We Love David
[ 特集 ]デヴィッド・フォスターの世界
この男の足取りに触れてみることは、ポップ音楽史を知ることでもある。もはや説明不要のヒットマン……なれど、必要ならばここで説明しよう!
安定と円熟へ向かった80年代
いまでは〈80年代サウンド〉という大雑把な言葉の認識の範囲も人によってはずいぶん単純化されているようだが、MTV的な華やかさやニューウェイヴのような先鋭の広がりがあった一方、業界の成熟に伴って領域を広げたアダルト・コンテンポラリーな音楽も、〈80年代サウンド〉における大きな傾向のひとつであった。そして、それを満たした重要なひとりこそ、この時期のデヴィッド・フォスターだったのである。持ち味として任じられたバラード路線の成功は彼の役割に道筋を敷くこととなり、その過程では生のスタジオ・セッションで曲を仕上げる方法からオーヴァーダブも前提とするレコーディングに変化。ソロ・デビューも果たす一方で、85年にはUSA・フォー・アフリカのカナダ版ともいえるノーザン・ライツ(ジョニ・ミッチェルやニール・ヤング、ブライアン・アダムスらが参加)の“Tears Are Not Enough”を仕切り、88年には故郷カナダで行われたカルガリー五輪の公式テーマを手掛けるなど、この時期の彼は一気に大御所へと押しやられた感もあった。
ジェイ・グレイドンと結成したユニットでの唯一のアルバム。ハーモニックなロックンロールや哀愁バラードまで、前後のデヴィッド仕事を集大成したような美メロとシンセの絶妙な絡みはいつ聴いても圧倒されます。TOTOの面々やレイ・パーカーJr、ジェリー・ヘイといった敏腕たちのセッションぶりも明朗な傑作!
フュージョンやAORファンからの熱い視線も集めたLAレコーディング作品で、現地で出迎えたデヴィッドは、ジェイ・グレイドンやTOTOのルカサーとジェフ・ポーカロらを取り揃えて熱いプレイでおもてなし。同年にはデヴィッドご一行を逆に日本に招いた力作『Air Kiss』もリリースしています。
ハーヴィー・メイソンも交えて共同プロデュースを担当した旧知の辣腕ギタリストのリーダー作は、生のセッションで作り上げていった時代の最後期に位置するもの。優雅なストリングスにらしさを感じつつ、エリック・タッグとビル・チャンプリンが歌うAORマナーのフュージョン盤として楽しめます。
危機に瀕するヴェテラン・バンドがデヴィッドをプロデュースに迎えた最初のアルバム。作曲家や演奏家も外部から動員するという方法でテコ入れどころか根本から介入したデヴィッドも凄いけど、ハイトーン歌唱を存分に活かす“Hard To Say I'm Sorry”を極みとしたピーター・セテラの安定感も凄まじいです。
アリフ・マーディンがほぼ全編を手掛けた一枚ですが、代表的なデヴィッドのプロデュース仕事でもある“Through The Fire”はここに収録。キーン・ブラザーズのトムらと共作した名バラードで、エンジニア畑のフンベルト・ガティカを共同プロデューサーに据えて上質な空間構築を狙った最初期の仕事としても重要でしょう。
80年代には「ドリームガールズ」や「摩天楼はバラ色に」、あと「セカンド・チャンス」(乞う復刻)など多くのサントラを手掛けているデヴィッド。この青春映画の名作も彼が担当し、何とも言えないシンセと声色の醸し出す青臭いムードでリアル80sの空気感を体現。臆面なく気取ったインストにもそそられます。