We Love David
[ 特集 ]デヴィッド・フォスターの世界
この男の足取りに触れてみることは、ポップ音楽史を知ることでもある。もはや説明不要のヒットマン……なれど、必要ならばここで説明しよう!
手の合うチームを形成していった70年代
この頃のデヴィッド・フォスターの仕事といえば、まずイメージ以上に振り幅が広い。本人の意向というよりもLAを中心に膨大なセッション・ワークを繰り広げた結果の産物ではあるのだろうが、現在のジャズやカントリー、クラシックにまで至る仕事の手広さからもわかるように、相手を選ばない対応力の高さはこの頃に養われたものだ。ビル・チャンプリンやジェイ・グレイドン、リー・リトナー、後にTOTOを組むスティーヴ・ルカサーやデヴィッド・ペイチ……と腕利きのサークルでほぼファミリーともいえる面々を固めていった結果、作品への関わり方も多様になり、例えばプロデュースは担っていないもののソングライターとしてはシェリル・リン“Got To Be Real”のヒットに寄与していたりもする。また、モーリス・ホワイトやクインシー・ジョーンズに手腕を買われてソウル作品への参加が多いのも特徴で、〈シティー・ポップ〉という言葉を持ち出すまでもなく、何年周期かで評価されるタイプの作品が多い時期とも言えるだろう。つまり、いま聴くべきものが多いということ!
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デヴィッドが鍵盤奏者として名を連ねたカナダ産バンドのファースト・アルバム。ソングライターとしての実力は出ていないものの、ブルーアイド・ソウルっぽい感覚に彼のプレイが寄与しているのは明らか。全米にも飛び火するヒットとなった“Wildflower”はニュー・バースらのカヴァーで知る人も多いでしょう。
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2000年代に日本でCD化されるまで幻とされていた逸品。50年代から活躍するジャズ・シンガーの超インディー盤で、フォスターはビル・チャンプリンやリー・リトナーら持てる人脈を総動員してプロデュースにあたっている。EW&Fの絶品カヴァーなど、控えめに言ってもレアリティーだけではない魅力があります。
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当時12~13歳だった兄弟の初作を、ジェイ・グレイドンやラリー・カールトンらを伴ってデヴィッドがプロデュース。当時のLAサウンドらしい味に、青い熱情を纏ったソウルフルなキッズAORがハマる。80年代にキーン名義で再デビュー後はソングライターとしても飛躍しました。
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サンズ・オブ・チャンプリンやシカゴで活躍し、AOR史上でもデヴィッドを語るうえでも欠かせない名シンガー・ソングライター。現在では評価が定まっているものの、これは本国では不発に終わった初ソロ作〈独身貴族〉で、デヴィッドの仕切りでジェイ・グレイドンやTOTO組が援護したロマン漂う名曲集です。
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すでにブルーアイド・ソウルの先駆者として一定の成功を収め、この後にモダン・ポップを標榜してさらにビッグになるデュオ。ではありますが、その谷間の時期にフォスターが手掛けた数作の安定感にはやはり恐るべきものがあって、なかでも本作は珠玉の“Wait For Me”を収めたマイルドな佳作!
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AOR的なまろ味を求めたバンドの状況とデヴィッドの持ち味が高い次元でマッチした傑作。冒頭の晴れやかな“In The Stone”や屈指のロマンティック・スロウ“After The Love Has Gone”など6曲を書いてストリングス・アレンジも担当した成果を受け、しばらくカリンバ作品でも重用されていくことに。