今回の課題盤
――何やらとてもエポックな出来事があったようですね!
「『ベース・マガジン』でジョージ・クリントンと表紙を飾ることができたんですよ。抱き合っている写真で。他にも、誌面に掲載されている、僕がベースを持って、2人で格好付けて立っている写真がありまして、普通に考えたらそっち(が表紙用の写真)だなと最初は思っていたんです。ただ、表紙になったあの写真が良かったということと、『ベース・マガジン』だからベースを持ってます、というのもベタだなと思いまして、どこか超越した感じの写真ですし、表紙になったらおもしろいかなと」
――インパクトもあるし、とっても素敵な写真なので大正解ですね。
「ジョージ・クリントンのことを全然知らない人も、TwitterやInstagramなどで写真がいいと反応してくれた人が多くて良かったですね。そもそも彼の来日公演はここ数年ほぼ毎回行っていて、今回もジョージ・クリントン&パーラメント/ファンカデリックという形で来日公演があるというのは知っていたのですが、この対面は当日の4日前くらいに決まったんです」
――そんなにギリギリだったんですか。
「マネージャーから電話がかかってきて、〈『ベース・マガジン』の取材で……〉と。でもアルバムをリリースしてから割と経っているし、何かなと思ったら、ジョージ・クリントンが来日するから対談しないかいう話だったんです。上手くいったら一緒に写真を撮って表紙になるかもしれない、と……なんだそのアバウトな感じは、と思いましたが(笑)」
――ハハハ。海外のアーティストだと何があるかわかりませんからね、特に大御所ですし(笑)。
「もちろん二つ返事でOKしたんですが、あまりにも話の規模が空想的すぎて、あまり実感が湧かなかったんです。対面当日は、ライヴ会場のBillboard Live TOKYOに指定された時間の15分ぐらい前に到着して、楽屋前の廊下で待っていたのですが、そこから急に緊張しはじめましたね。その日のお昼頃にタワレコ渋谷店でジョージがインストア・イヴェントをやっていて、すごく楽しそうな様子がTwitterにあがっていたから、『ベース・マガジン』チームも(表紙撮影ができる)可能性はあるんじゃないかと話していて。僕らより前に2組くらい取材する媒体が来ていたのですが、それが始まって〈いよいよ会えるな〉となった時がいちばん緊張しましたね。以前、同じ場所でジャック・ブルースに会って物凄く適当に扱われた※……まあ最終的には良かったんですけど(苦笑)、その時のことを思い出して――やっぱり通訳さんがいても言葉の壁というはどうしたってあるなと思うんですよ。さらにその不安に拍車をかけるように、先にインタヴューを終えた人が〈(質問に)一言くらいでしか返してくれないので、全然質問できないと思っていたのに質問事項はすべて訊けちゃいました、逆に〉と言っていて……余計プレッシャー(笑)」
――想像するだけでも震えますね……。
「最初、取材時間は10分って言われていたのですが、直前に〈すみません、5分で〉と言われて、その5分でインタヴューに加えて写真も撮らなくちゃいけないとなると、見出しになるような質問を2~3個するくらいがいいかな、などとみんなで考えていたんです。それでいざジョージのいる楽屋に入って、本人に挨拶したら、全然普通に握手してくれました。僕が以前表紙を飾った『ベース・マガジン』の号を見せたら急に機嫌が良くなって、ベースがバーッと飾ってある写真を見てジョージが〈これはお前の家か?〉と。いやいやこれはフェンダー社で撮っていて、飾ってあるなかのいくつかは自分のベースで……くらいの話は自分で直接伝えて。そうしたら、僕が1言ったら10返してくれると言っても過言ではないくらい丁寧に答えてくれたんです! もちろん通訳さんを介して話していたんですが、返事は全部僕の目を見て返してくれました。結局、当初5分と言われていたのが15分ぐらい対談できました」
――へ~! それはスゴイ!! だいぶ会話も弾んだんですね。
「質問事項はほとんど考えてきてなかったんですが、だいぶ弾みました」
――昔からファンだったんです、みたいなことも伝えたんですか?
「そうですね。中学の時に(ジョージの音楽に)出会って、言葉もわからないし、いまだに何を言ってるかわからない曲もある、ということも伝えつつ、〈僕はあなたの音楽を聴いてブラック・ミュージックに入っていったのですが、ジョージはどういうきっかけで音楽を始めたんですか?〉と訊いたら、〈お母さんが歌を歌っていて……〉という話から〈モータウンが自分のルーツで、ポップ・ミュージックをファンキーにしたのはたぶんジェイムズ・ジェマーソン(モータウン全盛期のベーシスト)じゃないか〉と答えてくれたり、〈スタックスはどうだったの?〉と訊けば、〈あれはソウルであってファンクじゃないよね〉みたいな話も。『ベース・マガジン』の取材ということで気を遣ってくれたんでしょうけど、真面目に丁寧に話してくれました」
――やっぱり、自分の音楽に影響されてベースを始めて、いまプロでやってます、みたいな日本の若いミュージシャンが来たら、めちゃめちゃ嬉しいでしょうね。
「取材が終わった後にもみんなそう言ってくれて。思いつきで、〈ブーツィー(・コリンズ、Pファンクの伝説的なベーシスト)に初めて出会った時のことは覚えてますか?〉と訊いたら、〈全然覚えてるよ。彼が向こうから歩いてきた時、みてくれが物凄くファンカデリックな奴だったから、おのずと……〉とすごい笑顔で答えてくれて。〈ブーツィーが最初にプレジション・ベースを使っていたから、俺もプレベが好き〉と言ってました。あと、去年ファンカデリックで新作(『First Ya Gotta Shake The Gate』)がリリースされたじゃないですか。そこで、いわゆる打ち込みのベースと生のベースを感覚としてどのように使い分けているのかなと思って訊いてみたら、直接的な返答ではなかったんですけど、パーラメント/ファンカデリックも70年代にバーニー・ウォーレル(鍵盤奏者、バンドのオリジナル・メンバー)がだいぶ早くからシンセ・ベースを採り入れいて、やっぱりああいうものを下手な奴が入れるとただの電子音というだけで邪魔になってしまうんだけど、唯一あの時代に格好良いシンセ・ベースを入れられたのはバーニー・ウォーレルだけだったから入れたんだそうです。楽器として演奏できないと全然良くないよね、と言っていました。そういう意味でも、やっぱりパイオニアだったんだなと改めて実感して。感覚で使い分けるというのではなく、当時の彼らにとっては新しい楽器が登場して、それをもっともカッコ良く弾く人がいたから……というだけの話だったんですよね」
――なるほど~。そういうことを本人から直接聞けるのは貴重ですね。
「そういえばもうひとつ、ズットズレテルズのアルバム(2009年作『第一集』)のジャケを携帯に入れていて、あのアートワークはいわゆるオマージュなんですよね。なのでそれをジョージに見せたらすごい笑ってました。〈超ファンカデリックじゃん〉と(笑)。本物に言われたら間違いないでしょう」
――そうですね(笑)! 認定の。
「本人認定の。実は、誌面にも使われなかった写真のなかに、僕がすごく偉そうなカットがあって……もうちょっとしたら公開しようと思ってるんですが(と写真を見せる)」
――ハハハハハ! だいぶ〈上から〉いきましたね。どっちがインタヴューされてるんだろう、っていう(笑)。
「物凄い〈上から〉ですよね、僕が表紙の号をジョージがずっと持ってくれているし(笑)。僕、これまでにいろんな人と写真を撮っているし、それらは全部手元に残していますけど、今回の写真ばかりは引き伸ばして額に入れようと初めて思いましたね」
――素晴らしい。ハマくんはもちろん、ジョージのスーツ姿もすごくキマっているし。それにしても他人事ながら胸がいっぱいになります(笑)。
「そうですね。とても真剣に答えてくれて、説得力の塊でした。73歳ですけど、おじいちゃん感はまるでないし、言葉もバンバン出てくる。どこかで読んだのですが、以前体調を崩したことでしっかりしようというモードになったみたいです。前回の来日公演は、正直印象もないくらいグデグデだったんですけど」
――そういえば前に言ってましたね。
「その取材後のライヴも、ジョージに〈観て行かないのか?〉と言われたので観せてもらって、彼は1曲目からステージに登場していたし、ファンカデリックの新作からの楽曲も演っていて、ステージ上でも若々しいんですよ。親戚というか孫のような子だと思われる、僕とほとんど歳が変わらなそうなダボダボの格好をしたラッパーもステージに上がっていて、自分がパフォーマンスをしていない時は、そういったメンバーの様子をずっと楽しそうに観ていたり――すごく良いステージでしたね、(往年の姿に)戻ってきている感じがして」
――そもそも、ハマくんがPファンクを聴くようになったのはレッチリがきっかけだったそうですが、最初に手にした盤は……。
「定番のファンカデリック『One Nation Under A Groove』(78年)と『Funkadelic』(70年)ですね。レッチリがこの作品の楽曲をカヴァーしていて。そこから集めはじめました」
――bounceの連載時には『One Nation Under A Groove』を紹介してくれましたよね。
「そうですね。ジョージ・クリントンというとパーラメントよりファンカデリックのほうが印象的に強くて」
――わかる気がします。
「単純に『Mothership Connection』(75年)や『Live』(77年)など、パーラメントのほうがインパクトは強いかもしれないのですが、〈Mothership~〉の〈宇宙から来た〉みたいなコンセプトを楽しめるようになるのは高校生になってからだったので。中学卒業から高校まではニューオリンズ・ファンクとPファンクを聴きまくっていて、高2の夏に1回だけライヴをするためにズットズレテルズを組んだんです。その後、高校を卒業して1年後に〈閃光ライオット〉という大会があったので、高校卒業記念ということでズレテルズを再結成して。優勝すると賞金100万円だからやろうよ、応募しようという話になりまして。いよいよアーティスト写真が必要だから衣装をどうしようとなった時に、ちょうど僕がPファンクを聴いていて、ラキタ(ズレテルズのメンバー、ソロでも活躍)もちょうどそういう音楽が好きだった時期なので、自然とああいう出で立ちになったんです」
――その〈閃光ライオット〉をきっかけにズレテルズが注目されると、〈Pファンクっぽい〉みたいに言われていましたけど、実際はどういう感じの音楽をやろうと結成されたんですか?
「ファンク・バンドとよく言われるんですけど、実際はそういう感じの楽曲は1曲ぐらいしかないんですよ(笑)。あれは〈閃光ライオット〉の応募用に楽曲を作らなきゃいけなかったので、下北沢のスタジオでジャムって作ったんです。とりあえず1曲作って送ればいいということだったので、送ったら見事に(審査に)通りまして。その後に30分ぐらいのスタジオ・ライヴ審査があったので、1曲だと足りないぞと新しい楽曲を作りはじめたら、そんなにファンクを何曲も作っても……みたいな空気になったので、ランDMCの“It’s Tricky”まんまのトラックに歌を乗せたり、“Nis!”(読みは〈ニシ〉)っていう曲は表記からもわかる通り完全にノイ!のパクリなんです。ジャーマン・プログレのような楽曲をやろうと。ノイ!の音楽はオクターヴ上と下を行き来する変則的なものだったんですが、それを簡易にして。なぜ“Nis!”かというと……これは初めて言うと思うのですが、レコーディングに当時毛皮のマリーズだった越川(和磨)くんが遊びに来てくれた時、ニシくん(越川のニックネーム)がコーラスを入れてくれたんですよ」
――へぇ~、そうなんですか! とりあえず曲ごとにやっていることはバラバラと。
「そうなんです。基本ミスクチャー・バンドという感じですかね。特にコンセプトを決めたわけではないのですが、ありがたいことに勝ち上がって。〈俺らが最強だ〉と思っていたら、僕らが出場した年の〈閃光ライオット〉には良いバンドがたくさん出ていて、The SALOVERSや挫・人間など、いまでも仲良くしている面々がいるのですが、〈ギター・ロック〉というカテゴリーがよくわからないのであまり使いたくないんですけど、いわゆるそういうマナーのバンドが多かったから、個人的には僕らはヒールになろうと思ったんですよね」
――ほう。
「むしろお客さんに嫌われようと思って。〈なんであいつらが勝ち上がってるんだよ!〉と思われるような。決勝戦まで行ったからには……と意気込んでいましたけど、いちばん盛り上がらなかったですよ」
――ホントに!?
「だって(お客さんに)理解されないんですもん。みんな何千人もの前でライヴを演るなんて初めての経験だからアガっちゃって、間違えたりもして」
――ハハハ、可愛い(笑)。
「それですごいイライラしちゃったんですよ。ステージが終わった後に、〈ステージでちょっと司会者と喋ってください〉と突然言われて、みんなそうことは苦手だから僕がやったんです。たぶん映像残ってますけど。ムカついてたので、アルバムも録り終えていたし〈解散します〉といきなりそこで言って。他のメンバーはそこで初めて聞いたわけですけど、みんな〈いいじゃん、いいじゃん、解散しようよ!〉と。それで解散して、その後にアルバムがリリースされたんです」
――思い出した! リリースする時には解散していましたね。
「実は星野源さんもズレテルズのアルバムを聴いてくれていたそうで、SAKEROCKのイヴェントへの出演オファーが来ていたみたい。あと〈WORLD HAPPINESS〉も。でもレーベルの社長が〈すみません、もう解散してます〉と(笑)」
――へぇ~。でも確かにズレテルズの登場はセンセーショナルな出来事でしたよね。いまでこそ珍しくはないですが、当時は〈10代のバンドがこんな!〉みたいな。
「ライヴは10回も演ってないぐらいだったので、びっくりです。都内のライヴハウスは世話になっているところしか出ないと決めていて、新宿のredclothや下北沢のGARAGEにしか出演していなくて。あとはラキタの誘いで、藤沢のほうのお寺の大仏前でライヴを演ったこともありましたね。GARAGEでは、BOBOさんやくるりの(佐藤)征史さんが観に来てくれたりもしました。当時からおもしろがってくれる人がいてありがたかったですね。だから〈あれ(ズレテルズ)ってどういうことだったの?〉とみんな気にしている(笑)」
――当時は、バンドの全貌がよくわからなかったから気になってて、アルバムが出るという情報が届いた時は〈おー!〉って思った記憶がありますね。でも解散しているからインタヴューなどはできません、といったことを言われた気が(笑)。
「それこそ〈タワレコメン〉に選んでいただいたんですよね。リリース後にタワレコに行きましたもん、嬉しくて。新宿店ではちゃんとポップを作ってくれていたので、(本人だと)バレないように写真撮ったり(笑)。でもスタッフの人にバレて、僕ら何人かでサイン書きました」
――ズレテルズの『第一集』はハマくんが関わった初CD作品ですか?
「流通盤でいうとそうですね、自分のバンドということでは。OKAMOTO'Sよりズレテルズのほうが先なので。いろんなところで言っているのですが、いまだに浸透しないのでここでも一応言っておくと、ズレテルズはOKAMOTO’Sの前身バンドではありません」
――前身バンドなんて言われてるんですか?
「言われますよ! OKAMOTO'Sはズレテルズより前からあって、ズレテルズが解散する直前にOKAMOTO'Sのオリジナル・メンバーのベースが辞めて僕が加入したんです(ズレテルズはOKAMOTO’Sのハマとショウ、レイジがメンバーだった)。このネット社会、また聞きの誤解をドヤ顔で書く人が多いから。いまさら話す機会もないですし。そこまでこだわることじゃないかもしれませんが、そういうことはちゃんと正しておかないと」
――大事ですよ。
「〈変わる前のほうが良かった〉って書かれていたりするんです。〈OKAMOTO'Sになってから全然音楽性が違う〉だったり……あたりまえなんです。解散はもったいないと言ってもらえるのは嬉しいんですけど、よくよく考えれば、あんなバンドの状態でもう1枚作ったところで、ひとつもおもしろくないですからね。あれ以上やったら喧嘩ですよ、ホントに」
――メンバーも多かったですしね。
「ビック・プロジェクトという感じでしたね、ひと夏の。それぐらいが良かったのかな」
――〈ワン・ヒット・ワンダー〉というか。
「完全にそうです」
――でも一度再結成していましたよね(〈JAPAN JAM 2012〉時)。
「そうです、そうです。あれが実質、ズレテルズが全員揃った最後になっちゃいましたけど。やって良かったなと思って。出る前は、まだやらない(再結成しない)ほうがいい、もっと伝説になってからのほうがいい、と勝手に(笑)。なるわけないだろと言いながら」
――でもある意味すでに伝説的な存在にはなっているんじゃないでしょうか――で、またジョージ・クリントンの話に戻しますが、今回の一枚は、ファンカデリックの『Uncle Jam Wants You』と。これは……。
「この間のライヴで“(Not Just)Knee Deep”を久しぶりに聴いて、すごく良かったのでまた聴き直したりしていて。特別この作品に思い入れがあるわけではないのですが、〈ジョージ感〉がハンパないのでこれを持ってきました。全曲イイですよ。bounce連載で取り上げた『One Nation Under The Groove』は、まー曲が長いから」
――そこでちょっと萎えそう(笑)?
「ループというか、ワン・グルーヴ押しというところを体感するには、『Uncle Jam Wants You』がいいのではないかなと思います。ポップで聴きやすいですし。『Maggot Brain』あたりは最初に聴かないほうがいいと思います」
――名盤と言われているものなので、つい手に取りやすいけど……。
「引いちゃうと思いますよ(笑)。〈なんだよ、この長いギター・ソロ!〉みたいなになりかねない(笑)」
――前にブーツィーのライヴを観た時も、いろいろ冗長なのでおもしろかったですよ。
「ホントね、やりたい放題なんですよ。でも、もう飽きたなと思っても、2小節後にはちょっと盛り上がっていたりする。あれはマジックだと思いますね」
――自分たちでああいう曲を演ろうとは思わないんですか?
「どうやったら出来るんでしょうね。まあこれはもうインプロですからね。OKAMOTO'Sでもこれぐらいハネた楽曲をやっていくこともあると思いますし、(ジョージと)会っちゃったからおのずと影響は出るんじゃないでしょうか(笑)」
【今月の別腹】
「今度のシングル『Dance With Me/Dance With You』のプロモーションは僕だけけしかインタヴュー稼働しないんですよ」
――あら、そうなんですか?
「音専誌やウェブ媒体のシングルの取材は全部僕が一人で受けるんです。この間、みんなで役職名を考えて、〈プレス〉ということになりました。いま思えば、そういうこと(前に立って対外的に話す立場)をしはじめたのは、さっき話したズレテルズが最初だったなと思って」
――〈閃光ライオット〉の決勝大会での司会者とのお喋りですか。今回はどういう流れでハマくんがプレス担当に?
「デビュー5周年を経て、メンバーのなかで役割分担みたいなものが自然に出来てきていたのは事実で。それで、今度のアルバムの構想が物凄いことになっていることもあり、他のメンバーにはそのための創作活動に集中してもらいたかったんですよね。だからキッパリ役割分担をしようと。一緒に作っている時に感じたことや伝え聞いたことを僕が先に言うことで、次にリリースするシングルやアルバムが凄いことになると伝えていきたいと思っているんです。次のアルバムは〈ロック・オペラ〉の要素を持った作品をめざしていて」
――ほお! それは興味深いですね!
「くるりの岸田さんと作った“Dance With Me”がとにかくぶっ飛びまくっていて、それをもとに2曲目の“Dance With You”を4人で作り上げて、いよいよ本当にそういう作品を完成させられるんじゃないかと。いま〈物語〉を主軸にして楽曲を書いてるんです」
※“Dance With You”のiTunesページはこちら、試聴可
――ザ・フー『Tommy』みたいな? “Dance With You”にはザ・フー感のあるフレーズががっつり入っていましたよね。前にPUFFYのトリビュート・アルバム『PUFFY COVERS』(2012年)でOKAMOTO’Sがカヴァーした“ジェット警察”もそういうオマージュ要素が満載ですごく楽しかったのですが、あの時の無邪気な感じを思い出しましたよ。
「ラジオで“Dance With You”がかかるたびに、何人かのおじさんが反応していて。〈完全に“Sparks”じゃん!〉と(笑)。もともとそういう楽曲をやりたいと言っていたんです。“Dance With You”が出来たことでアルバムの方向性も少しずつ見えてきたので。僕が『Tommy』をずっと聴いている時期があったことから、〈ロック・オペラ〉というアイデアは3年くらい前に僕が出していたのですが、当時はみんなあまり興味がなかったみたいで。『Tommy』まで行くと流石に大袈裟すぎるので、『A Quick One』の9分ぐらいある曲中に何個も話が出てくる楽曲( “A Quick One While He’s Away”)のような作品を作ろうか、というのは話していたんですけど」
――じゃあ念願の展開なんですね。
「そうなんです。とても楽しいですよ。前にも、〈モータウン(的な楽曲)をやりたい〉と思っていた時は、他のメンバーはまったくそんなモードじゃなかったのですが、数年後にはモータウン調の楽曲ができたり、そうやっていまはメンバーと上手く波調が合うようになってきているんです。なので、今度のアルバムでは『Tommy』や〈ジギー・スターダスト〉(デヴィッド・ボウイ)のオマージュというか、全体的にそういった要素を散りばめつつ、でもあまりにも空想的な話だとアレなので、現代の日本社会を反映した作品を作ろうと、いますごくおもしろい感じで進んでいます。だから揉めていて一人で取材を受けるというわけではまったくなく」
――それは楽しみです! でもこれまで4人ともちゃんと自身の立場でインタヴューに臨んできたバンドですし、突然ハマくんだけ……となるとびっくりしちゃいますよね。
「ある程度のクォリティーで喋る、ということをそつなくこなしちゃっているなと最近思っていて。結構バンドマンには〈ヒリヒリしている感じ〉を出すことを(メディアに)求められているような気がしているのですが、〈僕ら楽しくやってるんですよ!〉みたいなことを言って終わっちゃうから、意外とさらっと流れてしまうんですよ。もちろん、ちゃんと音楽を作っているのですが、4人で喋るとどうしても空気を良くして終わらせてしまう傾向がすごくあった」
――『Let It V』の時からかなりバンドのなかで意識革命があったんだろうなというのは、インタヴューさせてもらっていた時から感じていました。
「例えば、映画や食べ物など対価を支払っているものに対して、〈自分はこう思う〉と話すことは普通だと思うのですが、音楽だけはそれが良しとされていない傾向があるなと、最近感じていまして。〈好きじゃない〉というと、ひとつの意見なのに批判だと取られてしまう。でもそういったことを作る側がちゃんと言えるようにならないとな、と。バンドとして音楽と真摯に向き合っていく姿勢をさらに出していきたいなと」
――なるほど。より自分たちの意志がこもった動きや音楽ができるようになったんですね。
「次のアルバムもまだどうなるかわからないけど、良い曲はたくさん出来てきているので期待していてください」
PROFILE:ハマ・オカモト
OKAMOTO'Sのヒゲメガネなベーシスト。6月17日に岸田繁(くるり)プロデュースの“Dance With Me”含む両A面シングル『Dance With Me/Dance With You』(ARIOLA JAPAN)をリリース! 本文中にもある通り、ハマがバンドの〈広報メディア担当〉に就任してプロモーション活動中だ。また、6月6日(土)には横浜・赤レンガパーク野外特設ステージで行われる〈SMA41st“SMAはヨコハマもお好き?”〉に出演。そのほか最新情報は、OKAMOTO'Sのオフィシャルサイトへ!