〈第94回アカデミー賞〉で作品賞、監督賞、脚本賞にノミネートされ、鬼才ポール・トーマス・アンダーソン監督のひさびさの新作として話題の映画「リコリス・ピザ」。70年代の米LA、サンフェルナンド・バレーを舞台にしながら、実在の人物や出来事を背景に、アラナとゲイリーの恋模様を描いている。日本での公開直後からかなり評判を呼んでいるが、特に注目したいのは、やはりサウンドトラックなど音楽との関係性だ。ここでは、映画に惚れ込んだ音楽ライターの松永良平(リズム&ペンシル)が、「リコリス・ピザ」の音楽に隠された〈問いかけ〉、そしてその〈答え〉について綴った。 *Mikiki編集部
「リコリス・ピザ」の本質はニーナ・シモンが歌っている
ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)の最新作「リコリス・ピザ」の本質は、じつはニーナ・シモンが最初にすべて歌っている。
彼女が65年に発表したアルバム『I Put A Spell On You』のA面5曲目に収録されていた“July Tree”は、穏やかなストリングスに包まれたお伽噺みたいなムードの美しい曲だ。
作詞作曲は二人の女性。作詞は、人権問題などへの反骨的な姿勢を童謡のようなライム(rhyme)に溶け込ませ、ヒップホップ的な感性の先取りとも評価されている傑作「スラム街のマザーグース(The Inner City Mother Goose)」(69年)などで知られる詩人、イヴ・メリアム。作曲はブロードウェイミュージカル畑出身のアーマ・ジュリスト。まるで19世紀から伝わる伝承曲のようなおごそかさを持つ“July Tree”だが、ニーナのために二人の才女が書き下ろした新曲だった。
歌詞は〈True love seed in the autumn ground(秋の地に芽生える真実の愛)〉で始まり、同じフレーズを2回繰り返したあと、〈When will it be found?(それはいつ見つかりますか?)〉と括られる。そう、この曲の歌詞は2回のリフレインと1回の問いかけを連ねて、真実の愛が時間をかけて実る様子を描くことで曲全体が成立しているのだ。
そう書けば、ドキッとするでしょう? だって、年上の女性アラナ・ケイン(アラナ・ハイム)にひと目惚れしたゲイリー・ヴァレンタイン(クーパー・ホフマン)は、「君は同じこと2回言うよね」と指摘するから。
「リコリス・ピザ」のサウンドトラックには、その“July Tree”から、最高の場面で流れるウィングス“Let Me Roll It”、ラストのタジ・マハール“Tomorrow May Not Be Your Day”まで、映画本編を彩った数々の名曲が収められている。権利関係からか、そこには収録されなかった曲についてもいくつか書いておきたい。
アラナは音楽が描く馬に乗って街を駆け抜けた
旧知の男優、ランス(スカイラー・ギソンド)とアラナがデートしている様子を目撃してしまったゲイリーが乗っていた車のラジオで流れていたのは、トッド・ラングレンのアルバム『Something/Anything?』のCM。72年の2月にリリースされたアルバムなので、73年の設定に合わないじゃないかと一瞬思ってしまうが、73年の8月は“Hello It’s Me”がラジオから火がつき、2回目のシングルカットで全米チャートの5位まで上昇していた。つまり、アルバムも再プッシュされていた時期ということで時系列が一致する。映画で流れるのが“I Saw The Light”なのは、アラナがランスに惹かれている(瞳が輝いている)のをゲイリーが見た暗喩だろう。
群像劇のように登場する強烈なキャラクターのうち、とりわけ強烈な印象を残すのがブラッドリー・クーパーが演じる映画プロデューサー、ジョン・ピーターズ(他の実在キャラクターはすべて架空の名前になっているのに、ピーターズとジョエル・ワックスだけは実名)。バーブラ・ストライサンドの「スター誕生」(76年)をプロデュースし、公私ともに密な関係だった彼が登場する直前のシーンで、デヴィッド・ボウイ“Life On Mars?”が流れる。これもおもしろい謎かけ。ピーターズがのちにプロデュースしたバーブラのアルバム『Butterfly』(74年)で、彼女は“Life On Mars?”をカバーしているのだった。
ウォーターベッドに目をつけたゲイリーがオープンさせた店〈ファット・バーニーズ〉では、ゲイリーの弟グレッグたちのキッズバンドが、ヘタクソだけどファンキーなガレージインストを演奏している。そう、70年代(特に73年あたりは)は、世界中でキッズグループ花盛りだったよね。この演奏、サントラに入れてほしかったし、彼らのレコードがあったら即購入する!
映画後半、ゲイリーの想いを知り、彼がオープンさせたピンボールセンター〈ピンボール・プラザ〉に駆けつけたアラナ。そこで流れているソウルインストが、クリフ・ノーブルズ&カンパニーのヒット曲“The Horse”(68年)だ。これも時代設定に合わない選曲だが、すごく意味がある。女優を志して面接を受けたアラナは、ゲイリーから、質問にはすべてイエスと答えるようにと言い渡されていて、「乗馬はできるか?」との問いにも「イエス」と答えていた。彼女が乗馬なんてできもしないことは明らか。だが、クリフ・ノーブルズの“The Horse”で、彼女はゲイリーを探して街を駆け抜ける。音楽が描く馬に乗って。