今回は、これまで大きくフォーカスしてきたPAELLASのEP『Following EP』をきっかけにネット・レーベルとして2012年にスタートし、そのPAELLASやHomecomingsBoyishPost Modern Teamといった注目株をいち早くフックアップした同年のコンピレーション『Soon V.A.』で多くの国内外のインディー音楽好きの知るところとなったAno(t)raksの主宰者、小笠原大Dai Ogasawara)をフィーチャー! レーベルは、それ以降も印象的なジャケットに包まれた8枚のコンピを通じ、吉田ヨウヘイgroup森は生きているThe Fin.Slow Beachとその主要メンバーであるKai Takahashi北園みなみShin Rizumuといった、昨今のインディー・シーンで活躍する重要アクトたちの楽曲を紹介してきました。ここで参照できる音楽性は、チルウェイヴシンセ・ポップドリーム・ポップなど海外のインディー・シーンのトレンドと並走するようなサウンドから、リヴァイヴァルとしてのシティー・ポップ渋谷系といったドメスティックな志向の音まで、まさに現在進行形のインディー・ポップの多彩さをギュッと凝縮したかのようなヴァラエティーに富むもの。昨年末には、Pitchforkの〈押さえておくべき10の日本のネット・レーベル〉と題した特集記事でもピックアップされたAno(t)raksの頭脳は、そんなカオスな(?)シーンの現状をどのように捉え、どんな哲学のもと活動しているのか? お話をうかがってきました!

 


 

小笠原大

 

――ここ数年の国内のインディー・シーンを見渡したときに、〈インディー・ポップ〉というワードが一つのキーワードで、それはUKの80年代のインディー・ポップとはまったく違うものだと思うのですが、小笠原さんはそのあたりの違いや共通点についてどう捉えていますか?

「インディー・ポップという言葉は、僕はUKのインディーだったり80年代の枠で考えていて、いまある国内のインディー・シーンは、〈インディー・ポップ〉と呼べるものもあるけど、もっと幅広く、そして細かく分かれていると思います。女の子も多いシンガー・ソングライター系や宅録モノ、シティー・ポップなど、幅が広いのが特徴ではないでしょうか」

――ちなみに、オリジナルのUKインディー・ポップはリアルタイムで聴いていましたか?

「はい、地元の弘前(青森)で」

――当時のインディー・ポップって、〈ポップ〉という名前こそ付いているけど、既存のシーンに対するオルタナティヴな姿勢が感じられたと思うのですが、パンクポスト・パンクといった時代の流れで出てきたという背景が大きかったのでしょうか?

「僕はニューウェイヴの流れで聴いていたところがあるんですが、〈インディー・ポップ〉という言葉が出てきたのはその後だったような……。当時は〈洋楽インディーズ〉のような名前で、88年くらいまでは呼ばれていたような気がしますね。特に名称がなかったというか。ただ、アズテック・カメラペイル・ファウンテンズとか、当時の宝島やFOOL'S MATEのような雑誌で紹介される際は、ニュー・アコースティックという名前で呼ばれていました。ネオアコではなくて」

 【参考動画】アズテック・カメラの83年の楽曲“Oblivious”

 

――ただ、そこにはすごくDIYなものを感じます。

「たしかにそうですね」

――Ano(t)raksには、そういった部分でオリジナルのインディー・ポップから受け継いでいるものはありますか?

「そこはすごくこだわったんです。やっぱり、インディー・ポップは自分にとってその当時のパンクだったんだと思う。リアルタイムではパンクを体験できなかった世代だから。別にアンチテーゼがどうとか、政治的なものがどうとか、そういった話ではなく、既存のポップ・ミュージック……いま聴くとすごくいいんだけど、16~17歳の頃は受け付けなくて。自分だけのポップスなのかロックなのか、そういう音楽をずっと探していくなかで、例えばスミスだったり、ハウスマーティンズファットボーイ・スリムノーマン・クックらが在籍したことでも知られるギター・ポップ・バンド)だったりがいたUKのインディー・シーンにスポっとハマったんです。そこからずっと続いている感じですね」

 【参考動画】ハウスマーティンズの87年の楽曲“Five Get Over Excited”

 

――Ano(t)raksにとっては、オリジナルのインディー・ポップの影響はかなり大きかったと。

「はい。ただそのあたりの音は、いま言われているインディー・ポップとは違いますよね。現在はパンクというよりは、もっとキュートな感じの印象」

――当たり前の話ですが、リヴァイヴァルではない、ということですね。

「結局は時代の流れなのかな。転がって角が取れて、聴きやすい部分だけが残ったような気がします」

――いまのAno(t)raksを象徴するアーティストの一人で、現役の高校生でもあるシンガー・ソングライターのShin Rizumuくんあたりもそうですが、シティー・ポップ的な音楽も昨今の国内の音楽シーンで注目され続けていて。このあたりについてはどう考えていますか?

【参考動画】Shin Rizumuの2014年作『superfine』

 

「まずひとつは、17歳の子がなぜそこに行き着いたのか?という疑問があったんですが、お父さんの影響なんですよね。お父さんが、渋谷系の世代にもあたりレコードをたくさん買っていた。そのストックが家の中にあるのは大きいと思う。アクセスしやすかったんでしょうね。そこで興味を持って、シティー・ポップまで繋がっていったんじゃないかな?」

――ちなみに、当時って渋谷系とシティー・ポップは断絶があったんでしょうか?

「当時はまったく別次元で起こっていたと思います。それがリンクし始めたのは、渋谷系という言葉が生まれて、サニーデイ・サービスがブレイクしたあたりじゃないでしょうか。95年くらい? ただ、数ある流れのうちのひとつだったと思います。93年頃って、いろんな流れが同時にあったから。その中の細い道筋としてはあったかもしれないですね。僕は当時はそこを通ってなくて。時代が近すぎて、埃くささを感じていた気がします。いまはもう一回りしちゃって、自然にカッコいいと思えるけど」

――リアルタイムで聴いていたからこその感覚かもしれませんね。ちなみに、小笠原さんがやっていたバンド、CANDY EYESはこの頃に活動していたんですか?

【参考音源】CANDY EYESの92年の楽曲“Blue Shirts Afternoon”

 

「結成は91年だったかな」

――当時は渋谷系のムーヴメントとの繋がりはあったんでしょうか?

「結果的に渋谷系と呼ばれる人たち、例えばカジヒデキさんがいたブリッジと対バンしたりだとか、色々ありましたね」

――なるほど。内包する音楽性の幅広さという点で、現在のインディー・ポップと渋谷系には似た部分があるのかなとも感じていて……サウンドそのものを指すわけではないのだろうか?とか。

「たしかに、サウンドではないですね。渋谷系はモード感というか、DJ感覚に近かったのではないでしょうか。変化する流れがすごく早かったから」

――ちょうどタワーレコード渋谷店が現在の場所に移転したのが95年でした。輸入盤の文化を中心に、そこから爆発的に情報量が増えていって。

「みんな〈次は何だ?〉というところに意識がいっていて、回転はすごく早かったですね」

――その渦中にいて培われる感性は雑多でカオスなものだったと思うのですが、それはAno(t)raksの運営に反映されていますか?

「そのときの感覚のまま来ているのではないでしょうか。〈次!〉っていう部分なんか特に。〈次は何だろう〉という好奇心だけで動いているところがありますよ。その当時のサーチ感覚と変わっていないし、いまも同じ感覚で音楽を聴いています」

――レーベルはPAELLASの『Following EP』のリリースをきっかけに2012年に始まったわけですが、現在LUCKY TAPESで活躍されているKai TakahashiさんのSlow Beachだったり、このあたりの現行の海外のインディー・シーンと並行するようなサウンドのアーティストとも多く関わっていますよね。小笠原さんご自身も、海外のシーンの動向は常にチェックしているのですか?

【参考音源】PAELLASの2012年作『Following EP』

 

「ほとんどしていません(笑)」

――なんと(笑)。それは意外でした。では彼らとは、国内のシーンをウォッチしていくなかで出会ったということですか?

「そうなんです。レーベルを始めた当初はまだ聴いていたかもしれない。いまはほとんど聴いていないですね」

――ちょうどチルウェイヴが浸透して、一段落着いたあたりでレーベルが始まって……

「チルウェイヴもほとんど聴いていないです(笑)」

――そうだったんですね(笑)。ただ一方ではShiggy Jr.だったり、Ano(t)raksから昨年10月にEP『パラレルワールド』をリリースしたCaro Kissaだったり、よりポップな指向性を持ったグループがいまのインディー・シーンに出てきている側面もあると思います。こうした動きにはどのような背景があると考えていますか?

【参考音源】Caro Kissaの2014年作『パラレルワールド』

 

「なんでしょう……新しいことを求めに求めて、その裏返しでそこまで来ちゃったというか。〈結局はポップなものがいいんじゃないか〉という感覚。音楽に関するいまの情報量は膨大だし、いろんな音楽が並列で流れていくなかで、やっぱりポップなものが一番いいんだ、という簡単な理由だと思うんです。まだ分析しきれていないけど。ただ、自分自身もいまはポップな音楽が聴きたくて」

――90年代のJ-Popの再評価のような流れも、メジャーとはまったく別のラインで現在あったりしますよね。

「ありますね。数日前もずっとEvery Little Thingを聴いていて。改めていいなぁと」

――そういった部分もふまえて、今後の国内のインディー・ポップはどうなっていくと思いますか?

「Rizumuくんが象徴しているんじゃないかな。親が沢山レコードを買っていた世代の子供たちが大学生になって音楽を始めたときに、すごく面白いものができるんじゃないかな?と。よりポップス寄りというか。Rizumuくんのような〈ポップスのエリート〉的な人が増えていくのかな?とも思います」

――Ano(t)raksとも接点がある北園みなみさんあたりも凄いですよね。

【参考動画】北園みなみの2014年作『promenade』 ダイジェスト音源

 

「才能の塊ですよね」

――話は変わりますが、Ano(t)raksといえばコンピレーションというイメージもあって。コンピでシーンの流れを切り取ってきたような側面もあるかと思いますが、今後はどういった方向に進むのか、予定や計画はあるでしょうか?

「多分和モノ中心でいくと思います。いま身近な音楽が聴きたくて……詩を聴きたいとか。もうちょっとフォーク寄りになっていくかもしれません」

――それは意外な展開ですね。

「シティー・ポップの源流としての和モノ・フォークとソフト・ロック。そういうサウンドのアーティストがいるかと言われれば、いないんですが(笑)。これから探していきたいですね。ただ、いわゆる字面通りのインディー・ポップというのも変わらずに好きなので、いいなと思う人たちがいればそちらもフォローしていきたいです」

【参考音源】Ano(t)raksの2014年のコンピ『Light Wave '14 Vol​.​3』

 

――インディー・ポップはどんどん更新され続けていくんですね。

「ただ、一方ではなかなかシーンにはなりきれていないのでは?と思える部分もあって」

――というのは?

「シーンを引っ張って行けるような突出したアーティストがまだ不在なのかな。現行インディーを知らない人たちから見ると、全部一緒に見えてしまう可能性はまだまだあるかも知れませんね。まだ過渡期の段階にあると思います」

――でも、それこそRizumuくんあたりは、そこを突破できる可能性を秘めているのでは?

「いわゆるインディー・ポップからは離れていきますが……まあ、2015年は面白くなっていくでしょうね」

――そうした予想がつかない部分も含めて、いまのインディー・ポップは面白いなと感じています。

「いずれは紅白で(笑)」

――たしかにそうなったらもはやインディー・ポップではないですが、凄いですね(笑)。

「自分でも予測はつかないですが、多少はいまのインディー・シーンを面白くできているようだったら嬉しいです。今後も精進していきたいですね」