本人たちがまだ〈距離を感じる〉と語るいまの東京インディー・シーンの片隅で生まれながら、しかしひとたびその音に身を委ねれば、これからシーンの中心へと一気に滑り込んで行く姿を予見したくなる注目の4人組バンド、CURTISSNiw! Records(以下、Niw!)にフックアップされたことで初の全国流通盤としてこのたび世に放たれるファースト・ミニ・アルバム『Four Doves』は、彼らの名前をシーンに知らしめる最初の大きなステップとなるだろう。

トゥー・ドア・シネマ・クラブワイルド・ナッシングスといった海外のインディー・アクトへの共感に支えられた彼らのセンスは、全6曲という小ぶりなサイズの本作を目いっぱいカラフルに彩っている。それを支えているのは、仮谷せいらAimerへの楽曲提供もこなすバンドのメイン・コンポーザー、DAIKIの高い編曲能力であり、この貪欲な天才アレンジャーはこれからも次々と華麗なモード・チェンジを見せてくれるはずだ。けれどその一歩先にある資質――イアン・カーティスから引き継いだ孤独感や疎外感やエスケーピズムと、当のイアン没後に彼が生きたマンチェスターに起こった狂騒=マッドチェスターにDAIKIが見い出したポジティヴでタフな希望との二律背反的なコントラストこそが、CURTISSを一介のインディー・バンドには終わらせない複雑な魅力の存在に仕立てている。ここでは、音楽メディアでのインタヴューは初めてだというCURTISSに話を訊いた。

 


 

CURTISS、その世界の形成

――CURTISSは、メイン・コンポーザーでありギター/ヴォーカル担当のDAIKIさんを中心に2011年に始まったとのことですが、DAIKIさんはそれ以前にバンドはやっていたんですか?

DAIKI「はい。ただ、その頃から自分で曲を作ってはいたものの、ほかにもバンド内に曲を作る人がいて、自分がメインで曲を書いていたわけではありませんでした。その前はコピーもやっていたり」

――なるほど。

DAIKI「僕はもともとギターではなくベースを弾いていて、バンドでコピーするってよりは個人的に好きな曲を練習していましたね」

――そこから2011年にCURTISSを始めるにあたって、何かきっかけはあったんですか?

DAIKI「もともと仲良くしてくれていた方がいて、その人から〈いまバンドやってるの?〉って訊かれたときに、その頃はバンドをやっていなかったんですが……ある意味ではその人が背中を押してくれたというか。それで〈やってみよう〉と思い立ってCURTISSを始めました」

――それは自分がメインのソングライターとしてやっていきたいという欲求もあっての決意?

DAIKI「正直、それはまったくなかったです。最初の頃は曲を書きたいとも思っていなかったし、〈音楽は趣味でいいかな〉って。迷走してた時期だったかもしれない(笑)」

――気合いを入れてというよりは、ナチュラルなスタンスで始まった感じなんですね。ただ、CURTISSというバンド名がイアン・カーティスに由来していることは、そういったエピソードやいまのCURTISSの音だけを聴くと〈シリアスさ〉という面で少し意外なのですが。

DAIKI「個人的にはジョイ・ディヴィジョンだったり、あの時代のマンチェスターの音楽がもともとすごく好きで。あまり長いバンド名じゃなくて、呼びやすくて覚えやすい名前にしようと思っていたこともあって、CURTISSに決めたんです。カーティス・メイフィールドもいるし。調べてみたら、カーティスという名前が海外ではけっこう真面目な感じの名前らしくて。日本で言うところの〈マコト〉みたいな」

Tomoya「CURTISSは苗字でもあるよね」

DAIKI「苗字なんだ」

Tomoya「〈伊集院〉ほどではないけど、格式がある感じ」

――CURTISSをスタートさせた2011年当時、影響を受けていたバンドだったりめざしていたサウンドはありますか?

DAIKI「最初はドラムがいなくて、メンバーを探すより自分でDTMで作ったほうが早いだろうということで、全部打ち込みでやってたんです。曲もひとりで書いていたのですが、当時影響されたのは、トゥー・ドア・シネマ・クラブとかレーベルのキツネあたり。キツネのコンピレーション・アルバムに収録されてるバンドなんかも聴いてましたね」

【参考動画】トゥー・ドア・シネマ・クラブの2013年のEP『Changing Of The Seasons』
収録曲“Changing Of The Seasons”

 

――2011年って、海外を見渡すとそれまで宅録だったウォッシュト・アウトトロ・イ・モワが、外の世界に大きく飛び出して行くにあたってバンド編成に切り替えてアルバムをリリースしていた頃だと思うんです。いまのCURTISSにはチルウェイヴが宅録から生音に変わってから以降のモードのようなものを感じるのですが、実際のところはどうですか?

DAIKI「似たような感覚はあるかもしれないですね。今回の『Four Doves』というアルバムは、もともとはドラムが打ち込みだったんです。それに合わせて同期をたくさん使ったのですが、ドラム、リード・ギター、ベースと楽器ができるメンバーが揃ったので、音をどんどん削って最低限の構成にして、できるだけ生音でやっていこうという感じ。だから〈バンドでやろう〉って感覚は強くなりましたね」

――DAIKIさんはどういう経緯で現在のメンバーと出会ったんですか?

DAIKI「ドラムのSHOZOはけっこう前からの知り合いで、唯一の同い年なんです。僕がよく行く居酒屋さんのようなお店で働いてて、そこで〈同い年なんて珍しいね〉と盛り上がって。SHOZOはその頃バンドやってたっけ?」

SHOZO「その頃はハードコアのバンドをやってたね」

DAIKI「お互いに会ったら〈よう!〉って挨拶するような間柄でしたね。その後にベースのYO-HEYに会って、彼は僕がやってた別のバンドに新しいベーシストとして紹介してもらって加入したのがきっかけ。そのとき前のメンバーがいたんですけど、その人がバンドから離れる際に2人(SHOZOとYO-HEY)に話をして、〈一緒にバンドやろうよ〉とCURTISSに誘ったんです」

――基本的にはみなさんCURTISSの前からバンド経験はあったんですね。

DAIKI「そうですね。ギターのTomoyaも当時は別のバンドをやってて。CURTISSのギターを探すときに対バンした経験があったから覚えていたんです。僕の目にはTomoyaがなんとなく楽しくなさそうに弾いているように見えて(笑)」

Tomoya「いや楽しかったよ(笑)」

DAIKI「(笑)。とにかくそこから声をかけていまの4人になりました」

――それが2013年頃の話?

DAIKI「そうですね。このメンバーになってから2年ぐらい」

――みなさん出身はバラバラですか?

DAIKI「バラバラですね。静岡、香川、北海道、イギリス、サイパン、トルコ」

――あれ、多い(笑)。

Tomoya「僕のことはトルコ人だと思ってくれて大丈夫です(笑)。生まれは宮崎で育ちは埼玉とイギリス。それでいま東京にいるという」

 左から、DAIKI、Tomoya

 

――Tomoyaさんは文化的なバックボーンが豊かなんですね。ちなみにDAIKIさんから見て、いまのメンバーはプレイヤーとして安心感がある?

DAIKI「自分自身あまりプレイヤーというタイプじゃないので偉そうなことは言えませんが、安心はできるかな。自分が前に出て歌うスタイルはまだ恥ずかしくて自信がないけど、バックの演奏に関しては大丈夫だろうって気持ち。でも個人個人で言うと、SHOZOは叩きすぎる癖があるかな。彼はUSだから」

――USというのは、さっきのハードコア・バンドの話と関係があるんですか?

SHOZO「でもいろんな音楽が好きで、たまたまやっていたのがハードコア・パンクだったんです」

DAIKI「もちろんプレイはしっかりしてるし、頼めば抑えて叩いてくれるんだけど、気付いたらまた戻ってる。USだから」

SHOZO「それってUS関係あるのかな(笑)?」

DAIKI「YO-HEYは、曲を活かすような堅実なプレイをしてくれます。個人的には主張の激しいベーシストは苦手なので、そういう意味で安心できる。Tomoyaは……まだまだこれからのギタリスト」

――いまUSの話がで出ましたけど、USとUKの音楽って……

DAIKI「バンド内で対立してるんですよ(笑)」

――え(笑)? どういうことですか?

DAIKI「Tomoyaだけ世代がちょっと離れてるんですが、例えばスタジオにリハで入ったときに、僕らはブリンク182だったり西海岸系のパンクも通ってきたので遊びでそういうジャム・セッションをすることもあったんです。ほかのメンバーは合わせられるけど、TomoyaはUK寄りの音楽がルーツだからうまく参加できずにションボリしちゃって(笑)。その鬱憤が溜まってたのか、みんなで飲んでるときに酔っ払って〈なんだよおまえらUSノリで!〉って(笑)」

YO-HEY「俺の顔見て〈YO-HEYとSHOZOはUSだから不安〉って言ってましたね(笑)」

Tomoya「その話、そろそろ許してほしい(笑)」

DAIKI「USの音楽もルーツといえばルーツですけど、みんなバラバラかな」

――『Four Doves』を聴いた印象だと、USインディーからの影響が強いのかなと思ったんですけが、そう単純な話でもないと。

DAIKI「もちろんUSインディーも聴きますし、固執して特定の音楽しか聴かないってわけではないので」

――ちなみに最近聴いてる音楽は?

SHOZO「俺は、自分が行ったこともあるブルックリンの音楽に影響を受けてますね」

――ブルックリンのどのあたりの人たちですか? ダーティー・プロジェクターズとか?

SHOZO「ダーティー・プロジェクターズは好きですね。あと、ドラマー目線でもあるんですけど、もっとバンドっぽいUKのリトル・コメッツって人たちが好きで」

【参考動画】リトル・コメッツの2015年作『Hope Is Just A State Of Mind』収録曲“Salt”

 

YO-HEY「僕はベースを弾くきっかけになったのがHi-STANDARDで、ランシドもすごく好きで高校生の頃はよくコピーしてました。あとはJUDY AND MARYとか。最近はずっとクイーンビートルズとか、クラシックなロックばかり聴いてます」

DAIKI「僕は最近エルトン・ジョンが多いですね」

――それはソングライティングの勉強として?

DAIKI「それもありますね。彼はピアノで作曲するからか単純に歌が良い。やっぱり曲が良い音楽に惹かれるので。インディーものだとウルフ・アリスはすごく聴いてるな。あとドレンジとか、ちょっとロックっぽい音」

【参考動画】ドレンジの2015年作『Undertow』収録曲“We Can Do What We Want”

 

Tomoya「僕はビーチ・フォッシルズとか好きですね。でも一番最近聴いてるのはヴァーヴかな。〈新譜だから聴こう〉とはあまり思わなくて、結局好きなものを聴いちゃうんですよね。ジョン・レノンもよく聴いてます」

【参考音源】ビーチ・フォッシルズの2013年のパフォーマンス

 

――CURTISSの作曲はDAIKIさんがひとりで担当してるんですか?

DAIKI「いまのところそうですね」

――作曲のインスピレーションが湧くのはどんなときですか?

DAIKI「CURTISS以外でも曲を作る機会があって、よく言われがちですけど煮詰まって〈どうしよう!〉ってときにトイレ行ったらふと浮かぶとか。手元に楽器がない瞬間にこそ浮かんできますね。パソコンの前で考えたり曲を聴いたりギター持ったりするときは何も出てこなくて、そこから離れた瞬間にできるんです。気分転換に散歩行ったりタバコ吸いに出た瞬間にパッと出てきて〈これはヤバい!〉って。寝る前なんかも」

――なるほど。ちなみにCURTISS以外で書いてる曲って何ですか?

DAIKI「仮谷せいらちゃんのデビューEP『Nobi Nobi No Style』の表題曲“Nobi Nobi No Style”です。あとAimerさんの“Noir! Noir!”って曲とか」

【参考動画】仮谷せいらの2015年のシングル“Nobi Nobi No Style”

 

――そうだったんですね! そういった職業作家的な経験が今後のCURTISSにどう反映されるかも楽しみです。話を戻すと、作曲作業のなかでアレンジはどうしているんですか?

DAIKI「デモが出来た瞬間にみんなに送って、後はスタジオで合わせてます。デモはドラムとベース、ギターも最初に僕が作って、細かいところをみんなで合わせてアレンジしていく流れですね」

――演奏陣の皆さんは送られてきた音源をカッチリ再現する感じ?

SHOZO「ドラムはだいぶ崩させてもらってるかも。基本的なノリだけ変わらないように気を付けて」

Tomoya「ギターはフレーズはほぼ一緒だけど、DAIKIがデモに入れている演奏を真似しようとしても違う雰囲気になるので、音作りに関してはけっこうバラバラですね」

YO-HEY「デモを聴くと、もうある程度完成されてるので〈こういう雰囲気でやりたいんだな〉っていう意図が伝わりやすいんです。だからそれを崩さないようにして。〈こっちのほうが良いんじゃない?〉と感じるときは、ちょっとずつ元のアレンジから変えていきます(笑)」