そろそろ1年を振り返る時期に差し掛かっているが、個人的に今年もっとも衝撃を受けたバンドのひとつが、苫小牧を拠点とする3ピース・バンドのNOT WONKだ。2015年に入って、僕は彼らのライヴを東京で3回目撃している。6月に行われたケイティ・グッドマン率いるラ・セラの来日公演では対バンのうちの1組として出演。地下ガレージを改装した桜台POOLというハコの音響も相まって、迫力において主役をも凌駕したように映った(その時の映像もある)。それから数日後には、渋谷WWWでの吉田ヨウヘイgroup『paradise lost, it begins』リリース・パーティーにおいても、その存在感を発揮している(この時、同じく度肝を抜かれたのがSaToAだった)。
さらに圧倒されたのは、7月に新代田FEVERで開催されたアルバム発売記念ライヴだ。元・銀杏BOYZの安孫子真哉が主宰するレーベル、KiliKiliVillaの所属バンドが集結して活気あるパフォーマンスが続いたこの日のトリに彼らが登場。鬼気迫るテンションに堂々たるステージング、青臭いメロディーとキャッチ―な曲展開に応えてフロアも一体となり、あまりの盛り上がりに終演後はしばし呆然となったほど。こんなふうに前のめりにさせられて、ちょっと大袈裟なまでに語りたくなるほどの熱量と説得力をこのバンドは持っている。
そう、彼らには〈熱量〉という表現がよく似合う。今年5月に発表された初のアルバム『Laughing Nerds And A Wallflower』ではコンパクトさよりも勢いと楽曲への愛情を優先して17曲も詰め込んだ一方で、しなやかな感性も併せ持ち、同時代のインディー・ロックやギター・ポップからの影響も汲んだ瑞々しくも自然体な楽曲群は、日本のパンクが新しい季節を迎えていることを実感させるだろう。というわけで、加藤修平(ヴォーカル/ギター)、フジ(ベース)、アキム(ドラムス)に話を訊いてみた。10月24日(土)には代官山UNITでイヴェント〈The World to Come〉にも出演。この迫力を、ぜひ自分の目で確かめてみてほしい。
★dip、NOT WONK、The fin.の3組が出演!〈The World to Come〉紹介記事はこちら
〈ライヴがしたい〉って考えるようになったとき
一番手っ取り早く簡単で格好良かったのがパンクだった
――まだ皆さんお若いそうで。
加藤修平「そうですね、僕が94年生まれで他の2人が95年生まれ。僕とアキムは大学生で、フジは高専に通っていて。学校はみんな別々です」
――サークルとか入ってます?
加藤「僕は〈音楽鑑賞同好会〉っていう、部員が僕ひとりだけのサークルで部長をやってます」
――いきなりすごい話が(笑)。ただひたすら音楽を聴くんですか?
加藤「そうですね。学校の人にも〈何してんの?〉と言われますけど、〈いや、音楽聴いてます〉って(笑)。部室も自分の部屋代わりにして」
――カッコイイですね(笑)。NOT WONKはメンバーの入れ替わりも多かったそうですけど、いまの編成になってどれくらいなんですか?
加藤「(2人とは)僕が高3の5月頃からの付き合いなので、3年ちょっとです。これまでのなかでは一番長いんですよ。それまではずっと年上の人とバンドをやってて。パンクとかメロコアが好きな人も先輩しかいなかったというのもあって、最大で8歳ぐらい離れてたときもありましたね。でもなんというか、曲を作ってるのは僕なので、なんだかんだ我が強いというか。そういう我がないとダメじゃないですか。それで(自分の意見を)通していたら抜けていく人もいれば、〈すいません、お疲れ様でした!〉みたいになる場合もあったりして」
――へぇー。
加藤「そこから初めて年下とやってみたら、最初は2人とも右も左もわからぬって感じだったんですけど、僕も教えるといったらエラそうですけど、いろいろと伝えていくうちにうまくいくようになって。そこから築いていくことができたって感覚が強いかもしれないです」
フジ「最初の頃は一から十まで、コード進行からベース・ラインまで細かく指示される感じだったんですけど、最近はコードを教えてもらって合わせていくなかでアレンジのパターンも生まれたり」
アキム「加藤くんに曲を持ってきてもらって、〈あとは好きにやれ〉って感じで。ダメなところがあったら指摘してもらったり、気になるところはみんなで考えることが多くなりましたね」
――お2人から見て、加藤くんはどういう感じなんですか?
フジ「……ボス(笑)。でも、すごく頼れる存在ですよね」
アキム「加藤くんに訊けば、なんとかなるでしょって感じ」
――初めて会った時の印象は?
フジ「ELLCUBEっていう苫小牧のライヴハウスに通いはじめたときに、僕とアキムが当時そのなかで一番年下だったんですよ。だから、〈うわ、先輩だ!〉って」
――その頃には、加藤くんはすでにNOT WONKとして活動してたんですか?
加藤「そうですね。高校1年の冬休みにバンドを始めて、最初の3か月くらいは4人だったんですけど、その頃はコピーをしていて。3人になってから自分の曲を作りはじめたという感じですかね。当時は一つ上の先輩と一緒にやってて、僕はベースを弾いて、ギターは入れ替わり立ち替わりでした」
――ちなみに、加藤くんは大学で英文科を専攻しているそうで。
加藤「数学が病的に苦手で、分数の掛け算とかも危うくて(笑)。だから受験するときに数学が必要ない、道内の私大で一番いいところを選んでいったら英文科が残ったんです。あとは英語が好きなので」
――歌ってるときの英語の発音もすごくいいですよね。そういうのって意識してます?
加藤「(発音が)滑らかなほうがいいなっていうのはありますね。あとは大学1年のとき、外国人の先生に口を〈ウェッ、ウェッ〉って延々やらされて、メチャクチャ直されたというのもあります(笑)」
――NOT WONKは英語詞でいくというのは、早い段階から決めてたんですか?
加藤「むしろ、日本語でやるという選択肢がなかったという感じですかね。(バンドで昔コピーしていた)ELLEGARDENやHi-STANDARDが英語で歌ってたというのもあるし、日本語で歌うバンドをそもそも聴いてこなかったので。メロディーと言葉の載り方が、やっぱり全然違うじゃないですか。(日本語の歌詞も)試してみたこともあるけど、どうもうまくハマらないというか」
――さまざまな音楽ジャンルがあるなかで、なんでパンクを選び取ったのでしょう?
加藤「単純にパンクを聴いて、歌詞を読んだりすると反抗的っていうか……自分の嫌なものに対するアンチテーゼを感じるっていうか。僕もクラスで浮かれてるほうの人間じゃなかったので、嫌いなヤツとかもいて。なんか集団の強みでアレみたいなのとか、そういうのすごく……ぶん殴りてぇなとか思ったりしてましたし(笑)」
――わはは(笑)。
加藤「それで高校に入って楽器を始めたわけですけど、好きな先輩のバンドもパンクだったんです。もともと楽器を弾くのは楽しいけど、バンドをやるつもりはそんなになかったんですよね。当時はマキシマム ザ ホルモンとかが好きで、ベースの練習なんかもしてたりして。そこからすぐに〈ライヴがしたい〉って考えるようになったとき、一番手っ取り早く簡単で格好良かったのがパンクだったんです。音も歪んでてカッコイイし、速いし、曲も短い」
――学校内で浮かれてる側ではなかったとのことですが、そういうのも当時の音楽観には反映されてたんですか?
加藤「反映せざるを得ないですよね(笑)」
――いまは学校に友達とか、趣味の合う人っています?
加藤「いないですね。一人で部活をやってるくらいなので、お察しの通りって感じで(笑)」
フジ「僕も音楽の趣味が合う人はいないです」
アキム「僕はフォークソング部に入ってるんですけど、そのサークルに入ってる6~7割はだいたい似たような人間ばっかりで……」
加藤「負け犬みたいなのがいっぱいいるんだよね」
アキム「そう、友達がいないような奴らが集まっているような部活。僕だって、友達がいたらそんな部活入ってないですよ(笑)」
――バンドで活動するモチヴェーションとして、〈女の子にモテたい〉みたいな部分はありますか?
加藤「100%ないと言ったらウソになりますけど……」
――それよりは〈音楽が好き〉という気持ちのほうが大事?
加藤「そうですね。というか、モテた試しがないんで。ハナから望んでないというか、そもそもモテるものだと思ってないです(笑)」
フジ「ライヴが終わったあとに声掛けてくれるの、絶対オジサンですもんね……」
加藤「イヤなの?」
一同「(笑)」
加藤「俺はそれが一番嬉しいですけどね。地元でやってるとコミュニティーが狭いじゃないですか。地方タレントみたいになりたくはなかったし、女子高生のアイドルみたいなのは一番最悪だと思ってます(笑)」