボーイズの音楽を期待していた人々にとって、その変化をすぐには受け止めきれない作品でもあったのだ。

とはいえ、『Pet Sounds』は長らく正当に評価されていなかったのかといえば、決してそういうわけではない。1970年代には、少なくとも日本のレコード会社や批評家の間ではビーチ・ボーイズの代表作という認識はされていたようである。

日本では1974年に再発されたが、その帯には〈今や伝説化されたスーパー・グループ ビーチ・ボーイズのサージェント・ペパー!!〉と記されている。1977年にもリイシューされているが、そこではより大仰に〈あの「サージェント・ペパーズ」に匹敵する唯一のポップ・ミュージック・アルバム! ビーチボーイズの音楽史に輝く金字塔(1966年)!!〉と紹介されている。

さらに注目すべきは、1979年に刊行されたディスクガイド「ロック決定盤」の記述だろう。そこではビーチ・ボーイズの推薦盤として『Pet Sounds』が選ばれているのだが、音楽評論家の北中正和はそこで、彼らのアルバムから一枚だけ選ぶなら本作をおいてほかにないというのが、すでに〈定説となっている〉と記しているのだ。

 

大きな節目となった1988年

また、アメリカのロック、ポップスに造詣の深いパイドパイパーハウス店長、長門芳郎に直接話を伺ったところ、少なくとも彼の周囲では『Pet Sounds』は1970年代後半にはすでに、やはりビーチ・ボーイズの名作として知られる『Sunflower』や『Surf’s Up』以上に特別なアルバムとして扱われ、店頭でもつねに在庫を置く作品だったという。

そして1980年代前半には、『Pet Sounds』に続く作品として制作が進められながら完成に至らなかった幻のアルバム『Smile』の海賊盤が出回り始め、パイドにも探し求める客が後を絶たなかったという。このエピソードからも、当時のロックファンの間でブライアン・ウィルソンの創造性への関心が高まっていたことがうかがえる。 

『Pet Sounds』の評価の変遷をたどるうえで、ひとつの節目となるのが1988年である。この年、ビーチ・ボーイズはシングル“Kokomo”で22年ぶりの全米1位を獲得。ブライアンは不参加のため、『Pet Sounds』的な音楽性とはほど遠い作品だが(僕は好きだ)、ビーチ・ボーイズが久々に米国のメインストリームで大きな注目を集めたことは間違いない。

しかし、それ以上に重要なのは、ブライアンが初のソロアルバム『Brian Wilson』をこの年にリリースしたことだろう。精神的な不調によって長く表舞台から遠ざかっていた彼の復活は、半ば忘れられかけていた天才音楽家の存在を再びクローズアップさせるきっかけとなった。そしてリリース当時の「レコード・コレクターズ」誌で大滝詠一が〈昔からのファンならば、当然これが『Pet Sounds』を一人で作り直したものだ、ということは直感的に解ると思う〉と書いている通り、この作品はたしかに『Pet Sounds』の〈22年後の続編〉とでもいうべきクリエイティビティに溢れていたのである。

BRIAN WILSON 『Brian Wilson』 Reprise/Friday Music(1988)

つまり1988年は、ビーチ・ボーイズとブライアン・ウィルソンがそれぞれ別の形で再浮上を果たした年だったわけだが、もうひとつ見逃せないのが、この年に『Pet Sounds』が初めてCD化されたことである。日本のみのリリースで、ボーナストラックの権利関係から早々に回収されてしまったものの、その後の英米各国でのCD化に先駆ける動きだったことは特筆に値する。

 

フリッパーズ・ギターなど『Pet Sounds』の影響下にいるアーティストたちの動き

1980年代後半、音楽ソフトの主役はレコードからCDへと急速に移り変わり、それに伴って大量の旧譜がCDで続々と再発されるようになった。戦前のブルースも1960年代のロックも当時の最新作と同じフォーマットで店頭に並び、世代やジャンルを越えて気軽に聴き比べられる環境が整いつつあったのである。

そうした状況のなかで、『Pet Sounds』もまた、過去の名盤として棚に収まるだけでなく、同時代の新しい音楽と並べて聴くことのできる作品になった。発表から四半世紀近くが経ったアルバムが同時代の新譜に決して見劣りしていないことを、改めて実感するリスナーも多かったはずである。

こうしたビーチ・ボーイズ~ブライアンへの関心の高まりと並行するように、1990年代には『Pet Sounds』が現役世代のアーティストたちに与えた影響が具体的な作品を通じて見えてくる。 いくつか例を挙げてみよう。

1990年にはオルタナティブロック系の面々によるカバーアルバム『Smiles, Vibes & Harmony: A Tribute To Brian Wilson』がリリース。とりわけ、ソニック・ユースによる”I Know There’s An Answer”の虚無感漂うノイジーなカバーは、90sにおける『Pet Sounds』解釈の自由さを象徴しているように思える。

また1998年にはジム・オルークやジョン・マッケンタイアらポストロック勢も多く参加した『Smiling Pets』というトリビュート盤も発売されているが、ここではブライアンをメロディメイカーとしてよりもサウンドクリエイターとして捉えたようなカバーが多いのが興味深い。

そして、今年日本でもドキュメンタリー映画が公開されたエレファント6界隈では、『Pet Sounds』からの影響がより色濃くうかがえる。アップルズ・イン・ステレオのロバート・シュナイダーの自宅スタジオが〈ペット・サウンズ・スタジオ〉と名付けられているのもさることながら、オリヴィア・トレマー・コントロールのウィル・カレン・ハートの発言はさらに興味深い。1999年刊行の「インドア・ポップ・サイクル」に掲載されたインタビューで、ブライアンについて「インスピレーションの宝庫。モダンミュージック界の天才」と絶賛。『Pet Sounds』や『Smile』の頃が好きだと答えているのだ。

日本ではいわゆる〈渋谷系〉的な文脈のなかで注目された印象があるが、実際にフリッパーズ・ギターの1991年作『ヘッド博士の世界塔』では、冒頭の“Dolphin Song”とラストの“The World Tower”に“God Only Knows”がサンプリングされている。

カバー、サウンド面での影響、サンプリングと方法は異なるが、いずれも『Pet Sounds』が1990年代のアーティストたちにとって創作上の刺激となった作品であることはたしかだろう。

 

決定的となった『The Pet Sounds Sessions』の登場

そして、1990年代の『Pet Sounds』にまつわる最大のトピックは、1997年に4枚組CDセット『The Pet Sounds Sessions』がリリースされたことである。ここに数多くのセッション音源や別バージョンが収録されたことで、他に比類のない独特なサウンドの制作過程をより体系的にたどることが可能になったのだ。

そもそも、こうしたマニアックなボックスが商品化されたこと自体が、『Pet Sounds』人気の高まりを感じさせる。そして、ブライアンの創作過程を垣間見ることができる本作の登場によって、『Pet Sounds』は完成された作品としての魅力に加え、その創作過程まで含めて語り、検証できる対象となっていったのである。少なくとも1990年代の時点で、一枚をここまで深掘りできる(言い換えれば深掘りの対象に相応しい)アルバムというのは他にほとんど思い浮かばない。

こうして振り返ると、『Pet Sounds』が1990年代に〈ロック史上屈指の名盤〉としての評価を高めていった背景には、作品そのものの魅力だけでなく、それを取り巻く環境の変化があったことがわかる。CD化によって同時代の音楽と並べて聴かれるようになり、若い世代のアーティストたちの創作を通じて新たな視点で捉え直され、さらには制作過程まで検証できるようになったことで、そのサウンドの特殊性もいっそう浮き彫りになった。

こうした動きによって、『Pet Sounds』はビーチ・ボーイズの代表作というだけでなく、後続のアーティストたちに有形無形の影響を与え、ポップミュージックの可能性を広げた歴史的な一枚としても捉えられるようになっていったのではないだろうか。

1966年の発表当初、従来のビーチ・ボーイズ像からの変化をすぐには受け止められなかったリスナーもいたアルバムが、約30年を経て、世代やジャンルを越えて語られる作品になった。思えばその過程こそが、『Pet Sounds』というアルバムのもうひとつの歴史なのかもしれない。

 


PROFILE: 北爪啓之
1972年生まれ。1999年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈ろっくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオAM「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。